人間牧場

〇今日は誤ってアメーバブログに2本書いてしまいました

永六輔さんからのハガキ(表)

永六輔さんからのハガキ(表)

永六輔さんからのハガキ(裏)

永六輔さんからのハガキ(裏)

 毎朝アメーバブログとワードプレスにそれぞれ1本ずつ記事を書いていますが、今日は朝起きてアメーバブログを書き終わったところで、あれやこれやと騒々しく、やっと書斎の机へ再び座ったのは午後7時ころでした。早速ワードプレスに記事を書くはずが、間違ってアメーバブログへ書いてしまいました。こんな間違いをしたことは殆どないので、どうしようか迷いましたが、折角書いた記事をボツにすることもできず、結局アメーバブログに一日2本と相成りました。しかしワードプレスも記事を起こしておかなければならないため、言い訳程度に留めて書くことにしました。

 昨日は風呂を沸かすため、夕方ふろ桶を洗い温度を40度に設定して、蛇口をひねりました。普通は20分でお湯が沸くので、20分過ぎた時間に風呂場に入ると、何と何とボイラーのスイッチを入れるのを忘れて、水を張ってしまいました。勿体ないと思いながら風呂の栓を抜いて水を半分程度捨て、温度を50度に設定し熱めのお湯を入れました。昨日の風呂場での失敗といい、今日のブログの勘違いといい、ひょっとしたら私も既に認知症の兆候かも知れないと妻に話すと、それは認知症ではなく単なる注意が足らなかっただけだと、手厳しく諭されました。

 先日永六輔さんの夢を見ました。永六輔さんとはかつて文通をしたり、フロンティア塾に講演に来てもらったりしましたが、最近は文通も出会いも遠のいています。先日偶然にもNHKから電話が入り、アーカイブスで永六輔さんと私がテレビで共演している番組の再放送があり、また偶然にも車椅子に乗ってお孫さんが後ろを押している姿が、テレビに画面に写っていました。マルチタレントと言われ八面六臂の大活躍をしていたあの永六輔さんでさえ、アルツハイマー病になるのですから、世の中は分からないものです。夢の中で永さんと私は楽しいお喋りをしていました。二人ともかつて出会った時のままの若さでした。夢は歳をとらないのでしょうか。ともあれ私もやがて永さんと同じような運命を当然辿る事でしょう。

  「間違って 2本のブログ アメーバに 書いてしまって 後で気がつく」

  「ボイラーの スイッチ入れる こと忘れ 水だけ張って 妻に諭され」

  「永さんも アルツハイマー 患って 私も当然 老い先痴呆」

  「あれこれと 忘れることの 多かりき 歳のせいです 言い訳しても」 

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人間牧場

〇えひめ地域政策研究センターから人間牧場へ新任あいさつ

 春は異動の季節です。新年度が始まって一ヶ月近くが経ちました。慌しく新任あいさつ者が自宅や人間牧場へ見えられていましたが、昨日はえひめ地域政策研究センターの所長さんが研究員さん3人を伴って人間牧場へ来られました。案内役は愛媛銀行から出向している渡部さんで、彼は何度か人間牧場へ来ているし、ロケーション風呂を体験した数少ない人だけに、迷わず約束の10時30分に上の道に車を止め歩いての来訪です。

えひめ地域政策研究センターの所長さんが見えられました

えひめ地域政策研究センターの所長さんが見えられました


 聞けば新任の小池所長さんは、私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループの事務局長大野哲治さんとともに、その昔煙会所へ呑みに来てわが家へ止まったことがあるそうでしたが、もう昔のことだし当時は煙会所へ年間千人もの人が来訪していたので、失礼ながらすっかりその事を忘れていていました。
 座布団を敷き5人でまちづくり談義に花を咲かせましたが、新所長さんは気さくな方でこれから何かとご一緒する楽しみが増えました。

 平成の大合併が終って10年近くが経ちましたが、最近はまちづくり環境もすっかり様変わりをしています。行政のまちづくりに対するスタンスは相変わらずの混迷ぶりで、本来やらなければならないことをさて置いて、ユルキャラやB級グルメ、大きな直売所等を作ることなどにうつつを抜かしているようです。余り行政の悪口を言うとボロが出るので言いたくはありませんが、人間牧場を地域づくりのパラダイスにして、これからも私にできる地域づくりをやろうと思っています。

