〇ラッキーな一日(その2)
私にとって昨日はラッキーな一日でした。それは私の恩人とも言える広島県向島に住む半田正興さんに出会えたからです。恩人と言っても別に半田さんから何かを貰ったりお世話になった訳ではありません。私が仲間とともに21世紀えひめニューフロンテアグループを結成し、学習手段としてフロンティア塾を思いつき、10年で40回の学集会を行ないました。その12回目を平成6年2月12日~13日に開いた折、講師で招いた親友の平井悦夫さんから、半田さんが書いて出版した「はがきはうれしい活力素」という本をいただきました。その中には「一日三枚のハガキを書いたら人生が楽しくなる」と書かれていました。私は半信半疑ながらその言葉を信じて明くる年の正月1月1日から毎日3枚のハガキを、盆も正月も病に臥せっていても毎日休むことなく今日まで書き続けているのです。
これまでにも半田さんには一度だけお会いしたことがあります。いつだったか記憶は定かではありませんが、確か私が広島へ講演に出かけた折、半田さんは会場まで来られて私の話を聞きいてもらいました。ハガキの達人だけあって直ぐには害の便りが届きました。今もそのハガキは肌身離さず、私のお宝として木になるカバンに入れて全国へ持ち歩いているのです。昨日私に続いて講演した半田さんの演題は、「はがきに花を咲かせたい」でしたが、隣から出火して自宅を類焼した際、家裁道具全てを焼失させ、私が今も持ち歩いている「ハガキはうれしい活力素」という本も全てなくしたそうでした。
富士山頂はがきのびとの集いの話、想い想われるはがきの世界、一人新聞でさらに愉しい世界、ときめい読書会の起ち上げを話題に、朴訥とした口調の話し方はとても印象的でした。
坂田さんの話は「ハガキ道に生きる」でしたが、むしろ精神論に重きを置いた話でした。体調が思わしくないのかステージの演台上に座布団を置き、その座布団にもたれて、絞り出すような甲高い声で話されましたが、私の健康的な姿を上とするなら半田さんの姿は中、坂田さんの姿は大変失礼ながら健康的には下といった感じがしました。
昨日は私のパトロンであるギノー味噌の田中正志社長さんもメンバーの一人として見えられていました。田中さんは奥さんと息子さんの3人で来ていましたが、いつもながらの偉ぶらぬその態度や、トイレ掃除をする会の会長さんとして日ごろ活動している実践、それに人脈の広さにはただただ感心するばかりです。昨日も「裏が味噌」の名刺を片手に思い切り宣伝させてもらい、いただいた300g入りの「伊予の麦味噌」を参加者全員に配りました。名刺もたくさん交換し、とてもラッキーな一日でした。
「台風が 去ってラッキー 人に会い 話が聞けて ラッキでした」
「世の中にゃ 恩人と呼ぶ 人多く 偶然ながら その人に会う」
「20年 コツコツ書いた ハガキだが 元はといえば この本でした」
「演台に 座布団置いて 身を委ね 話す姿は 始めて光景」