○顔も背中も自分で見れないものだから
鏡を使わない限り、自分お顔も背中も自分で見ることはできません。故に人間は水に写った自分の顔を見て驚き、それと同じように顔が写る鏡を発明したに違いありません。古墳から出土する銅鏡などはその最たる物で、見えにくいものの当時はかなり位の高い人でないと持てない物だったようです。時代は移り江戸時代になると外国から鏡が輸入され庶民の暮らしに広がって行き、今は高校生のバックにさえ顔がスッポリ入るほどの大きさの鏡が入っているのです。しかし人間はよくよく欲の深い動物で、見えないはずの体内まで見てしまおうとレントゲンやファイバースコープなどを発明し、病気の治療に役立てているのです。
さて、人間は誰でも顔を持っていますが、童話に出てくるように「鏡よ鏡よ鏡さん」とばかりに、飽きもせず毎日自分の顔を鏡に写し、特に女性はそれなりの顔をより以上に見せるため、内壁、中壁、外壁と塗りたくり、まるで仮面をつけた別人と思われるように、様々な努力を死ぬまで繰り返しているのですから、考えてみれば悲しい動物としかいいようがありません。時にはこんな顔に産んだ親を憎んだり、最近まで女性の専用だったお化粧を男性さえもするようになって、益々顔の行方が気になるようなのです。しかしわたし等は「そんな暇があったらもっと別のことをすればいいのに」とも思ったりするのです。
昨日はコープえひめの総会で美し過ぎるお姉さんを沢山見過ぎて、中々寝付かれませんでした。今朝は早く起きて書斎で読書とラジオを楽しみました。ラジオから偶然にも顔の話が流れていました。「顔を美しくみせる法」だそうで、化粧のことかと思いきや心がけ次第でいい顔になるというのです。思い当たる幾つかをご紹介しましょう。
①自分の顔を好きになる
自分の顔に自信が持てなくて何で人に見せられるのでしょう。人の顔は千差万別、世の中いい顔をした人は希なのに、映画やテレビの出現によって、一応美人という基準がみんなの頭にイメージされてしまいました。小野の小町や楊貴妃などの噂はありましたが、いつの間にか山本富士子や藤原紀香が美人の代名詞になったのです。生まれてから死ぬまで付き合う自分の顔を好きになることは、顔を美しく見せる第一歩かも知れません。そういう意味でブスの代名詞のように言われていても、自分の顔に自信を持って生きている人は沢山いて、それなりに輝いてむしろそれを武器にして生きているのです。
②人に見られる緊張を持つ
人間は多くの人とともに生きています。自分は二つの目でしか他の人を見れないのですが、自分は人数×2の無限大とも思われる目で見られているのです。見られているという意識は、より美しく見せたいという気持ちを生みます。こうして常に見られているという緊張が心の中にあると、スッピンのままパジャマやネグリジェでウロウロすることはないと思うのです。昔は車がなかったから身なりを整えて外に出ていました。ところが車の普及によってパジャマのまま目的地へ行く事だって出来るようになると、もうゴムが切れたパンツのようなものです。人は見ていないようで見ています。そして粗を探して自分の優位性を確認し、時にはその粗を小声で人に告げるのです。緊張は大事です。
③人に褒められると美しくなる
世の中には腐し上手な人もいれば褒め上手な人もいます。腐せば腐すほど人は卑屈になってその人のことを敬遠し嫌いになりますが、褒められれば褒められるほどその人に好感を持ち好きになるものです。褒められるような人間になる第一歩は人を褒めるような人間になることです。猿の実験でも叱って教えると服従しますが覚えにくいようで、褒めると直ぐに芸を覚えるのだそうです。「こんな顔の何処を褒めるの」とお思いでしょうが、陽とに褒められた時の顔は何ともいえず美しいものです。
④人と違う個性を見つける
顔は十人十色好き好きがあるのです。だからみんなそれなりに結婚しそれなりに生きて行けるのです。私のような醜いアヒルの子でも見方によれば個性があり、オンリーワンなのです。最近わたしは友人が書いてくれた似顔絵入りの名刺を持ち歩くようにしています。これは他人が私を見て書いてくれた個性です。よく特長や個性を掴んでいると名刺と顔を照合しながら離してくれます。時には実物の方がいいとか、似顔絵は出来過ぎとも批評してくれますが、人それぞれの見方もまた私の個性なのです。
~次号へつづく~
「自分顔 好きになってと 人がいう 味のある顔 寅より上だ」
「こりゃどうだ 顔も洗わず 化粧せず パジャマウロウロ 女コンビニ」
「誰も皆 ほめられ人は それなりに 悪い気もせず 少し自信が」
「オンリーワン 褒めているのか 腐したか どっちにとるか 自分次第で」