〇滋賀県米原へ講演に出かけました(その1)
「私を知っている人が日本全国にはどの位いるのだろうか?」と思いつつ、老いのわが身も省みず知人友人からのお誘いの言葉を真に受けて、昨日は滋賀県米原市まで出かけました。何がきっかけでこのまちと出会ったのだろうと、比較的長い道中の間、歳とともに薄れ行く記憶の彼方を必死に探すものの、結局探し当てることは出来ませんでしたが、会場に来てくれた澄子さんとの思い出話で、やっとその疑問の館から抜け出すことが出来ました。
聞けば澄子さんこと澄ちゃんと出会ったのは、私が双海町役場で地域振興課長をしていた頃、福井県鯖江市で開かれた地域づくり全国大会だったそうです。私と同僚の二人で優秀地域づくり活動団体にノミネートされ、発表で順位を競うという大会に参加していました。学習院大学大学院教授の伊藤滋先生が審査委員長、審査委員にはNHKの山根基世アナウンサー等、そうそうたる人が名を連ねて壇上に居並び、私たちはその前で8団体の一つとして発表をしました。審査の結果は国土庁長官賞、全国地域づくり団体実行委員長賞という最高賞を受賞し大いに気を吐いたのでした。
その日の夜のレセプションでは私たちの前に長い行列が出来、持参した名刺が一夜で300枚も売り切れたのです。私は多い時は一ヶ月600枚もの名刺を使っていましたが、自分の人生の中で一日の名刺使用量の最高を記録したのです。その時澄ちゃんも300枚の中の1枚を名刺交換したようで、私は澄ちゃんの名刺を見て、「役場のまちづくり担当者になったからまちづくりの仕事をするのだったら、できるだけ早く止めなさい。まちづくりは地域住民である限り一生の仕事にするような気概を持ってください」と言ったそうです。澄ちゃんはそのことをしっかりと覚えていて、役所を辞めた今もルッチ大学の卒業生たちが組織した団体の代表として、指定管理者となってまちづくりに貢献しているのです。
米原と合併した旧山東町のルッチ大学にはそのことがご縁で、以後何度か招かれ、ルッチ大学の修学旅行先にわが町を選んでもらったこともあって、ルッチ大学生を沢山知っているのです。
米原駅に1時間ばかり早く着いたので、生涯学習課の担当である長野温子さんに電話を入れ、改札口を出た所で迎えの車を待っていました。正面の壁面に東日本大震災の現場で「親子」というテーマで写真を撮り続けている写真家ブルース・オズボーンという人の写真展が開かれている写真が目に留まりました。陸に打ち上げられた船や漁具、瓦礫の中で親子が写っていました。真ん中には米原市長さんのメッセージがあったので、一通り読ませてもらい、直ぐに紙の裏に走り書きで書き写しました。
「日本百名山の一つ息吹山を有し、国内最大の湖・琵琶湖の一大水源である「水源の里まいばら」は多くの生き物や農作物を育む水や空気のふるさとであると同時に、「この繁栄した現在に生きる人々の心のふるさとでもあります。しかし、同じように日本の繁栄を支えてきた東北の多くのまちでは、東日本大震災によって大きな被害を受けました。被災地では今も多くの方々が力を合わせ、逆境に耐え、様々な苦悩と懸命に闘っておられます。
水源の里の理念は、上流と下流の支えあいの中で活動を行い、過疎化、高齢化により地域の活力が低下している集落の、持続的発展を目指すものです。その鍵となるものが、ふるさとを育んだ親子の絆であり、人と人との絆、地域の絆であります。米原市はこの失われつつある絆を再生することこそが、現代が抱える課題の解決につながり、まちの未来を築くためにとても大切なことであると考えています。(以下略)
滋賀県米原市長 泉峰一
いやあ素敵なメッセージでした。私はこのメッセージを午後からの、講演とパネルディスカッションで紹介しようと思いました。米原駅の東口で迎えの車を待っていると、米原曳山まつりの曳山が賑やかに曳かれているのを、ラッキーにも遠目に見ることができました。全国各地にはそれぞれ地域に相応しい祭がありますが、残念ながら近くでは見れなかったものの、いいものを見せて貰いました。
会場となっているルッチプラザはこれで3度目ですが、施設も人も変わらぬ姿で私を温かく迎えてくれました。特に92歳になる杉本宇エ光さんが車椅子を使って、私のいる控室まで面会に来ていただいたことは大きな驚きでした。杉本さんは高齢のためデイサービスに週に4回通っているようですが、私が吹いたハーモのかの音色を覚えているそうで、硬い握手を交わしてくれました。いやあ何よりも嬉しいことでした。
「澄ちゃんの 話によれば 福井県 鯖江で名刺 ドラマ始まる」
「車椅子 九十二歳の おじいちゃん 私に逢いに やって来てくれ」
「米原の 駅にて曳山 見るチャンス 伝統文化 ここに息づく」
「駅前の 壁面飾る 写真展 メッセージ読み 走り書きする」