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役場を退職して1年半を越えたというのに、私の元へは相変わらず沢山の郵便物が届いています。昨日も市役所双海支所へ行ったところ、教育委員会の職員に呼び止められ、「若松さん郵便物が届いていますよ」とかなりの量の郵便物を手渡されました。教育委員会には私の私書箱のような場所まで作ってくれていて、支所へ行く度に持ち帰るのですが未だに教育長という肩書きもあるようですが、過去は中々捨てきれないものだとしみじみ思いました。講演の依頼や講演の肩書きも元教育長などと書く人もあるようですが、元や前などの名前など何の役にも立たないし、存在しない過去の名前にすがって仕事をするほどいやらしいことはないと自分を戒め、人間牧場主やどうしても使いたいときは愛媛大学非常勤講師などを肩書きにしています。先日も「あなたの最終学歴は?」と電話で尋ねられましたので、「最終学歴などを聞く所へは行きません。どこを出たかではなく、何をしてきたかでもなく、何が出来、何をしようとしているのかが人間の値打ちでは?」と問い詰めたところその人は恐縮して、「えらい失礼なことを申しました」と訂正されました。日本人はやはり肩書きに弱いようです。
数日前地元の新聞が編集しているaccrete(アグリート)[共生]という雑誌を見つけました。後から読もうと食卓の上に置いてたのですが、残念なことに妻は紙ごみとして既に処分していたのです。出入りの「えひめ地域政策研究センター」へ行った折、見せて欲しいと頼んだところ、ここでも紙ごみとして梱包された後でした。お願いして処分される運命のゴミの中から取り出してもらい持ち帰ったのです。
その薄っぺら委雑誌「風の散歩道」に、目の覚めるようなマリンブルーの海を背景にした双海町串駅付近の鉄橋の様子が紹介されていました。この写真の原風景は全国の各駅に張られる「青春18切符」のキャンペーンポスターとして紹介されたこともあって一躍有名になったカメラアングルなのですが、写真もさることながら大早直美さんの記事が何とも素敵な表現だったので大切に保管しようと思いました。何故ならこれまで色々な雑誌や新聞でまったく触れられていない予讃線存続への私の思いを代弁しているように思えたからです。
ー前略ー『速さを求め、日本列島は新幹線や高速道路をはじめとした高速輸送網を張り巡らせてきた。鉄路や道路は都市と都市を結び、あるいは人や物資を都市に集約する集約するための流露となって、全国各地を結ぶ。一見、僻地の人たちにも便利さをもたらすかに思われた施策の数々は、地元の期待とは裏腹の「ストロー現象」を起こし、過疎化を進めた村、さらには失われてしまった集落さえある。美しい景色、長閑な自然に恵まれた村が、今も日本のあちらこちらで、静かに消えていく。
しかしこの美しい景色には、素晴らしい価値がある。そう教えてくれるのが、伊予市双海地区の試みである。串、下灘、いよ上灘そして高野川の各駅、海をすぐ目の前にしたこれらの駅を持つ双海地区は「しずむ夕日が立ちどまる町」というキャッチフレーズで、旧双海町から継続して町おこしを行っている。毎夏、海に沈む夕日を主役に開催される「夕焼けプラットホームコンサート」は、今年で二十一回目を数えた。無人化が決定し、やがては路線自体廃止されるのかと危ぶまれた中で誕生したこの企画は、無人駅となった下灘駅を、あちこちから夏を惜しんで集まって来る人々の目的の駅にまでなってしまっている。
列車は見飽きることのない景色の中を走っていく。コトリと進み、コトリと停まるが吐き出し、そして呑み込んでいく乗客は、明らかにその土地の人々に思われた。この路線は、通勤、通学、買い物などの生活の足なのだ。折りしも夕刻、部活帰りであろう高校生たちのグループがにぎやかに乗り降りしていった。通学の朝に夕に利用する彼らは、この路線にどんな思い出を刻むのだろうか。』
青文字の文章は凄い文章だと思いました。浅学ながら文章を毎日書いてる私としては見習いたい描写です。やはり才能の違いでしょうか。
「何気なく 開けたページが 目に留まる ふるさと上手く 書いて感心」
「紙ごみに なりゆく雑誌 命乞い 手元に置いて しばし眺めぬ」
「ガタゴトと 毎日走る 列車だが 存続危機を 乗り越え今に」
「見る人は 見てる吾らの まちおこし されど今では 跡継ぎもなし」
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列車は見飽きることのない景色の中を走ってゆく・・・かの昔文学青年と自称した自分が恥ずかしい。でもいい表現ですね。嬉しくなりますね