〇夕焼けコンサート秘話(その2)
私は町の役場に勤めていた若いころ、教育委員会で13年間社会教育に携わりました。そのころは36の集落ごとにある自治公民館で、様々な学習活動が行われていました。夫婦学級や金儲けの公民館活動と称した面白い学習活動は、集落の戸数の倍の人が集まるほどでした。
その様子がNHK「明るい農村」というテレビ番組で取り上げられることになりました。東京からカメラマンとディレクターの2人が取材にやって来ました。二人を出迎えるため約束の上灘駅に迎えに行きましたが、列車が着いても2人は降りて来ませんでした。「おかしい」と思っていると、駅前の上田屋という雑貨屋のおばちゃんが、「今役場から電話があってあなたの待っている人は、間違って下灘駅へ降りたようです。迎えに行くようにとの伝言です」と言われました。
私は公用車を走らせ下灘駅に着くと、取材に来た2人は駅のプラットホームで、今まさに沈まんとするダルマの夕日を見ながら、「若松さん私たちは降りる駅を間違えてラッキーでした。こんな綺麗な夕日は見たことがありません」と言うのです。私の心の中にあった①子どものころから見続けていた下灘の夕日、②水産高校の実習船えひめ丸で遠洋航海に出かけた折見た夕日、③青年の船でアメリカ・メキシコ・ハワイに行った時見た夕日などなどの夕日の潜在能力が浮かび上がった瞬間でした。
以来その夕日に気狂いして全国各地を巡り、どれほどの夕日を見たか計り知れませんが、天気率の良い瀬戸内海に位置するわが町の夕日を何とか地域資源として売り出したいと思うようにになりました。「沈む」「落ちる」「没する」という夕日の持つマイナスイメージが強い故、またどこにでもある故地域資源にはなりにくく、夕日を売り出すのには苦労しましたが、予讃線海岸周りの存続を隠し味にした夕焼けコンサートによって、思わぬ方向へ好転し始めました。生きているうちに夕日夕焼け物語を聞き語りしておかねば・・・と思い始めました。
「間違いが きっかけだとは 意外です 夕日がテーマ 散々苦労」
「駅前の 福井商店 今はない プラットホームの そこここ足跡」
「40年 遍歴を経て 今がある 多くの人に 愛され続けて」
「巡り来る 存続の危機 乗り越えて 孫子末代 残して欲しい」