shin-1さんの日記

○アメリカにも金次郎の銅像があるそうです

 人間牧場で二宮金次郎こと二宮尊徳の勉強を始めるようになって半年余りが経ちました。年輪塾を主宰しているからなのか、最近は何処へ行っても二宮金次郎のことがやたら気になるのです。先日は新玉小学校の図書館で子どもたちと一緒に本を読んでいる室内の金次郎を見つけましたが、8月20日のえひめ新聞に海外の二宮金次郎銅像の話が小さく埋草のような形で紹介されていました。

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 ②「二宮金次郎像 ロスではチョイぽちゃ」という見出しで以下のような記事が載っていました。

 ロサンゼルス・リトルトーキョーの交差点に立つ二宮金次郎像。「米国育ちで肉を多く食べているから、日本の像よりちょっとぽっちゃりしている」とは現地在住の日本人のジョーク。ところで、米国人は日本人の勤勉の象徴である金次郎の知っているのだろうか。近くのバス停で待つ人に尋ねたところ「ノー」。像を指差して「Do you Know him?」との質問の意味が通じたかどうかは自信がないのだが。

 はてさて、アメリカ人が「ノーというのは当然として、もし西海岸を旅行している日本人に同じような質問をしても、「ノー」と答えるかも知れません。だって戦後65年間、日本人は二宮金次郎のことを誰からも教わっていまいし、教えてこなかったのです。

 「本を読みながら歩いて、交通事故にでも遭ったらどうするの」と揶揄されるのが落ちなのです。内村鑑三が「代表的日本人」の一人として取り上げ、ケネディ大統領にも大きな影響を与えた二宮尊徳を、日本教育の基本としてももうそろそろ教えても良さそうなのですが・・・・。


  「アメリカに 金次郎さん あるという 誰が建てたか  それが知りたい」

  「アメリカの 金次郎さん 肉喰って 少し肥え気味 新聞ジョーク」

  「金次郎 日本人さえ 知らぬのに アメリカ人は ノーと言うはず」

  「色々な 所で話す 金次郎 知ってはいるが 殆ど知らず」

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○戻ってきた一本の赤いボールペン

 私はリタイアしてからも色々な雑誌や事例集などの原稿を依頼されることが多く、その度に拙文ながら原稿を書いています。私が後方を書いていた一昔前、原稿書きはもっぱらシャープペンシルと消しゴム、それに原稿用紙でした。それがいつの間にかワープロがパソコンになり、シャープペンシルも消しゴムもこの一年殆ど使わな九手もすむようになったのです。また書いた原稿も封書で送っていましたが、デジタル化された原稿は写真と共にメールで送れるようになったのです。

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 しかし送り返してきた校正のためのゲラ原稿は、プリントアウトして赤いボールペンで修正加筆、あるいは削除作業をしてゲラ原稿を手直しし、相手に再び送り返すのです。その時使うのは赤いボールペンです。私が使っている赤色のボールペンは、退職後全ての原稿校正の重要な役割を果たしてきました。ところがいつの間にか自分の机の上から姿を消して、会議用の4色ボールペンについている赤いボールペンで、不便だと思いつつも代用していたのです。

 ところが先日、一枚のはがきが私宛に届きました。私が建築委員を努めていた天一稲荷神社のぐうじさんからで、「先日の監査会で赤いボールペンを忘れていませんでしたか」という問い合わせのはがきでした。 思い当たるふしがあったので早速電話で返事をし、宮司さんは妻の勤める歯科医院に丁寧にも届けてくれたそうです。


 今時の時代はボールペンやライターなどは使い捨てする消耗品なので、別に気にもしていなかったボールペンが宮司さんと妻の手によって、持ち主の私に戻ってきたのです。数奇な運命といえるほど大げさなものではありませんが、それでも私はこのボールペンで早速昨日エッセー原稿の校正をしたのですが、しっくりいきました。

