○「さる」の教え
今や世界遺産になっている日光東照宮、ご存知のとおり徳川家康をお祭りしている神社です。徳川家康は三河岡崎城で生まれ、戦国乱世を平定し幕藩体制を確立、江戸時代260年の基礎を築きました。家康は駿府城で75歳の生涯をおえていますが、久能山に埋葬された一年後遺言によって現在の地に移されたたそうです。私は若い頃何かのついでに行ったような記憶があるのですが、煌びやかな陽明門などが記憶に残っているもののはっきり覚えていないのです。栃木県日光から比べるとはるかに近い広島県瀬戸田に西日光と異名を持つよく似たお寺があって、むしろ何度も訪ねているこのお寺の記憶の方が鮮明なのでダブっているようです。
日光東照宮の境内に神厩舎というのがあります。ご神馬をつなぐ厩です。昔から猿が馬を守るとされているところから長押上には猿の彫り物が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも見ざる・言わざる・聞かずの三猿が有名で、何かにつけて引き合いに出されるため、知っている人も多いようです。
昨日大学の講義を終えて帰り、くつろいでいるとわが家のチャイムが鳴りました。着替え中だったこともあって「少々お待ち下さい」と大声で叫び玄関に出ました。すると50歳がらみの見知らぬ夫婦が立っていました。「突然で恐縮ですが、ちょっとお聞きしたいことがありましてお伺いしました。近所で聞けば若松さんは双海町の事だったら何でも知っているらしいのですが、実は息子が結婚することになりそうなので、行く当てもなく調べに来ました・・・・・・。」と切り出すのです。その方は栃木県に住んでいるらしく、息子さんが東京で知り合った双海町出身の女性と恋仲になり、親に結婚したい旨の相談があったそうです。しかし縁もゆかりもない愛媛県のことゆえ、どうしたものか思案した挙句、飛び込みのような形で双海町へやって来たというのです。それとはなしに娘さんの家を探し当てましたが、内情は聞くに聞けずうろうろしていたら、シーサイド公園であるおばさんに会ったそうです。そのおばんさんはその娘さんの家のことを知らなかったようで、丁寧にも「双海町のことだったら若松さんにお聞きなさい」と、まあこんな具合でチャイムを鳴らしたようです。
はてさて、あなただったらどう対処しますか?。普通滅多なことは言えないと、栃木県日光東照宮の猿の彫物のように「見ざる・言わざる・聞かざる」で通せば問題はないのですが、お節介な私は「まあお茶でも」とお茶まで出して話しを聞きました。私は人権教育を受けているし、人権教育をした人間なので、慎重に言葉を選び、そして人権教育の立場からお話をさせてもらいました。幸いご両親やそのご家庭のことは知ってたので、身の上調査にならないよう配慮をしたのです。
この場合ある部面では「見ざる・言わざる・聞かざる」を貫くことも大切です。でも結婚はあくまでも若い二人の幸せを第一に考えなければならないので愛の深さについても「見るぞう・言うぞう・聞くぞう」で望むようお話しました。その娘さんがどんな家柄でどんな町の人かなんてことは、二人の愛の深さや強さに比べたら些細なことなのです。その娘さんは私もよく知っている人だったので幸せに結婚できるよう両親の胸のつかえを取ってあげました。お二人は明るい笑顔で帰って行きました。降って湧いた栃木県日光からのお客さんは、私に猿の教えを残して去って行きました。
「ピンポンと チャイムを押して 知らぬ人 唐突話す 結婚話」
「あの人に 聞けば何でも 知っている いわれる私 どうすりゃいいの」
「東照宮 猿が三匹 彫ってある 見ざる言わざる 聞かずの教え」
「目も口も ましてや耳も ある身ゆえ それを上手に 使うは知恵か」