人間牧場

○目に異物が・・・・・

 今朝もいつもと同じように朝4時に起床しました。朝晩は気温も上がりすっかり過ごしやすくなっているため、パジャマのままでその上に一枚袖なしを羽織り、書斎へ入っていつものように朝読を始めました。10分くらいして瞬きをすると急に左目が痛くなりました。目の中に何か異物が入ったようで瞬きをするとコロコロして痛くて、目を開けていられないほどなのです。妻はまだ夢の中なので起こす訳にも行かず、洗面所へ行って流水を手ですくって目を洗いましたが、治るどころか益々痛くなりました。タオルを濡らし拭いても一向にゴミは取れませんでした。仕方なく朝読を断念しパソコンで左目を気にしながらブログを書き始めましたが、右の片目だけではキーボードの位置が微妙にずれて、画面とキーボードを同時に見ながら打つこともおぼつかないようでした。

 ところが何がどうなっているのか、目の異常を感じてから30分もすると痛みが取れて目の状態が元の姿に戻ったのです。多分自分の涙が異物を外に押し出してくれたのではないかと思われるのです。いやあお陰で助かりました。異物が混入して目が痛くなるまでは、目が何処にあるのかさえ気がつかず、目が見えることが当たり前のように思っていました。
 これと同じことは日常茶飯事で、一週間前には食事中喉に食べた鯛の骨が刺さりご飯を丸呑みして事なきを得たり、向うスネを思い切りぶつけて少し裂傷を負い、リバテープを貼ってもらいスネの存在にも気づきました。ある病院の先生が「人間は体の存在を忘れることができる時が一番健康である」と言っていましたが、まさにこの言葉は名言のような気がするのです。

 今のところ私は手足や耳目鼻、内臓に異常を感じることはなくとりあえず健康に過ごしています。目だってこの歳になってもまだ裸眼で新聞が読め、メガネをかけたことは一度もないのです。何げないことですがこれはもう、メガネのご厄介にならなければならなくなった妻からいわせると飛び切り上等な目で、「目の良い子どもに産み育ててくれたお母さんに感謝しなさい」と言うのです。80歳で亡くなった母親もメガネを生涯かけることなく本が読めたのですから、遺伝なのかも知れません。
 「顔が悪いのだから目くらいは良くなくっちゃあ」と周りを笑わせていますが、目に異物が入って改めて目の大切さを再確認した朝でした。

  「目に異物 目の存在を 改めて 認識しつつ 朝を迎える」

  「この歳に なってもメガネ 要らぬとは 羨ましいと 妻に言われる」

  「母からの 贈り物だと 感謝する 目は口ほどに 仕事している」

  「片目でも 遠近見えず 一苦労 日々の暮らしの 幸せ実感」

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