○家の庭でホタルが飛んだ
昨日は大学の講義日に加え生協の会議があって午後から忙しく過ごしました。梅雨に入っているため昼前からシトシト降りの雨が降る中でしたが、車での移動のため普通だとさして苦にもならないはずなのに、昨日だけはちょっと気が重かったようです。それというのも昨日からガソリンが値上げされて、新聞だと宇和島ではリッター181円とこれえまでの最高値が報じられていて、車のガソリンメーターが底をつきかけていたからです。それでも背に腹は変えれれず仕方がないと割り切ってスタンドへ入りましたが、ここは175円で入れてくれました。それでも6千円を越えて支払うと、油代の高さに悲鳴を上げるのは当然のことなのです。このところ原油の値上げを反映してか、相次いで物価が高騰し政府の場当たり的な無策が見えてくるようです。昨日は官房長官が米の減反政策の見直しを記者会見で話し、農林水産省の次官は減反政策を堅持すると全く逆の発言です。遠くヨーロッパに外遊している総理は、食糧危機の原因は農作物を原料にバイオエネルギーを作ろうとすることが食糧不足を招くので、政策転換をしようと発言していました。どれも正しい発言ですがどれも場渡り的な一貫性のない発言で、日本もいよいよ政治的末期症状だと、素人ながら思ったものです。
会議が終わって家に帰りました。車を車庫の中に入れてライトを消し庭を歩いていると、目の前を何やら一筋の光が光りながらスーと通り過ぎました。「おっ、ホタルだ」と直感し暗闇に馴れていない自分の目で、必死にその光の行方を追いました。ホタルはまるで訳の分らない文字を書くように、またオーケストラの指揮者が緩やかにタクトを振るように幻想的な光を発しながら飛んでいました。そして「もうそんな時期になったのか」と、改めて梅雨の季節を思いました。普通だと玄関に入り妻を連れ出して一緒に見ようと誘うのですが、妻はこのところ風邪気味なので自分ひとりだけの鑑賞となりました。
「ほたるこい」というわらべ歌があります。♭ほうほう ほたるこい あっちの水はにがいぞ こっちの水はあまいぞ ほうほう ほたるこい♯と小声で歌いながらホタルのことを思いました。
まちづくりに深く関わった関係で、翠小学校を中心にしたホタルの保護活動に深く関わりました。お陰で絶滅したかと思われたホタルが、地域の人の手によって見事に復活し、今では県内有数のホタル保護地になり、環境庁のふるさと生きものの里百選に選定され、ホタルを介したグリーンツーリズム活動に発展しているのです。ホタルにまつわる話は書ききれないし、これまでにもブログに書いているのでここでは書きませんが、今もホタルは自分にとって分らないことだらけの小動物のようです。
ホタルは寿命を終えるに当って命のリレーをするため卵を産み、その卵は孵化して幼虫となり川の中でカワニナを食べながら過ごします。やがて桜が散った雨の日にゲンジボタルの幼虫は一斉に上陸を始めるのです。その時既に発光していて、それは神秘的な光景なのです。私も何度か見ましたが不思議な世界なのです。上陸した幼虫はその夜のうちに土に潜り、さなぎとなるための土まゆをつくり、約40日後土まゆの中でさなぎとなって外に出て羽化し成虫になるのです。
昨晩見たホタルは人知れずそのメカニズムを経て私の前に姿を現したのですから凄いものです。ホタルは平均だとメス15.5日、オス13.9日という短い運命であることも余り知られていないため、身勝手な人たちは捕まえて持ち帰りますが、絶対に手で触らないようにして欲しいものです。
そのホタルは近くの草むらに止ってもなお光を発し続けていました。昨晩は何か得したような気分になり家野中に入りました。
「目の前を ホタル飛び交い ビックリし 小雨濡れつつ 鑑賞ふける」
「このホタル 光るまでには 相当の 苦労を経たか いとおしくなり」
「明日の夜 翠の里の ホタル見に 行こうと妻を 誘って床に」
「ホタルさえ 女長生き 妻だって 俺より長生き きっとするぞと」