人間牧場

〇下灘という同じ地名

 昨日は弟の息子のお嫁さんのお父さんが、4~5日の患いで急逝したとの知らせを受けて、宇和島市津島町までごあいさつに出かけました。昨晩が通夜今日が葬儀のようでしたが、あいにくスケジュールが立て込んでいるので、失礼とは思いながらの訪問です。県内なら常日頃から講演などに出かけているため、おおよその土地勘は分るので、カーナビの手助けを頼ることもなく、双海、長浜、八幡浜、宇和と海岸線から山道に入り、宇和から高速道路に乗って津島町安らぎの郷まで高速道路無料区間を走りました。

 私が訪ねようとした甥の嫁さん生家は、今は平成の合併で宇和島市となっていますが、旧北宇和郡津島町下灘です。私の町にも同じ地名の下灘というのがあって、漁協も下灘漁協、学校も下灘小学校なのです。ゆえに甥は下灘小学校や下灘中学校卒業ですが、甥の嫁さんもまったく場所は違うものの下灘小学校と下灘中学校の卒業なのですから、余程ご縁が深かったのでしょう。
 かつて下灘公民館へは漁協女性部の招きで講演に出かけたことがあるので、弟から「学校のすぐ近く」と聞いていたので人に聞くこともなく、門前に葬儀用の提灯が飾ってあったので、直ぐにその家を探し当てました。

 ごあいさつをしながら案内されて亡くなったご主人の棺の前に進み、棺に入れられたご遺体と面会し、線香を手向け合掌しました。聞けばご主人は62歳の働き盛りの年齢だそうで、心筋梗塞で入院しカテーテルを施したお陰で快方に向かっていた矢先の訃報でした。真珠母貝の養殖を生業とした漁師さんでしたが、湾内に浮かぶ真珠養殖筏には、自分が手掛けた真珠の母貝が育っていることを思うと、さぞ心残りだったろうと察するのです。86歳のおばあちゃんや奥さんの嘆き悲しみは目に余る光景でした。労働力を失った家内労働養殖漁業は、多分存続できずは廃業しなければないのではないかと思うと、胸に迫るものがありました。

 しばらくの間家族の皆さんと雑談した後お茶をいただきお暇しましたが、近くにある下灘小学校の中庭には、統合して今はなき下灘中学校の来歴石版石碑が見えました。帰る途中見た下灘漁協も真珠養殖漁業の不況のあおりで、倒産の憂き目に這い再建半ばと聞いています。かつては真珠養殖の好景気に沸いた漁村も、過疎や高齢化という極めて厳しい暗雲が垂れ込めているようです。下灘という同じ名前の地名だけに人事とは思えない感じを持ちながら来た道を引き返し、家路を急ぎました。

  「下灘と いう同じ名の 土地訪ね 訃報の門を くぐりて合掌」

  「62歳 まだまだ若い 急逝を 先に逝ったと 母親涙」

  「ご縁とは 不思議なものと 思いつつ 同じ名前を なぞりながらも」

  「繁栄の 跡が見られる そこかしこ どこか寂しい 漁村の風景」

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