 たかがボールペン一本くらい紛失しても探そうともしないし、よしんば今回のように出てきても「ああ」くらいで終わるのでしょうが、一事が万事これからは大切に使いたいと思いました。私は赤いボールペンが大好きで、赤インクで書いた線引きや文字は、私の想いのようなものが込められています。戻ってきた一本の赤いボール面のインクの残量がどれ程あるか分かりませんが、これからも最後の一滴まで使いたいと愛おしく思いました。


  「失くしてた 赤いボールペン 帰り来る 愛用だけに 嬉しくなりぬ」

  「この歳に なっても赤ペン 貴重品 原稿校正 その度使う」

  「ボールペン あなたのじゃない はがきくる 既得な人が いればいるもの」

  「このごろは 使い捨てする 世の中に 失せて気付かず 失せて探さず」   


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○汗だくで庭の草引き

 夏の大仕事である家の周辺と人間牧場周辺の草刈りがやっと一段落しました。草を刈った後好天猛暑日が続いていいるため、その後草が芽を吹き返さないため、いつになく周囲が茶褐色になって殺風景ですが、一雨降ると緑がいっせいに伸びることでしょう。

 草刈ばかりに気が向いていましたが、いつの間にか庭が大草になっていることに気がつきました。妻はそのことが気になっていたらしく朝夕少しずつ草引きをしていたようですが、追いつかないので私に助け舟を求めてきました。気になっていた愛媛大学農学部地域マネジメントスキル修得講座もやっと昨日で終わり、今日は夕方地元の会合があるだけの自由時間なので、思い切って草引きを始めました。

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 草を引く庭は2ヶ所です。まず書斎の前に見える庭から始めました。朝日が当たらない時間帯を選んでやったため汗はそれほどかきませんでしたが、蚊やブトが顔や体にまとわりついて仕事にならないため、妻が蚊取り線香に火をつけて持ってきてくれました。お陰様で1時間ほどの作業で綺麗になりました。最近私に用事のある人たちは厳寒に声をかけ、裏に回って私の書斎の窓から侵入して、この庭を見ながら話すので、少しは綺麗にしておかないと笑われると、妻が言うものですから、ついつい力が入ってすっかり綺麗になり、石垣の石組みが主張をするようになりました。

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 続いて本命の庭に移動し草削り専用の鍬で、一生懸命草を削りました。やがて太陽が昇ってじりじりと照りつけるようになると、一気に汗が吹き出しました。ぬぐっても追いつかないほどの汗です。それでも昼までに終わらせたいと、休憩も取らず霊底から取り出した冷たいお茶を飲んだくらいで何とか綺麗になりました。

 一輪車に引いた草を積んで畑まで運び広げて干しました。こうすれば明日には火をつけて自家で焼却処分できるのです。

 一段落した12時ジャストに妻がお昼休みで帰ってきました。綺麗になった庭を見て驚き「中々やるじゃない。綺麗にしてもらってありがとう」と褒めてくれました。早速シャワーを浴びて昼食がてら一服しました。いつも思うことですが、植えた野菜や花は中々粗朶立たないのに、蒔かず植えない草はどうしてこうも元気に育つのでしょうか。生きている限りそのことを思い、生きている限り草と戦うことでしょう。


  「このままじゃ 見苦しいから 草引いて 妻の頼みを 引き受け大汗」

  「草引いた 後見て妻が まあ綺麗 褒められ嬉し まるで子どもだ」

  「少しだが 主人役割 するように なった俺見て 妻は喜ぶ」

  「早速に わが家訪ねた わが友が 庭を眺めて 感心褒める」 

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○妻と二人で夕暮れのドライブと池久保盆踊り見学

 昨夕授業を終えて大学から自宅に帰ると、人間牧場近くの西嶋さんから、頼んでおいたブドウを収穫したので取りに来るよう電話が入りました。人間牧場も前夜泊まった西川さんや脇田さんが片付けてくれたようなのですが、点検もしたいし池久保の盆踊り見学の誘いもあったので、妻を誘って出かけました。

 山道なので乗用車ではなく田舎のオープンカーに乗り込み、夕暮れの海岸国道を窓を開けて走りました。心地よい風がふたりに当たり、何ともいえない清々しさでした。右に広がる海は夕凪で、その向こうには日本一と自認する夕景が見え、まるで私たちとランデブーしているようでした。

