○忘年会
昨晩請われるまま地元の忘年会に出席しました。そういえば酒を愛した現役頃の年末は毎晩忘年会があり、家へは寝に帰るだけのような日々が長く続いたものでした。酒の席は延々と続き一次会が二次会となり、時には三次会とはしご酒をしたものです。あの頃の体力と財力は一体何だったのだろうと懐かしく思うのです。そんな馬力も今では遠い彼方の思い出でしかないのはちょっぴり寂しい気もしますが、まあそれはそれとして今晩は楽しもうと近所の料理屋さんに歩いて出かけました。酒を飲まない私にとっては飲酒運転などするはずもないのですが、要らぬ詮索をされても困るので歩いて行きました。今晩の宴会は私を除いて10人中9人までが酒好きなのでウーロン茶一辺倒は私一人なのです。せめて今夜は色気を入れて楽しくやろうとコンパニオンという名の女性が3人松山からやって来ていました。料理は4千円だそうですが食べきれないくらいの日本料理が並んでいて、酒を飲まない私はもっぱら食べることに専念をしました。横の席を見るのですが酒飲みはそんな立派な料理には箸をつけるでもなく、飲むほどに酔うほどに声も高くなってボルテージは上がりっぱなしです。素面な私とのん兵衛な9人とでは到底議論もかみ合わず、「トイレに行く」といっては席を立ち、お店のカウンターに座ってテレビを見たり、まあ2時間の長く感じられることったらありゃあしません。やがてカラオケが登場し、思い思いの演歌を順番に歌い続けるのです。すっかり私の世界からカラオケが影を潜めていたので、懐かしく一通り聞かせてもらいました。酒の悪戯でしょうか、日ごろは無口でお硬いと思われた人が何と喋りながら踊り狂うのです。「ヘー」と意外な一面に驚きながら付き合っていましたが、もうもうと部屋の中に立ち込めるタバコの煙に根を上げついには退散となったのです。
それにしても、これほど世の中の流れが禁煙に傾いているというのに、何故に酒を飲んだらタバコを飲むのでしょうか。愛煙家の彼らに言わせると、「タバコは百害あって一利なし」は百も承知のようでした。付け加える言葉は愛煙家たる自らへの援護のようにも聞こえました。「俺はタバコは吸いたくないけど財政的に豊でない町に税金を払うためにタバコを吸っている」「タバコを吸わないとイライラして病気になるので精神安定剤のつもりで吸っている」「タバコを止めると、ニコチンがアルコールに溶けて体内に入るので酒を飲むときだけでも止めた方が健康にいいと力説しましたが、私の話などはタバコの煙と共に消えてゆきました。「酒とタバコどっちを止める」と質問したら「どっちも止めない」とあっさりです。挙句の果てに「タバコやお酒を飲めないのなら死んだ方がましだ」などと豪語するのです。健康な人の言い分でしょうが、そのうちえらいしっぺ返しを食らうことでしょう。
忘年会の回数が減っても私は「忘年会」を「望年会」と位置づけ、今年あった様々な反省をするようにしています。このグループにとっても今年一年は様々な出来事がありました。思いどうりに出来ない事案で空中分解しそうになったこともありました。でもみんながそれぞれの立場をわきまえて苦労を重ねた結果、こうして美味しいお酒が飲めるのです。失敗や苦労の後の成果は美酒の味が格別でした。
今朝ひょっこり昨晩忘年会に参加した人からお礼の電話が入りました。「お陰さまで楽しい一夜を過ごしました」「昨晩はウーロン茶でのお付き合いありがとうございました」「私は酒の席で余計なことを言いましたか?」など、酒の力ですっかり記憶の失せた記憶を引き戻しながら反しているような感じでした。「会費の元がとれなくて御免」と電話を切りましたが、ひょっとしたら酒を飲まない私が一番料理を味わったのですから、元を取ったのは私だけだったのかも知れませんね。
年末までにあと2つ、忘年会と称する会合が予定されています。さあ体調を崩さない程度にウーロン茶を飲みながら美味しい料理に舌鼓を打ちましょう。
「酒飲まず それでも俺は 元を取る 飲めないことも 楽しいものだ」
「俺歳か コンパニオンの スカートも 胸の谷間も 興味示さず」
「あの人が 何で豹変 酒のせい 歌に踊りに 凄くハッスル」
「煙草飲み 勝手な言い分 言いながら さも俺偉い 言わんばかりに」