○ペットは最早家族の一員です
先日隣町の友人宅へお邪魔しました。その家に入るなり驚きました。見たこともないような大きな犬がいきなり玄関へお出迎えに出たのです。私がとっさに身構えると相手の犬も本能的に身構えて睨みつけられ、一声「ワン」と吠えられてしまいました。相次いで出てきた友人が「これっ」と叱って中に入り、私がご主人様の友人であることを告げられ事なきを得ました。
聞けばこの友人宅では犬を家の中で囲い飼いしているそうなのです。この友人は私と相次いで結婚したため、もう四十年近くも経っているというのに子宝に恵まれず、夫婦揃って色々な治療を受けましたがついに子どもを産むことは出来なかったのです。察するに子どものいない寂しさを紛らわそうというのでしょうか、犬を飼い始めてもう二十数年だそうで、今の犬は二代目なのです。最初は毛の長いスピッツ系を飼っていましたが、その犬が死んだため、悲しさの余り「もう動物は絶対飼わない」と泣きながら話していたことを覚えています。でもその心だ犬の思い出を忘れることができなかったのでしょうが、今度はいかにも頑丈そうなブルドック系の犬なのです。その顔を見ているとまるでしわくちゃで思わず噴出しそうになってしまうのです。
この夫婦は前回のスピッツ系の時はやれ犬の美容院へ連れて行くとか、病気になったら動物病院へ連れて行くとか、死んだ時もペット霊園に敷地を買って手厚く葬るなど、とても動物とは思えない人間並みの特別待遇で、私を感心させたものでした。
今回のペットは前のスピッツ系とは似て非なるブルドッグ系のものですが、これがまた大事にされて、一緒の布団に寝てみたり、風呂に入れてみたりと、私の目から見ると尋常ではなく異常なのです。ご飯だって人間が食べてもいいような高いドックフードを食べて「お犬様」のように大切に育てられているのです。たかが犬なのに馬鹿馬鹿しいと心で笑っている自分を、「子どもがいない寂しさを紛らわせるには仕方がないのかな」なんて同情はするのですが、やはり私には理解できない行動なのです。友人の家の玄関へ入ると、動物特有の匂いを感じます。最近はパブリーズなどという消臭剤があって匂い消しされているようですが、それでもかすかに匂うのです。
先日この犬が風邪をひいたそうです。友人はこの犬を動物病院へ連れて行き、点滴までしたというから驚きです。二人で3日間県外の伯父さんが亡くなって葬儀に出かけた時は病院の宿泊部門に預けて出かけたらしく、まあ携帯電話の画面にもしっかりと写真でインプットされお犬様は存在感を示しているのです。
気がつけばそんな家庭をよく見かけるようになりました。犬と人間の暮しを同質化させて暮らしている人が多くなって、小動物が本来持っている人なつっこい性格に愛情を感じながら、動物とお話しし日々暮らしているのです。人間の言葉が犬や猫に分るのだろうかとふと思うことがありますが、長年飼っていると分るらしく、よくいうことを聞いているようですし、犬の鳴き声を日本語に訳すことだって出来るのですから、この友人は二ヶ国語ならぬ動物と人間の二匹語を話しているのです。人間と同じように服を着せられ、人間と同じように病院や美容院に行く時代となりました。私は江戸時代五代将軍徳川綱吉が「生類哀れみの令」を出したことを思い出しました。その当時と時代背景は違いますが、社会が成熟すると人間の考えも変わるものだと思いました。
「子どもなく 犬と同居の 友人は 二匹語話し 互い慰め」
「ペットだと 言うのに破格の 扱いで 死ねば戒名 貰って霊園」
「病院と 美容院にも 出かけます かなりの出費 それでも愛を」
「ほら見てよ まるでわが子と 同じよに 携帯写真 自慢したがる」