 石久保の山内さん宅前の路側帯に車を止めてしばし雄飛の鑑賞と洒落てみましたが、妻と二人で夕日を見るのも何年ぶりのことでしょう。二人が感嘆の声を上げながら見ていると、国道のあちこちにも私たちと同じように車を止めて夕日を鑑賞をしている人が見受けられました。空は少しガスがかかっていて、その分サーモンピンクに染まった夕景は見事でした。

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 西嶋さん宅でブドウを受け取り、人間牧場へ行きあちこちを点検しました。運よくトイレの電気の消し忘れを見つけて電気を落とし、お墓に供えるシキビに枝を切りました。妻はウッドデッキに座りしばし幽玄の世界に浸っているようでした。私は再三再四日常的に人間牧場へ通っていますが、妻は忙しくていつも人間牧場の裏方として準備や片づけをしてくれるだけなので、まだ人間牧場へはほんの数回しか来ていないので、人間牧場の草刈などがきちんと行われ、掃除も行き届いているのに感心した様子でした。

 池久保のお地蔵さん辺りから太鼓の鈍い音が聞こえだしたので、急いで車で盆踊り会場へ向かいました。いつも人間牧場の来客が車を止める市道脇の場所に車を止め、急な坂道を二人で歩いて登りました。うっそうとした杉林参道はもう夜の帳が下りて、私の照らす懐中電灯を頼りにしました。

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 やがて盆踊り会場に着くと盆踊りはもう始まっていました。殆どが地元の人ですが、青島から伝わったという盆踊りはそれは質素です。でもかつて私がこの盆踊りを愛媛県の心を豊かにする公民館活動の指定を受けて掘り起こしたことや、太鼓の新調相談に応じて宝くじ助成金を100万円余りいただき、手助けしたことが懐かしく思い出されました。

 この集落も過疎や高齢化、少子化で限界集落になりつつあります。同級生も二人いますが私と同じ年齢なのにどこか活気もなくなりつつあるような感じがしました。

 本当は踊りの輪に加わりたかったのですが、持っていたデジカメで何枚か写真を撮って1時間余りで早々に引き上げました。妻は思いもよらぬ盆踊りの見学にいたく観劇した様子でした。

  「妻を乗せ 海岸国道 ドライブだ オープンカーの 風も爽やか」

  「まあ綺麗 日本一と 言う妻に 得意になって 夕日説明」

  「そういえば あんなこんなが あったっけ 太鼓聞きつつ 踊りを見つつ」

  「ほの暗い 灯り照らされ 踊る人 先祖供養の 祈りを込めて」 

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○地域マネジメントスキル修得講座二日目

 二日間で15時間の集中講義をする私も、講義を受ける受講生も、この暑さの中では大変だろうと、腹をくくって望みましたが、二日目の今日は人間牧場から冷房の効いた愛媛大学農学部の教室に、講義の場所を移したお陰でいい授業をすることが出来ました。

 大学の教壇に立つのは余り好きではありませんが、それでも15時間分のスライドショー教材を、前もって担当の後藤田先生が人数分をカラーでプリントアウトしてくれたこともあって、すこぶる順調に授業を組み立てることが出来たのです。過去8年間愛媛大学法文学部の非常勤講師をしていた時は授業の運営から学生への連絡は勿論のこと、誰も助けてくれず自分ひとりで準備や片づけをしたことを思うと、もう雲泥の差なのです。

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 本当は今日やった地域活性化概論の授業を昨日やり、昨日やった地域づくり事例の授業を今日やりたかったのですが、人間牧場が双海町にあって、現地のことは現地でしか語れないためストーリをまったく逆にして話さなければならなかったのです。

 そんなハプニングもありましたがさすが社会人学生は飲み込みが早く、すんなり受け入れられたことに感謝しています。ところで昨晩は結局西川さんと脇田さん、福島さん、それに内子町の山岡さんのご主人も加わって人間牧場に泊まり、大いに交友を温めたようです。4人とも活動家なので今日は昨晩の疲れも感じさせず、頑張って講義を受けていたようです。


