○11年目の出会い
毎日毎日、毎年毎年、色々な人に出会い、色々な人から学び、少しずつ少しずつ進化していく自分、そのアリのような歩みを確かめるように始めた1日3枚のハガキを書く活動ももう22年になりました。単純計算すると22年×3枚×365日=24.090枚という気の遠くなる尺取虫のような歩みを振り返る時、よくぞ頑張ったと、自分で自分を褒めてやりたいような気分になるのです。
私がハガキを出した人の中には、定期的に出す人もいれば、1回だけの人もいます。多分1回だけの人の方が圧倒的に多いのですが、昨日そのハガキと11年ぶりに再会しました。昨日所用で松山から一人の女性がわが家にやって来ました。私の都合で午前9時の約束だったものですから、彼女が松山を出たのは8時ころではないかと思われます。失礼とは思いましたが急ぎの用だったので仕方なく失礼とは思いながらこの時間を選んでしまいました。彼女は4月にもわが家へ来て今回が2回目なので、わが家への新入路が狭いという思いがあったのでしょう、車を市役所支所へ止めて500mも歩いてやって来ました。
東屋に案内し一通り打ち合わせが済んで雑談していると、彼女は手提げバッグから封筒を取り出しました。「若松さん覚えていますか。実は若松さんの講演を聞いて、旅先からおハガキを出したんですよ。その折若松さんは丁寧にも私に返事をくれました。嬉しくてそのハガキをずっと持ってるのです」と封筒の中から一枚のハガキを出して机の上に置きました。驚いたのは私です。そんなこともうとっくに忘れていました。でも記憶の糸をたどれば確かに彼女から届いたハガキの存在は知っていました。
(私が11年前彼女宛に書いた、双海の夕日をあしらった絵ハガキです。消印は平成9年です。切手の下に押した朱色のゴム印はまだ合併していない「愛媛県伊予郡双海町」のままで、激動の後が垣間見えるようです。それにしても下手糞な字ですね。汗顔に至りです)
というのも私は人から来たハガキの中で「これは」という素敵なハガキは小さなイーグル風のハガキ立てに入れて机の上に飾って、来客に自慢していました。彼女からのハガキも私の机の上で約一ヶ月間自慢の種にしていたのです。残念ながらそのハガキは捨てられてはいないものの、退職時のどさくさにまぎれてダンボールに入れられ、倉庫の隅に眠っているのです。いつか日の目をと思っているのですが、残念ながらその日はまだもう少し先のようです。
自分が書いたハガキとの11年目の面会に嬉しくなってデジカメで一枚写真を撮らせていただきましたが、しかし何という几帳面な人なのでしょう。有名人ならいざ知らず私如きから届いたハガキを11年間も捨てもせず大事小事に持っていてくれるなんて感激です。でも私はこのハガキを見て字の不味さと文章の不味さに戸惑ってしまいました。でも過ぎたことなのでまあいいかと思いつつ、手にとって懐かしい再会を喜びました。
私はお礼に、赤とんぼ先生が作ってくれた竹のとんぼを彼女の手の指先に止まらせてあげました。心地よい浜風が指先に止まったとんぼを揺らし、彼女は驚いていました。土産に一匹差し上げました。多分何処かでとんぼは驚きの目に触れることでしょうが、これもまた出会いの印となったようです。満面の笑みを忘れまいと、有無を言わさず写真まで撮ってしまいました。
丁度庭木を剪定手入れしていた90歳の親父がそこを通りかかり、親父は座布団を二枚、それにオロナミンC2本まで用意し、久しぶりの感動に浸る気の効かぬ息子のサポートまでしてくれました。
「9の文字 切手の上に 消印が 時の流れを しみじみ思う」
「あの頃は 伊予郡だった 今伊予市 時の流れを しみじみ思う」
「十年余 手元に置きし 絵ハガキと 再会なんて 感激ですね」
「座布団と オロナミンC 差し出して 気効かぬ息子 親父サポート」