人間牧場

〇誕生日の花束プレゼントに涙

 昨日は私の68回目の誕生日でした。その前日の2日、愛媛新聞カルチャースクールでの講義を終え自宅へ帰って玄関の戸を開けると、玄関先に何やら大きい花束が2つ置かれていました。「もしや」と私のシンパーシー回路が動き始め、緒方二三子さんと西岡真由美さんの名前と顔が同時に思い浮かびました。
 緒方さんと西岡さんとの最初の出会いは定かではありませんが、私が地域振興課長をしていた15年も前、いつものように朝ふたみシーサイド公園の掃除をして、集めたごみや空き缶を砂浜から汗だくで駐車場まで運び上げていると、若い二人の女性が花束を持って現れました。その頃の私は毎日忙しく働いていて、その日が自分の誕生日であることさえ忘れていたし、自分の誕生日に花束をプレゼントしてもらうことなど夢にも思っていなかったのです。

母の命日お供えの花

 突如として二人の女性は私に「誕生日おめでとうございます」と花束を渡してくれましたが、居合わせた漁協女性部のじゃこ天の皆さんや、かなり沢山の見知らぬギャラリーも加わって、総勢100人もの人に取り囲まれ屋外の花束贈呈となったのです。
 二人の顔に見覚えはあったものの、失礼ながら何処の誰かも分かりませんでしたが、花束に書かれたメッセージカードに、「お誕生日おめでとうございます。緒形二三子・西岡真由美」とシンプルに書かれているのを見て、二人の名前が分かったのです。あれから何年経ったのでしょうか。私は退職し自由人となりましたが、それでもいち市井の人なのに、10月3日が来れば二人の女性は必ずこうして花束を届けてくれるのです。

 ところがどういう訳か今年は花束が2つありました。一つは明らかに誕生日を祝う華やかな花束でしたが、一つは少し控え目な花束でした。そのうち留守番をしていた親父がやって来て、「若い娘さんが二人やって来て、花束を置いて帰った。二人を海の資料館海舟館に案内してあげた」と言うのです。94歳の親父に名前まで聞くのは野暮だと思い、「二人とも喜んで帰った」と言う報告にとどめました。
 そのうち私は花束を妻にも見せなけれればと思いそのままにして、急用ができて市役所地域事務所へ出かけて帰ってみると、妻が玄関先に座り花束を解いて、二つの少し大きめの花瓶に活けていました。一つは玄関先に、一つはわが書斎に飾ってくれました。(母の命日にと届いた花は早速仏壇の前に移動して飾りました)

誕生日に贈られた花束

 夕方お礼の電話をしようと思い、パソコンの住所録から名前を検索し、妻が144番に電話して電話番号を調べてくれました。食事が終ったころ二人にお礼の電話をかけましたが、運よく在宅で二人と直接お話をすることができました。お二人はこれまで何度も花束を持って、一年に一回わが家を訪ねていますが、海の資料館海舟館を見学すしたのは始めてらしく、親父の説明を聞きながら見学したことを、大層喜んでいただきました。それにしても毎年届く花束に少々赤面しながら、今年も甘んじて花束を受け取りました。勿論私としてはこの上ない喜びですが、立派な花束はお金もかかるであろうことを思うと複雑な気持ちです。
 電話で聞けば、もう一つの控え目な花束は私の誕生日の明くる日に亡くなった、母への供養だそうで、これまた凄い気配りでした。伊方町瀬戸の名産金時芋とシラスの釜揚げまでいただき、柄にもなく少し涙ぐんでしまいました。親父の言葉を借りれば「若い娘さん」の緒方二三子さん・西岡真由美さんありがとうございました。これからも一生懸命生きて行きます。

 

 

  「玄関に 何やら二つ 花束が メッセージ見て 感動しきり」

  「留守番の 親父言うには 若娘 花束持って 来たので案内」

  「私には 貰う理由が 見当たらぬ 顔も落伍で 足も短い」

  「花束が 届くその度 心して 生きて行こうと 誓い新たに」

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