 講義を3時前に終えて地域づくりの夢を語る座談会に切り替えてお話をコーディネートさせていただきました。短い時間に自分の主張をしっかりとまとめて発表し、それらの意見に受講生と私が絡む展開は予想以上に盛り上がり、地域づくり失敗の十か条で総括しました。

 受講生たちに二日間15時間に及ぶ私の話は、果たして受け入れられたのでしょうか。少なくとも会場から私のいる教壇への反応はかなり高いようだったと、数時間前を総括するのです。

 受講生の中には西川さん、脇田さん、森さん、立花さんなどなど顔見知りも多く、とても充実した二日間でした。二日間で15時間の集中講義は多少疲れましたが、まあ意味のある二日間でした。


  「教壇に 立って講義の 2日間 疲れはしたが やっと終わりぬ」

  「俺の背にゃ 客員教授の 肩書きは 少し重くて ズシリずしりと」

  「この二日 十五時間の 講義する 昨年よりは 少し進化か」

  「あと二回 授業組まれて 四苦八苦 投球修正 少ししないと」

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○暑中見舞いから残暑見舞いへ

 立秋が過ぎると私宛に届く季節の頼りも、暑中見舞いから残暑見舞いへと変化して、外は連日の猛暑で立秋を感じさせないもののやはり季節の移ろいを感じるのです。先日講演で訪ねたものの急な思いつきで出会いが叶わなかった大月町の堀光恵さんから、見覚えのある風景の盛夏見舞いをいただきました。よくよく見ればご存知わが町の下灘駅から見た夕景なのです。「素敵な写真だと思い使わせていただきました」と注釈をつけていましたが、確かにこの写真には夏から秋へと心が動く一服の清涼剤のような清々しさを感じることが出来ました。

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 さて、もう一枚はご存知定形外の親友玉井さんからのはがきです。玉井さんは裏も表も全てを使う人で、表書きにはご存知宮沢賢治の雨ニモ負ケズを引用した夏の近況、と私が毎月駄作を投句している五行歌の作品督促でした。

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 私は玉井さんの作品ともいえるはがきが大好きで、いただいた殆どは大切に保存しているのです。このはがきを貰う度に、「こんな絵が書けたらなあ」と、絵心も書心もない平凡な自分を嘆くのですが、まあ平凡な私にだって自分が気付かないだけで、何かとり得はあるだろうと思いつつやり過ごすのです。玉井さんの面白さは茶目っ気で、雨ニモ負ケズを自分の日々の暮らしにアレンジして、「閑人モ多忙ニ暮シテイマス」と結んでいました。

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 はがきの裏は北原白秋の「柳川風俗詩」に涼しげな柳川掘割めぐりの絵を添えていました。右隅には水面に垂れ下がる柳をあしらっていて、掘割の水とマッチさせて清涼感を出していました。このはがきを貰う度に私は妻にはがきを読んだり見せたりするのですが、いつも「凄い」と感心したり、「玉井さんは面白い人ね」と、思わず大笑いしてしまうのです。

 暑い暑いといってもお盆が過ぎると朝夕見える海の景色もどこか秋めいたような感じがするのです。昨日はマネジメントスキル講座に参加している尾崎益善さんから人間牧場で小さな米袋をいただきました。聞けば早場米産地に住む尾崎さん宅では既に稲刈りを終わったとのこと、2kg入りの新米を二つもいただきました。今晩は早速新米のコシヒカリを食べて見たいと思っています。

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  「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 届くはがきに 秋の気配が」

  「絵心も 書心とても ない私 とり得なしとて 自分嘆くな」

  「早場米 土産いただく 今晩は ご飯に炊いて 妻と食べよう」

  「見上げれば トンボが群れて 遊びけり 季節動きて 下るを感ず」

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○地域マネジメントスキル修得講座

 愛媛大学が社会人の学び直し講座として開設した、地域マネジメントスキル修得講座7月の学習会が二日間の日程でいよいよ始まりました。7月は私の担当で、しかも第一日目はわが人間牧場で行われるのです。受講生は遠く宇和島市日振島の人もいて、8時30分に下灘コミュニティセンターへ集合することはかなりきついと思いつつ、担当の後藤田先生から受講生に連絡が行き届き全員が時間通りに集まってくれました。

