shin-1さんの日記

○優しい妻にご用心

 私の妻は私よりひとつ年下の62歳です。正式には11ヶ月しか違わないのですが、どちらが先に死ぬか分らないのでまあそんな違いは五十歩百歩といったところでしょうか。若い頃はもう少し若い人の方かよかったと少々悔やんだこともありましたが、それでもこの顔ですのでよくぞ私を選んでくれたと、妻に感謝の日々なのです。特に公民館やまちづくりなどに熱中し若い頃は殆ど家にいない駄目亭主であったにもかかわらず、年老いた祖母や父母の面倒を見ながら4人の子どもを育て、仲間から言わせると神棚に祀りたいような出来た妻だといってくれるのです。

 その妻が最近、前にもまして何処となく優しいのです。そんな折、「妻が優しい時はご用心」という本を読みました。妻が優しい時は「何か後ろめたいことがある時」「何か欲しいものがある時」「相手の体が心配な時」などなど、まるでこちらが妻に優しくしてとりなそうとする時と一緒であると苦笑いしながら読みました。しかし後ろめたいことも、欲しいものがある訳でもないし、ましては私の健康状態もこのところすこぶるよいので、思い当たる節がないのです。

 昨日は仕事を終えて帰った妻から「温泉へ行かないか」と誘われました。畑仕事で疲れていたので本心は行きたかったのですが、原稿の締め切りが今日までのがあり、昨日中に送らなければならないため断りましたが、妻はそそくさと一人で出かけて行きました。夕食の準備を済ませ午後6時に家を出た妻は午後8時過ぎに帰って来ました。湯上りの香りがほのかにする姿でです。先に食事を済ませていた私は原稿書きを途中で止め妻と居間でテレビを見る事にしました。

 「はいお父さん。ちょっと早いんだけど父の日のプレゼント」といって、元気人村という温浴施設の入浴券を30枚もくれるのです。そして夏が近づいてくたびれていたサンダルをくれました。「益々怪しい」と思うのは当然かも知れません。「えらい優しくなって気持ちが悪い」といいながら「明日は雨でも降らなければいいが」と茶化して見せました。いったとおり案の定今日は朝から雨ですが、この優しさは何なんだろうと不思議に思うのです。

 「ひょっとしたら」と強いて思い当るのは、私の健康かも知れません。最近葬儀などの仏事が多く、四月には伯父が亡くなりました。また友人の子どもが若くして亡くなり健康の大切さを思い知らされました。私は胆のうの手術をして以来2ヵ月毎に病院で定期検査をしています。長年一緒に暮らしていると連れ添いの体の調子がどんな具合かは分るものなのです。この2ヶ月妻は更年期はとっくに過ぎているのに、まるで更年期のような不調に悩まされ、風邪引きが抜けず2ヶ月間も続いたのです。昨日はその暗いトンネルから脱出できたからかも知れないのです。加えてその間妻のマッサージを優しく?してやりました。嬉しかったのでしょう。

 まあ優しいことに越したことはなく、甘んじてその優しさを邪推することなく受け入れることにしました。人間不思議なもので優しくされたら優しくしてやりたいものです。私たちもそろそろ夫婦がいたわって生きる年代になったということです。リタイアで降ろした荷物がまた元通りになってしまいすっかり忙しくなってまたまた駄目亭主のレッテルを貼られていますが、少し荷物を軽くして緩やかな老いへの道を夫婦で楽しみながら歩きたいと殊勝にも思った次第です。

  「優し過ぎ 何か魂胆 ありそうな 邪推を捨てて 妻に感謝を」

  「父の日を 先取りされて プレゼント 母の日何も しない私に」

  「お互いが いたわり暮す これからは そんな気になる 歳になったか」

  「明日は雨 予測の雨が 本当に やはり気になる 優しすぎます」

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