〇大方の松原と砂浜と太平洋
民宿船母は四万十川のほとりにあります。少し早めに床に就いたため、家にいる時と同じく朝4時に目が覚めました。あたりが明るくなり始めると、ヒグラシのような甲高虫の声があちこちから聴こえてきました。普段着に着替えてそっと民宿を抜け出し、直ぐ下の沈下橋まで下りて行きましたが、残念ながらこの沈下橋は最も古いタイプのようで老朽化が激しく、ワンスパンだけが取りはずされて架け替え工事が行われていて、通行不能となっていました。橋を渡れば宇和島市の背後に聳える鬼ヶ城を源流とした四万十川の支流、黒尊川へと続くので、一度はその源流も突き止めて見たいと思っていますが、いつになるやら・・・・。
前夜寝る前女将さんに、「朝食は6時にお願いします」と頼んでおいたので、散歩から帰ると既にほのかな味噌汁や焼き魚の匂いが二階の部屋まで届いてきました。急いで顔を洗い身だしなみを整えて朝食をご馳走になりました。「黒潮町の大方高校まではどのくらいの時間で行けますか?」と、ご主人に聞けば「朝の多少込み合う時間帯なので一時間くらいあれば大丈夫」だと聞いていたので、少し早目の6時40分に民宿を出ました。口屋内から少しの距離は離合も困難な国道とは名のみの道があって、多少手間取りましたが、渋滞の影響もなくすんなり途中から国道56号線を走って、入野松原の入口付近まで到着しましたが、少し早いので、太平洋を見てみようと思い右折して松原に入りました。
今朝の太平洋は穏やかで、早朝だというのに県外ナンバーの車で乗りつけたサーファーが波乗りサーフィンを気持ち良さそうに楽しんでいました。この砂浜を利用して砂浜美術館と銘打ち、Tシャツを集めて干したイベントは、全国に名の知れたまちづくりの優良事例として紹介された時代がありました。背後の松並木といい、広々とした砂浜といい、また青い太平洋の海といい、とても気持ちの良い絶景のスポットでした。
この海に来ていつも思うのは、ジョン万次郎のことです。万次郎はこの海で遭難し鳥島まで流され、アメリカの捕鯨船に発見され、ホットフィールド船長と運命的な出会いをした海なのです。
時代は違いますが私も水産高校の実習船愛媛丸でこの海を航海したことを思うと、いつまでも見飽きない運命の海なのです。そうこうするうちに時間が近づき、大方高校を目指しました。