〇往復800キロの旅(その3)
今日は二日間800キロという旅の疲れを少々感じているため、このワード・プレスブログの原稿記事を書く意欲が湧かないので、この続きは明くる日にして、少しテレビを見ながら休憩したいと思います。お休みなさい。
昨日の夜はこんな書き込みをしてから、日ごろより少し遅い夕食を、旅の話を妻に聞かせながら食べました。そして孫たちと久しぶりの風呂を楽しんだ後、テレビを見ながらコタツの中で横になりでウトウトしました。妻に促されて布団の中へ入りましたが、やはり少し疲れていたのか、昨夜はぐっすり寝込んで朝を迎えました。
今朝は疲労もすっかり回復して、気分爽快な朝をいつものように迎え、朝4時に起床しました。それにしても昨日で終わった先週は、月曜日・宇和島市(宇和島市少年補導委員研修会)、水曜日・四国中央市(土居高校講演会)、木曜日・松山市(四国高校教頭研修会)、金曜日・双海町(伊予市民生委員役員研修会)、土曜日・鳥取県岩美町(まちづくり講演会)、日曜日・広島県三原市(シルバーセンター30周年記念講演会)と、つい最近にない超ハードなスケジュールをこなしました。妻が感心して言うように、よくも行く所があるものです。
昨日は宿泊先の岡山市内のホテルを少し早めに発って、高速道路を乗り継ぎ尾道から、国道2号線バイパスを走り三原市へ向かいました。この道も何度か通っているのですっかり見慣れた光景を三原市内へと入りました。会場となっている三原市中央公民館が近くなるにつれて、生涯学習フェスティバルや健康祭りの開催を告げる何本かの幟が、小雨に濡れてはためいていました。この日の講演会は午後1時からなので、それまで新幹線の窓越しに時折見えていた三原浮城城址を一目見ようと思っていたので、新幹線と在来線が同居する駅前の有料駐車場に車を入れて、軽装のままで歩き始めました。三原城址はまるで三原駅構内に戦国時代のジオラマのようにあるのです。国の史跡ともなっているのに、これらの文化財を壊してまで「ひかりは西へ」という高度成長時代の合言葉を信じて、新幹線を引き込んでいるのです。
私は若い頃、新幹線で東京へ行く時は、当時松山観光港から三原港まで水中翼船が走っていて、宇品港から新幹線の乗り場までの距離が遠い広島市内に比べ、港と新幹線の乗り口が目と鼻の先で便利だったため、よく利用した思い出の場所なのです。さすがに港も駅もすっかり様変わりしていますが、三原城址は当時のままでした。駅構内から城址台に登りました。午前中でしかも夜来の雨で濡れていたため、私以外人の気配は感じられませんでしたが、時折高速スピードで通過する新幹線列車の風圧で地面が揺れるのを感じ、百日紅の紅葉をゆっくり眺めながら散策しました。城址はその昔小早川隆景が小島を使って城を築き、それが満潮になるとあたかも浮き島に似ていることから、浮城と呼ばれていたそうです。そのことを示すように城跡には何本かのウバメガシの老木がありました。しかもそのウバメガシはチリメンウバメガシという珍しいもので、葉が突然変異でちじれているのです。他にも珍しい始めて見る木々もありました。
「2日間 中国地方を 旅をする さすがに疲れ 眠りの床に」
「若い頃 水中翼船 利用して 三原の港 乗り降りしたっけ」
「駅構内 城の石垣 あるという 世にも不思議な 光景見つつ」
「浮城と 言う別名は なるほどと チリメンウバメ 身ながら思う」