shin-1さんの日記

○大根の成長

 久しぶりに行った昨日の東京は雨と風が吹いて、そこここに貼ってある紅葉見ごろのポスターが寒そうに感じるほどでした。「ああ関東は冬遠からじ」と思わず勘違いするほどでした。それでも都会の人、特に若い女性はへそや腰周りの素肌をちらつかせ、若者ならぬ男どもの視線を引き付けようとする懸命な姿に「遠慮ひだるや(お腹が減ること)伊達寒や」という諺があるのを思い出しました、。多分昨日の寒さはお尻の割れ目まで、パンツの色まで見せていた女性には堪えたのではないかと思うのです。それでも雨傘の列が何時までも何処までも続く辺りはやはり都会の賑やかさでしょう。今朝地元に帰って街中を歩くと、出会った人の殆どが中年以上で高齢者も多く、この落差は何なんだと少し落胆したのですが、それでもこんな田舎にどっぷりつかって暮らしていると、また東京へ行った時のあの喧騒がたまらなく耳障りになるのですから、慣れるということは恐ろしいものなのです。

 今日は久しぶりにわが家の食事を食べました。仕事から昼休みで帰った妻は早速手早く私のために色々と料理を作ってくれました。よく見ると大根の途漬物、納豆にすり大根、大根のおでんとまあ食卓には大根を素材にしたシンプルな料理がならんべられているではありませんか。勿論私は自分のペンネームが「大根心」というくらいですから、大根は事のほか大好物ですが、「ここまでやるか」といわんばかりなのです。

 

 久しぶりに車を洗ってワックスをかけ、気分転換に上の横の家庭菜園に行って見ました。私と親父が、いや親父と私が蒔いた大根の種は既に秋祭りも終わって立派に成長し、市販の大根に負けないような出来栄えです。今年は種を蒔いて1週間くらいして突風が吹き荒れ、芽が出て間のない間にかなりの量が吹き飛ばされてしまいました。親父の落胆は相当なものでしたが、それでもそのことが間引き状態となって大根がよくできるという皮肉な結果となりました。大根は親父の手入れがよいため根元の草も古葉も処理され見事に育っています。一緒に植えたカブは病気にやられましたが、消毒を一回したので随分回復し、今は浅漬けとして食卓に上っています。

 先日高知県へ仕事で行った帰り、無人市で籾殻を3袋買ってきました。一袋200円でしたが親父へのプレゼントとして渡したところ、先日ほうれん草の苗床にしっかりまいていたためほうれん草の芽は順調に育っているようでした。

 口ばかりの私と、口も出すが汗と知恵も出す親父とでは野菜の出来も一目瞭然で、忙しかった言い訳を差し引いても、私の今年の農作物収穫は散々でした。特に人間牧場などはイノシシにまで知恵負けしたのですからどうしょうもありません。まあ親父が元気なうちは」親父に肩を持たせようと、手のいい言い訳をしているこの頃なのです。

  「大根が 美味い季節と なりました 食卓大根 あれもこれもだ」

  「もみがらを 種の上場に そっと撒く 暮しの知恵か しめりけありて」

  「親父ほど 根の続かぬ わが身にて 思いやられる 老後の畑」

  「この畑 親父の性格 よくて出てる 草もはやさず 畝は真っ直ぐ」

 

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shin-1さんの日記

○群馬は空っ風ならぬ雨でした

 中曽根さんや福田さんなどの総理大臣を輩出している群馬県へ群馬県町村議員研修に招かれ出かけました。群馬県は上州国定忠治、上州といえば「かかあ殿下に空っ風」と話題に事欠かない地域ですが私は何度か訪ねており、今回の会場となった玉村町は地域づくりの研修会に招かれたことのある懐かしい地域です。

 群馬県は東京から新幹線で僅か1時間足らずで高崎に着きます。会場までは約40分ほどかかり、これたいった公共交通機関もないことから事務局の上田さんがわざわざ高崎駅まで貸切タクシーで迎えに来ていただき恐縮しました。

 会場となった玉村町文化センターは約千人も収容できる立派な建物で、合併して69の町村が26町村になったとはいえ議会事務局職員も合わせると約500人の人が参加して、さすが議員さんだけあってど迫力の研修会でした。

研修会に先立ち昼食をとっている控え室へ川場村の村議会議長さんはじめ4名の方がお見えになりました。聞くところによると何年か前私の町へ視察に見えられたとのこと、はっきりは覚えていませんが群馬県のある村だったことだけは記憶の糸を手繰り寄せました。早速名刺交換をしましたが砂山議長さんから何やら祝儀袋を手渡されました。見ると「目録、川場村議員会と書いて、中には「りんご一箱(十キログラム)、りんご名ふじ、収穫時期がきましたらお送りいたします」と書かれてあるのです。なんという優しい心でしょう。私は思わず目が潤んでしまいました。傍で見ていた県の事務局長さんがすかさず上毛かるたを引用され「雷(らい)と空っ風義理人情」と評されました。まさに義理人情の世界でした。一度きりの出会いをしっかり覚えていただいたことを肝に銘じ、これからも視察者に対してしっかりと礼節をわきまえなければならないと思いました。

 それにしてもこんな会場の壇上に上がるのですから、田舎物の私としては何だか気恥ずかしい感じもします。それでも与えられた仕事ですから壇上に上がると臆することなく堂々と話さなければなりません。この日はジャーナリストの有名な方が私の後に控えていて、どとらかというと私は前座のようなものなのです。前座は真打登場までのつなぎのようなものですから、しっかりと会場の雰囲気を保たねばなりません。

 綺麗な花の飾ったこの壇上で私は90分間思いのたけを喋らせてもらいました。音響といい、会場の反応といい最高でした。

 帰って私のパソコンのメールを開けると、参加した議員さんから何人も感謝と感動のメールが届いていました。「よっしゃー」と思わずガッツポーズをするほど嬉しい出来事なのです。失礼ながら議員さんという職種は数と年功の序列、それに大きな声がまかり通る世の中なので正直いって好きなタイプではありません。でも最近は合併による議員の整理整頓が進んだのか、やる気に満ち溢れた方々も沢山いて、私の先入観を覆さねばならなくなりました。地方自治にとっては嬉しい出来事なのです。

 それにしても私のような人間が何で群馬県くんだりまで呼ばれるのだろうと、妻ですら不思議がるのです。そもそもは東京丸の内のフォーラムAで開かれた全国監査委員研修会に記念講演を頼まれ、その参加者の口伝えがこんな結果を生んだのですから世の中分からないものです。分らないついでに、各県の町村議会議員研修会の話題がまた町村に広がってゆくという核分裂、いやねずみ算とでも言うべきか、面白い方向へと発展しているようです。

 それにしても約90分食後の眠たくなる時間をよくぞ眠る人もなく聞いていただきました。感謝感謝です。

  「国定の 義理人情が 今に生き リンゴ目録 わざわざ届けに」

  「メールなど 縁なき世界と 思いきや 議員メールで 感動感謝」

  「音響も マイクも全て 一流で 俺の話は さて何流か?」

  「風ならぬ 秋雨濡れて 上州の 人情出会う ふれあいの旅」

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