 普通だと下浜のトンネルからの近道を通るのですが、車を4~5台連ねての移動だけに奥西から池久保の道を選び、後ろの車に気をつけながら会場へ到着したのは9時10分前だったので、予定どうり9時から講義をスタートしました。昨年のように二日間とも人間牧場を想定して講義の内容を考えていましたが、明くる日は会場を大学に移すため、仕方なく内容の半分の後半の部分を先にすることにしました。

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 事務局や関係者を入れる25人ほどの参加でしたが、私流の「地域活性化論」を午前中3時間、昼食を挟んで午後3時間気を緩めず講義を行いました。今年の受講生の中には知人友人が何人もいましたが、皆さんと同じく座が帳場の座学に耐えてくれました。今日の人間牧場界隈は、下界の猛暑とは違い、少し涼しさを感じるような風が時折爽やかに吹いて、思ったより涼しさを感じることが出来てホッとしています。加えて蚊の襲来も殆どなく、蚊取り線香の世話にもならずに済みました。

 今日は事務局がビデオとスライドを用意してくれましたが、急遽レジメの順番を変えたため無視してしてしまい、少し反省していますが、明日は室内授業なので、p祖紺でスライドショーを見ながらお話したいと思っていますが、私のことゆえさて明日はどうなることやら・・・と、心配をしています。

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 数日前チロリン農園の西川さんから今晩は人間牧場へ泊めて欲しいとチロリン便りと共に手紙が届いていて、快く了承しました、結果的に西川さんと福島さん、脇田さんの3人だけの宿泊となったようですが、夕方内子町の山岡さんのご主人や子どもたちも施設見学に訪れ、あり合せの肴で一献傾けて交流をしていたようです。

 私は明日の準備もあるので早々に引き上げましたが、妻が言うように多少不自由な思いをしているに違いないのです。まあ何はともあれ一日目の研修講義は8時間に及ぶ長丁場ながら無事終わりました。あすはいよいよ市が得の7時間講義に挑戦しますが、私の思いが受講生に伝わることを祈っています。

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○年輪塾塾頭清水和繁さんと四方山話

 昨日の夜遅くに年輪塾塾頭の清水さんがわが家に立ち寄りました。清水さんは勤めの関係で松山市にに住んでいますが、週末になると土日の反対である日土と、言葉の上ではまるでお笑いのようなふるさとへ帰り、先祖伝来の田畑を守るために今流行の2地域居住をやっています。2地域居住といえば格好いいのですが、田舎の長男に生まれた宿命とでもいうべきか、耕作地を縮小しながら年老いた親に代わって荒らす訳にもいかず、必死に守っているのです。割り切って週末には海岸国道を通って日土に帰っていますが、そのエネルギーは相当なもので頭が下がる思いがするのです。日土はみかん産地なので耕作地5反といいながら急傾斜地が多く、除草、剪定、摘果、防除、収穫、貯蔵、選果、出荷、販売などなど、どれをとっても、みかんを金にすることはできないのです。気象予報士の資格を持つ彼は、農協関係に勤めているのでこだわった農業をしていますが、したたかにさりげなく生きている彼から学ぶことはとても多いのです。

 愛媛政策研究センターに研究員として出向して頃彼と知り合ったので、私の交友関係ではそんなに古い友人ではありませんが、人間牧場で開いている年輪塾や年輪塾ネットの元締めである塾頭に指名してからは、馬鹿殿様のたぐいの塾長である私の手足や頭脳となって、存分以上の働きをしてくれているのです。

 おそらく週末農業をしているので暇などないだろうと思うのですが、今年の春から始めた年輪塾のテーマである二宮尊徳を研究し尊徳翁夜話を読破したばかりでなく、夜話の解説テキストを作りネットで会員に配信しているのです。

