shin-1さんの日記

○NHKふれあいミーティングに出演しました

 「ミーティング」といえば、つい最近話題になっている文部科学省の教育基本法議論を思い出させ、まるで賛成者だけの仲間内議論のようですが、NHKでは一連の不祥事が連鎖した視聴料不払いに対して、経営を立て直すために全国で3000回ものふれあいミーティングを実施してきたそうです。その3000回を区切りとした模様をテレビで公開討論することになり、私にもパネラーの一人として出演するよう依頼がありました。比較的若い人の意見を取り上げたいと思ったのでしょうか、6人のパネラーでは私が一番年上なのです。これまで私はまだ若いと思っていただけに多少のショックはありましたが、故に責任もあるだろうと控え目な積極性を前面に押し出して議論に絡みました。

 数日前東京のNHKから唐突に「徳田ですがお元気ですか」と一本の電話が入って驚きました。東京のNHKで活躍しているあの徳田アナウンサーなのです。もう二十年も前に松山放送局に在勤中、私の取材で役場に来たことを思い出しながら懐かしく話したのですが、その徳田アナウンサーと「おはよう日本」の首藤アナウンサーが進行役という相当贅沢な顔ぶれだし、相手は永井副会長や番組総局長、理事、松山放送局長というそうそうたる顔ぶれで、この仕事への執念を垣間見ました。

 コムズ5Fの特設会場は一般視聴者が三方から囲み、視聴者の意見も交えての番組収録です。2時間半の長い時間をNHKへの意見や批判、提言といった様々な意見をからめながら、それぞれに楽しいお喋りをさせてもらいましたが、左程の緊張もなく無事終了しました。この模様は早速昨夜の全国ニュースで流れたようで、「テレビに出とった」と電話をかけてくれたりしましたが、いずれ編集の後番組として放送されるようです。

 白い服の方が首藤アナウンサー、私とツーショットは徳田アナウンサーです。

 私とテレビとのかかわりは物心ついた少年の頃からです。白黒テレビから始まってカラーテレビ、ハイビジョンと、またアナログからデジタルへと技術革新著しい情報化社会のなかで育ってきた私にとってテレビは私の知的能力の殆どだといっても決して過言ではないほど大きな影響を受けてきました。力道山や若乃花といったテレビ草創のころの思い出も今は懐かしくまるで三丁目の夕日のように過去の彼方に消えていますが、日本人のDNAはテレビと言われるような大きな影響力を持っているのです。

 私の場合最初は特にNHKとの関係が深く、第14回NHK青年の主張の愛媛県代表になった昭和43年、僅か23歳で早くもテレビ出演やラジオ出演を果たしているのです。その後も公民館や村おこし、まちづくりの節々に私の活動と町の話題がテレビやラジオを賑わかせました。「明るい農村」「人間マップ」など今も手元に残る古ぼけたVTRを見る度に当時を懐かしく思うのです

 でも時代は大きく変わり、2003年には全国の家庭からアナログテレビが消えるのです。誰がどんな意図でデジタルに変えるのか知るよしもありませんが、便利という名の社会がそこまで来ているのです。多分10年後に協の議論をVTRで見た人は、笑い話として片付けることでしょう。

 先日妻と息子のマンションを訪ねました。松山市では既にデジタル放送が開始され息子たち夫婦はデジタル放送の恩恵を受けて暮らしています。私の町にはまだその電波も届かずそれを受信するテレビもありません。しみじみ情報格差を感じつつ、息子の説明を聞きながら便利さに期待をした次第です。流行と不易という言葉がありますが、不易なものまで流行に押し流される現代に寂しさを感じる年代になったのかと、積み重ねた62年の重みを感じる今日この頃です

  「徳田です 二十年ぶり 電話にて 偉いものです 忘れず事前に」

  「歳の順 言われてハッと 気がついた 俺もそんなに 若くないのか」

  「カメラ前 ハラハラドキドキ したっけな 今はときめ気 動じもしない」

  「デジタルが 俺の家にも やって来る アナログテレビ もう直ぐゴミだ」 

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