〇名刺にハガキ・ブログにface book(その4)
私の携帯とPCに相次いで二人の友人からメールが入りました。一人は長野県に住む友人Aさんからです。Aさんは役場の職員でしたが、この6月に町長選に出馬するため6月末で役場を退職した旨のあいさつでした。Aさんとは高知県馬路村で開かれた地域づくりの全国大会で知り合い、そのご縁で講演に招かれたり、お互いの地域の特産品を送ったり送られたりする親しい間柄となって、お互いがお互いを刺激しながら付き合ってきたのです。私の友人にはAさんのように、地域づくりの関係者が多いためでしょうか、首長や議会議員に立候補する人が多く、選挙の度にその行方が気になるのですが、当選すればワンランクアップの肩書きを名刺に刷り込めるものの、落選すれば折角長年かけて積み上げてきた肩書きが、まるで積み木崩しのように跡形もなくなり、むしろ今まで見えなかった社会の冷たい視線を感じながら、ひっそりと生きて行かねばならないのです。私は「当選すれば天国、落選すれば地獄、くれぐれも頑張るように」と激励とも思えるメールを送りました。
私は妻から、「選挙に出るんだったら別れましょう」と三行半を突きつけられているので、それが怖くて度々誘いや勧めがあったけれども、妻との離婚が怖くて選挙には出ませんでした(大笑い)。ゆえに積み木崩しを経験することもなく今に至っていますが、人間の値打ちは肩書きではないと胸を張ってみたところで、社会は肩書きで人の値打ちを判断する悪しき習慣があるようです。
私にメールをくれたもう一人は、偶然でしょうかAさんと同じころ高知県馬路村で知り合った馬路村役場職員の木下さんです。彼は1100人の小さい村ゆえに、何でもこなさなければ生きて行けないからそうなったのかも知れませんが、いわゆる何でもできる好夢員でありマルチ人間です。若い頃の私とそっくりなポジティブ人間ゆえに、気が合い家族ぐるみの付き合いをしていますが、彼からのメールでは、10月21日付で総務課長になったというのです。幾ら小さな村の小さな役場といいながら、常識で考えると総務課長といえば課長職の最上級の職席ですから、48歳の年齢から考えればこの上ない出世?なのです。
早速私も馴れない手つきで、携帯電話を使ってメールを返信しました。その文面は「有頂天にならず頑張るように」との誡めでしたが、おっつけ電話が入り、総務課長が教育長になって総務課長の席が空いたからだと笑っていましたが、出世に浮かれる様子は微塵もなく、むしろ勇み足にならぬよう誡めるほど、やる気満々のようでひとまず安心した次第です。
彼のアイディアたっぷりの八面六臂な活躍も、話題の名刺もしばらくの間封印しなければならない部分もあるようですが、彼の名刺には否応なしに「総務課長」なる肩書きがつき、自分のプロフィールにも書き加えられることでしょう。
先日私のところで、ちょっとした騒動が持ち上がりました。役場職員は退職すれば地元の自治会長や神社仏閣の役職が堰を切ったようにやって来るのです。今まで役場職員だったため免除されているのですから当然なのですが、役場で同僚だった友人は「役を受けなければならないのならこの町を離れる」とまで断言し、聞く耳を持たず固辞し続けているのです。また私が会長をやっているOB会の世話役も次の人に回そうとすると、それさえも「会を辞める!!」とまで言い張り、受けてくれないのです。彼の殺し文句は、「あんたは役が好きだからできるが・・・」でした。頭を殴ってやりたいような心境になりました。皆さんはどう思いますか?。私は「〇×▲□・・・・」です。
「名刺には 肩書きもなく ひっそりと 歳を加える 田舎のおやじ」
「当選を すれば肩書き ワンランク アップするから 選挙は魅力」
「課長職 なればなったで 一苦労 過ぎてしまえば 値打ち変わらず」
「役受ける くらいだったら この町を 離れるという どんな神経?」