○愛でられぬ花
本格的な梅雨となって昨日は朝から夜まで一日中雨でした。「天に向ってブツブツいうな、雨の日には雨の日の仕事がある」と思っている私は、まるで雨の楽しみ方を知っているように楽しく過ごしているのですが、それでも戸外に出れないと何となく運動不足になったような気がして、昨晩は寝る前布団の上で柔軟体操をやりました。若い頃公民館で習った「命の貯蓄体操」は、全てでなくても幾つか組み合わせ、自分流の体操として今でもずっと続けていいます。お陰様でこの歳になっても周りの人が驚くほど股はよく開き、自分はまだ若いし健康だと信じきっているのです。私に比べ体の硬い妻は股など殆ど開かず、何度か挑戦したものの諦めてしまいましたが、次男は演劇集団「イリュージョン」に所属し、ダンスや振り付けなどを指導していた関係上毎日風呂上りの柔軟体操をやったお陰でずいぶん体が柔らかくなったようです。それでも股の開きは私の方が一枚上なのです。
書斎の窓から見える庭の隅々には庭木の下に、雨を吸った雑草が随分生えてきました。この雑草もビオトープだと思えばよいのでしょうが、やはり日本庭園ですからそれなりに雑草を抜かないと、配置した石も庭木も映えないので、雨でも上がった引こうかと思っています。
その雑草に混じって白い花びらが咲いています。ジュウヤクの花です。先月草削りをした折、綺麗に取り除いたはずなのに、したたかに根は生き続けその後鼻目を出したのでしょうが、まるで水芭蕉のような雌しべを出して可憐に咲いています。ジュウヤクもこの庭では雑草であり、間もなく引き抜かれる運命にあるのですが、雨を楽しむための一趣として傘を差してデジカメ片手に庭へ出て、一枚写真に収めました。
季節は巡り県内のあちらこちらからはバラや菖蒲の花が見頃だと新聞、テレビで報じていますが、これほど素敵な花なのに、ジュウヤクの花などは見向きも報道もされず、ひっそりと咲きひっそりと枯れてゆくのです。「ああジュウヤクの花よいとおしい」と思う私は、一風変わっているのでしょうか。
パソコンにジュウヤクの写真を取り込み「ジュウヤクの花」と書いたつもりが、ジュウヤクは重役と変換されて驚いて手直ししました。「重役の華」と変換すれば社長や専務、部長といったどこか偉い人を連想しますが、ジュウヤクは薬草なのです。
ジュウヤクは10の薬効があることから十薬とも書かれ、一般的にはドクダミとも呼ばれています。私たちの町でもこの効能を信じて毎年この時期になると野山にジュウヤク取りに出かけ、刈り取ったものを陰干しにして煎じ茶にして愛飲している人がかなりの数いるようです。お茶にすると独特の臭みも消えて薬だと思って飲めば結構飲めるようです。薬局ではジュウヤクはかなり出回っていて東洋医学の代表選手のようでもあります。
ジュウヤクの花を見ていてふと思ったのですが、四枚の花弁が上から見ると漢数字の十に見れ、十薬とよぶのかも知れないと思ったり、どこか十字架花とでも名付けたいような気持ちになりました。
「愛でられぬ花」はスマップが歌って大ヒットした、「世界にひとつだけの花」のようでもあります。ここだけにしかないオンリーワンを誇るように咲いているジュウヤクの花にあやかり、私もオンリーワンの花を咲かせたいものです。
「庭の隅 人知れず咲く ジュウヤクの 花に思いを 寄せる雨の日」
「ジュウヤクを 重役変換 パソコンに 臭い匂いを 感じて直す」
「この花は 上から見ると 面白い 花弁十字か 十字架似たり」
「ドクダミの 煎じたお茶を 飲んでいた 祖母の姿を 思い出しつつ」