 地域政策研究センターの前身であるまちづくりセンターの創設以来深く広く関わって、私の人脈や交流を広げてもらったり、スキルアップに貢献してもらったある意味恩人なので、人は変われど恩返しをしなければなりません。最近市町自治体からの出向が少ないような気もしていますが、折角出向してきた研究員を地域づくりの戦士として育て上げ、送り返すお手伝いも恩返しのひとつかもしれません。昨日は所長さんや研究部長さんと出会い意見交換ができたいい一日でした。

  「はるばると 初夏を感じる 牧場へ 新任あいさつ 嬉しい出会い」

  「座布団に 座って四方山 話する 蜂と同じく ブンブン討議」

  「この私 作ってくれた 恩人に 恩を返して 行こうと思う」

  「いいとこと 誰もが誉める 眺望を 悦に入りつつ 私も誉める」

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〇年輪塾・藤樹塾ツアー(その4)

坂田文部大臣揮毫のあかぎれ記念碑

坂田文部大臣揮毫のあかぎれ記念碑

 ツアーの最後は新谷藩一万石での研修でした。まず道端の記念碑に向かいました。アカギレした母のために新谷で買った塗り薬を届けた有名な話を後世に伝えるため昭和46年、時の文部大臣坂田道太さんが揮毫している青石の立派な記念碑でした。
 坂田文部大臣といえば、忘れられないのは私が愛媛県青年団連合会の副会長をしていた折、国立青年の家の誘致運動が起こり、時の大洲市長村上清吉さんたちと一緒に、誘致運動に奔走しました。十中八九高知県室戸に決っていた青年の家の誘致を、坂田文部大臣を来県させ逆転満塁ホームランともいえる逆転劇で、大洲北只への誘致に成功したのです。その時当時の青年バイク野郎に横断幕を先へ先えとリレーして、坂田文部大臣を感動させた逸話を、知っている人はも私だけになってしまったようです。

エントランスホールの銀河鉄道の絵の前で

エントランスホールの銀河鉄道の絵の前で

 新谷市街の奥まった所に、新谷小学校があります。ここは元新谷藩陣屋があったところです。新谷藩は大洲藩五万石の一万石分家ですが、お城はなく陣屋で行政が行なわれていました。しかし小藩ゆえ財政事情は悪く、特に幕末や明治初期の廃藩置県のころは最悪で、本家に財務を預けなければ成り立たなかったようです。それでも天皇が京都御所から江戸城へ移る時の行列の先頭としんがりは、大久保利光等の配慮で新谷藩が務めたことは、知られざる歴史のひとコマだと、歴史に詳しい岡崎さんが説明をしてくれました。
 最近立派に新築された新谷小学校の裏手に新谷藩政庁麟鳳閣はありました。しっかりとした木造建築の建物は幾多の変遷を経た今も、学校によって立派に保存されていました。

新谷藩政庁麟鳳閣

見事な佇まいの新谷藩政庁麟鳳閣

 余談ですが、新谷小学校は銀河鉄道999の作者松本零次さんが住んでいた処なので、校舎のエントランスには松本さん直筆の大きな絵が描かれていました。また日土小学校の設計で有名な建築家松村正恒さんの生家も新谷小学校の目と鼻の先だと岡崎さんから聞き、弱小藩ながら歴史的風土が人を育てていることに納得しました。
 今回の水先案内人は親友の岡崎直司さんに清水塾頭が依頼し、亀本さんや西田さん、中川さんたちと何度も現地に足を運んで打ち合わせを行い、学習全般を組み立ててもらいました。それにしても岡崎さんの歴史に関する知識は聞きしに勝る凄いもので、納得の一日でした。
 学習ツアーは水先案内人の良し悪しでおおよそ決ります。今回のツアーもその教訓が存分に生かされ、大きな成果を上げました。この2日間、清水さんや岡崎さんから追加補足の書き込みや資料の送付をメールで頂きました。ブログ画面を借りて関係した皆さんに、塾長として厚くお礼申し上げます。

 

 

 

 

  「年輪を 刻むが如く 今回も 多くの学び 大きな進化」

  「早いなあ 6年間が 過ぎ去りて いよいよ今年 4期目の塾」

  「与右衛門と いう名で大洲 17年 わずかな時に 多くを残し」

  「驚いた 水先案内 する親友 博学ぶりに みんな納得」  

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〇年輪塾開講(その2)