 昨晩はその解説編とでもいうべきテキストが233話まで出来上がり、そのコピーと共に手に入りにくい黒岩一郎の新講二宮尊徳夜話をジュンク堂で購入して私にプレゼントしてくれました。

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(清水さんから贈られた年輪塾の「二宮翁夜話」巻の四、巻の五と新講二宮尊徳夜話)

 退職しても忙しく動き回っている私と、本業仕事をしながら週末になる農作業に励む彼とが出会うことは不可能なような気もするのですが、今の私が一番信頼を寄せ暇を見つけて出会うのは清水塾頭と松本小番頭なのです。昨晩は私の書斎で故障した携帯電光掲示板の修理をしたり、今後の年輪塾の進め方について意見を戦わせましたが、奥の深い論語や夜話に加え他愛のない世間話をお茶を飲みながら話し、月や星の行方を追うように闇の彼方へ消えて行きました。私が人間牧場で学生たちに講義をしているであろう日中は、朝早く起きて防除作業に汗を流すのでしょうが、精をつけろと私が骨切りをした鱧を少々差し上げました。

 田舎の長男に生まれる宿命を清水さんも私も背負っていますが、長男に生まれたことを宿命とせず運命に変えて生きています。宿命は変えられませんが運命は心の持ちようでいかようにも切り開けるのです。さあ今日も清水さんを見習って頑張るとしようか。今朝も朝4時に起きて3枚のはがきを書き、ブログを一本書き終え、10分読書をしました。平凡なことを習慣化して続ければ非凡になります。


  「長男に 生まれたゆえの 宿命を 運命変えて 今日も楽しく」

  「尊徳の 夜話の全てを データーに 直し配信 二三三話」

  「尊徳の 原話を書いた 本見つけ 塾長贈る 塾頭さすが」

  「塾長の 浅学見抜き 本贈る もっと勉強 言わんばかりに」

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○私も北欧フィンランドの暮らしをしてみたい

 北欧フィンランドでは短い夏を惜しむように日光浴をするのだそうです。うだる様な暑さの日本では考えられないような習慣でしょうが、休暇は湖畔や海辺の別荘で過ごすのが定番と聞けば、働き蜂の日本人には何とも羨ましく、「それはお金持ちのすることでしょう」と勘ぐりたくもなるのです。しかしフィンランドの人はごく普通の人でも電気や水道もない自然の中に小屋を立て、薪割りや魚釣りを楽しむようです。


 ここまで書くとごく普通の金持ちでもない私だって、人も来ないような不便な場所にまるで隠れ家のような小屋を立て、週末や休暇どころかサンデー毎日の空いた日には殆ど、小屋に出かけて草刈をしたりミツバチの世話をしながらリフレッシュしているのですから、あくせく働いている人から見れば何とも羨ましい三昧な暮らしなのです。でも私の場合は小屋を作り始めて6年目になりますが、まだ小屋での遊びを楽しむところまでは到達してなく、しかも小屋は来客や研修に使っているのですから、少し使う方法を考えなければならないようです。

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(ただ一人、背もたれ椅子にもたれて転寝を楽しむ「うーん幸せ」)

 今日も、明日から2日間愛媛大学農学部の学び直しスキルアップの研修会が2日間、人間牧場で行われるため掃除に出かけました。私は農学部の客員教授をしているので、二日間で15時間の集中講義をする予定です。本当は二日間とも人間牧場の予定でしたが、カリキュラムの都合で二日目は、大学の涼しい部屋での講義になっているようです。

 今日の人間牧場は風もなく穏やかでしたが、その分温度が高く掃除や周辺の草刈で大汗をかきました。この分だと座学を基本とする明日の講義は、学生にとってはかなりきついかも知れませんが、まあこれもいい経験だと思えば、思い出に残るのです。


 明日は旧友であるちろりん農園の西川さんが世話役で4~5人人間牧場へ泊めて欲しいと依頼がありました。西川さんはフィンランド人とよく似た暮らしをしていて、金をかけない遊び心も旺盛な人なので、大いに楽しむものと思います。私も仲間に加わりたいのですが、明くる日の講義があるため、人間牧場を西川さんに明け渡して帰らなければなりません。

