○中秋の名月
「月々に月見る月は大けれど月見る月はこの月の月」と詠まれた仲秋の名月が、旅先島根県隠岐の島での台風崩れの低気圧で見ることが出来ず残念な思いをしていましたが、このところの好天で夕方から朝方までその後の美しい秋の月を見ることが出来て喜んでいます。昨日は孫と二人で久しぶりに長旅で汚れた車を洗っていると、孫が「じいちゃん夕日」と指を指すのです。夕方だったのでてっきり夕日だと思ったのでしょうが、それは真ん丸い昼間のお月様だったのです。孫に「朋君、あれは夕日ではなくお月様よ」といったら、「お月様は夜なのにどうして昼に見えるの」と早速の質問に「うーん」とうなってしまいました。
このところ天気もよくて、夜虫の声に誘われて戸外へ出てみると明るいお月様が光々と辺りを照らしています。昨日は飲み会後の歩いて帰る際、今日は大洲青少年交流の家で開催された大人を考えるフォーラム実行委員会が終わり車で帰る際、いずれも美しい名月を拝むことが出来ました。このところの忙しさで名月を愛でる暇もなく過ごしていましたが、この二日やっとわれに帰って月を愛でることができました。
このところの忙しさで人間牧場へ行くこともままならず、南海放送のもぎたてテレビも島根県への出張であいにく見ることも出来ず、モヤモヤが続いています。そのモヤモヤを増幅するようにそのテレビの番組を見た人からメールが沢山届いて、対応にも四苦八苦でした。
人間牧場には大きなススキの株立ちが会って、もぎたてテレビの取材の時はまだススキの穂が全て出揃っていませんでしたが、もうそろそろススキが開いている頃だろうなと想像しつつ月を見ていました。今日は家に帰ると食卓に蒸かしたさつま芋が並べられていました。仏壇に供えたものの中から一つ選んでお下がりを食べましたが、季節の旬野菜だけあって、栗と見まがうほどの美味しさでした。さつま芋を食べながら、イノシシの餌になってしまった人間牧場農場のさつま芋についても思いが及んで、中秋の名月は人間牧場につながってしまうのです。
一昨日、大分県佐賀関の渡邊又計さんから私の留守中に豊後水道で獲れた生きのよいハマチが2匹届いていました。妻は早速刺身や煮つけや手巻き寿司などとして料理し食卓に並べていました。魚好きな私としては願ってもない好物に舌鼓を打ちました。ジャガイモを送ってくれた北海道鵡川町の菅原春巳さんといい、秋刀魚を送ってくれた北海道帯広の南さんといい、私はいい仲間を全国に持っており、居ながらにして全国の旬の味を堪能しているのです。月を見て渡邊さんを思い出し、月を見て菅原さんを思い出し、月を見ては南さんを思い出すのです。
妻は早速知人に頼んで極早生みかんを10箱余り全国の友人に向けて出荷しました。渡邊さんにはみかん所でもあるので別の物を考えなければなりません。私はただ漠然と届いたものを食する役割に徹していますが、妻のこうした付き合いを長く続ける秘訣なのかも知れません。
「月を見て 遠い仲間の 顔浮かべ あれやこれやと 過ぎし日思う」
「綺麗だね 月見て夕日と 勘違い 孫の何でに 答えれなくて」
「ダンボール 旬をいっぱい 詰め込んで 宅配さんが ハンコください」
「生ものも 新鮮姿 そのままに 我が家に届く 北のまちから」
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先日はお忙しい中を、誠にありがとうございました。今日は長女と案内の藤谷さんと共に一時間ほど薮をかき分け、新たな石垣をカメラにおさめてまいりました。万里の長城を踏破するのは容易ではなさそうです。ブログも一人でなんとか入り口に辿り着きました。