〇花二題「彼岸花と沙羅双樹」
先週の金曜日、松本さんと浜田さんを交えた3人で鳥取で開かれた全国大会に参加しました。暦の上では初秋といいながら、中国地方の山々は、まだ紅葉の気配も感じられませんでした。しかし田圃のあぜ道には真っ赤な目にも鮮やかな彼岸花が至る所に今が盛りと咲いて、群生地では目を奪われてしまいました。
昨日私の友人で先輩でもある玉井恭介さんのブログ「考える村村長だより」を読みました。その文章の中にも博学にして研究熱心な玉井さんらしく、彼岸花のことを詳しく紹介していましたので、彼岸花の薀蓄は割愛しますが、毒花なのに何故か日本のあちこちにはこの頃になると彼岸花が沢山咲いているのです。
私たちが訪ねた鳥取県南部町の文化財巡りの途中の道端にも、綺麗な彼岸花が沢山咲いていました。
旅の途中余裕の時間を使って訪れた、山陰きっての名刹である投入堂という国宝のお寺の境内で、沙羅双樹という珍しい木を見つけました。今は花の時期ではないため花を見ることは出来ませんでしたが、何故か看板に目が行き、デジカメで撮影しました。
平家物語の冒頭で、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」と書かれている言葉は余りにも有名ですが、どうして「沙羅双樹の花の色」が「盛者必衰の理」をあらわすのかは、私のような凡人には知る由もないのです。ものの本によると「釈尊が沙羅林に横たわった際、季節はずれに花が咲き、散って釈尊の実を供養した」とか、「釈尊が横たわったところの東西南北に、各一対の沙羅の木があり、入滅と同時に東西の二双と南北の二双が合わさって、それぞれ一樹となり、釈尊を覆った」などなど書かれていますが、沙羅双樹の花は「咲いて一日で枯れてしまう」が「理」かも知れないと勝手に思ったりしました。
沙羅双樹の木について書いていると、どうしても沙羅双樹の花が見たくてインターネットで調べてみました。さすが平家物語で名高い花だけあって、ネットでは花の写真が沢山紹介されていますが、その花の殆んどは夏椿で、沙羅双樹と夏椿は別のものという説に納得して探しましたが、今朝は見つかりませんでした。
実は夏椿ならわが家の庭の隅にも、友人から貰った一樹が植えられていて、この花より少しピンクがかかっているようです。
彼岸花も沙羅双樹も仏様に関係の深い花であることはよく分かりましたが、来年の沙羅双樹の花の咲くころに、何処かのお寺へ本物の沙羅双樹の花を見に行きたいと思っています。
「沙羅双樹 この目で理 確かめに 出かけてみたい そんなワクワク」
「夏椿 ならばわが家の 庭にある だけど違うと 多少混乱」
「彼岸花 彼岸過ぎても 咲きにけり 真っ赤な帯が 田圃の畦に」
「調べれば 余計に謎が 深くなる 沙羅双樹とは う~ん深いな?」