 「晩飯や朝飯はどうするのだろう」と不安になってきました。まあ西川さんのことですから自給自足をすることでしょう。


  「夏短か フィンランドの 人のように 三昧暮らし したいけれども」

  「明日のため 額汗して 牧場掃除 ゴキブリ二匹 追い掛け回す」

  「背もたれに もたれ転寝 ウトウトと 自動シャッター しっかり写る」

  「明日は又 人が沢山 集まりて 自慢の喋り 朝から晩まで」 

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○時間は等しいが短くも長くも自由になる

 毎日毎日24時間という時間があっという間に過ぎ去って過去になり、私たち人間は今もこれからも老いに向かって着実に進んでいます。誰にも止められないこの時間的スピードも、時には長く、時には短く感じたりするのは何故でしょう。その答えは自分のこれまでの人生の中にあるようです。

 人間誰しも好きなことや嫌いなことがあります。例えば研修会で聞く90分の講演も、講師の話術がいいと短く感じますが、下手糞な話や義務で参加して聞く興味のない話はとても長く感じて、時には居眠りをして住まうことがあるのです。これは相手任せによる時間の長短感覚なのですが、本当は自分の心のありようで受動から能動に心を変えれば、学びの時間的効果は高くなるのです。

 私は若い頃から積極的に生きようとする余りに人の話を聞く時、自分だったらこう考えると意識しつつメモを取っています。ゆえに人の話が終わって意見を求められると、既に自分の発表する心構えや意見がまとまっているので、誰よりも早く手を上げて意見が述べれるのです。みんなが躊躇している間の最初に意見を述べる、これは効果抜群で相手や聴衆に、「若松さんは中々いい意見を述べる」と意識付けできたのです。

 このやり方は後のコーディネーターや司会をする技術として大いに役立ってきましたが、「果たしてこれが良かったのか?」と考えれば、自分の意見をまとめることに集中し過ぎて、相手の意見を聞くことをおろそかにしてきたような気もするのです。私のこの生き方は40年もかけて訓練して出来た生き方なので早々は直せませんが、今は人の話しを理解しようとする方向に軸足を移して話を聞くようにしているのです。

 さてお金持ちにも貧乏人にも人間に等しく与えられた24時間を効果的に使うにはどうしたらいいか、これは人間誰もが考える時間の過ごし方ですが、もっと時間が欲しいと時間延長説を考えるよりも、時間短縮説の方がはるかに人生が充実するように思うのです。嫌々やると時間を長く感じ、充実していると時間を短く感じる人間の心理をとらえて、時間×エネルギー=仕事の成果で、時間を短く感じながら仕事量を増やせば、結果的には24時間が時には2倍も三倍もの仕事量や時間量となるのです。

 人間は毎日3分割法、つまり3分の1を寝る、3分の1を仕事、3分の1を自由時間として使って暮らしています。もし私のように寝る時間を前後2時間ずつ削ってエネルギーに変えて何かに使えば、これはもう凄い時間量の増加になるのです。私はこれまで12年間毎朝3時間自分の作ったシーサイド公園でボランティアで掃除をしました。3時間(エネルギー)×365日×12年間=13140時間もの時間を作り出したのです。またリタイア後の5年間毎朝1時間、毎晩1時間合計2時間をブログ書きに費やしてきました。2時間(エネルギー)×365日×5年間=3650時間、これも私の人生の時間的貯蓄なのです。掃除とブログだけでもこんなに短く感じる時間を蓄積できた時間の使い方を、これからもやっていこうと思っています。


  「短くも 長くも出来る 日々時間 いい事選び 習慣化する」

  「ちゃっかりと 妻の寝ている 朝と夜 毎日二時間 エネルギー使う」

  「凡人の 俺にも出来る 毎日の ちょっとしたこと コツコツ貯める」

  「一日が 充実すれば 人生も いいものなると 信じて生きる」 

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