 大洲市中央公民館の4階にある大洲市立博物館に集合した年輪塾塾生18人の一行は、まず博物館入口の中江藤樹にまつわる展示物を見ながら、学芸員のお話を聞きました。歴史上に生きた人が書き残したものには、真筆もありますが贋作も多く、素人の私たちには中々判断がつきにくいものです。いきなり二つの軸物を見ながら中江藤樹の人物について考えました。中江藤樹という名前は本人の名前ではなく、周りの人が付けた名前であって、本名は中江与右衛門といいます。したがって藩主の国替えで米子から10歳で大洲藩へ移り、27歳で大洲藩を脱藩する大洲での17年間は、与右衛門なので、中江藤樹と書かれたものは贋作となるのです。

 私たち一行は観光駐車場に車を止め、その後歩いて大洲小学校の校庭に建っている藤樹少年像や大洲高校の藤樹坐像を見学しました。少年像には立志の、坐像には辞職嘆願書を新谷藩家老に提出する脱藩前の決意の姿が見て取れました。特に大洲高校の坐像は彫刻家塩崎宇宙が作った力作で、色々な写真資料で見たり聞いたりしていましたが、屋敷跡近くゆえにそこここに咲き始めた藤の花の甘い香りとともに、中江藤樹ワールドへ引きこんでくれました。大洲高校内には15歳になった与右衛門が祖父と別居して鉄砲町の屋敷に住み始めていますが、その屋敷跡に至徳堂が建てられていて、この日の座学は古式豊かにこの会場を使わせてもらいました。

 藤樹塾のまず最初の講義は大洲市立博物館館長上田敏先生の、「中江藤樹その生き方と教え」です。上田先生は私たちのためにパワーポイントを使って、次のことについて詳しく、しかも時系列的に分りやすく話をしてくれました。また当日は大洲藤樹会の辻喜千治さんも同席していただき、ごあいさつをいただきました。
  Ⅰ藤樹先生の生涯
     Ⅱ藤樹先生のふるさとを訪ねる
  Ⅲ藤樹先生と大洲
  Ⅳ藤樹先生の教え
  Ⅴ親しみやすい「よえもんさん」

昨日の藤樹塾ツアースケジュール表

昨日の藤樹塾ツアースケジュール表

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

至徳堂前にて記念撮影(岡崎直司さん配信写真)

  「年輪を 刻むが如く 徳を積む 藤の咲くころ 藤樹を学ぶ」

  「至徳堂 座学だけれど ハイテクの パワーポイント 使って講義」

  「世の中にゃ 道を究めた 人ありて あれやこれやと 多くを学ぶ」

  「庭の隅 藤樹飲んだと 伝え聞く 苔のむしたる 井戸側ありて」  

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人間牧場

〇叔母の新聞投稿記事

 親父は12人兄弟姉妹の長男です。末の妹は私より一つ歳上だけですが叔母なのです。私は子どものころこのことを不思議に思っていました。大人になると何でもないことなのですが、子どもにとっては聞くこともできず、「何でだろう?」のもやもやは当分晴れませんでした。だって姉と叔母と甥の私ががひとつずつ違いで、同じ小学校に一緒に行くのですから、これはもう珍事としか言いようがないのです。

 叔母は先年嫁ぎ先の連れ添いをガンで亡くしました。それまで連れ添いと一緒に漁船に乗って漁業を営んでいましたが、今は漁船も処分して老後を生きようとしていますが、私に似たのか私が似たのか、文章を書くことが好きで、何年か前から愛媛新聞の投稿「門」欄に時々投稿するようになりました。叔母の姉(私にとっては叔母)も趣味の俳句や短歌を作りそれを私の手助けで「ナミコ姉さんの歌」という歌集を出版しました。

 今回の記事は「ゴミ拾い散歩道を心地良く」というタイトルでした。

叔母の投稿記事

叔母の投稿記事

 

 

 

 

 

 

 いつもの散歩道をシルバーロードと名前をつけてるそうですが、私は自分の散歩道をウォーキングパラダイスといっています。また最近ゴミ拾いを始めたそうですが、私も毎朝3時間、12年間ですが、シーサイド公園の海岸清掃をしました。DNAが一緒なので、似通った同じようなことを考えたり行動に移したりするものだと、一人苦笑しながら読みました。
 どちらが先に逝くかは分りませんが、人間は必ず連れ添いと分かれなければなりません。また歳もとるのです。連れ添いに先立たれた時の悲壮な叔母の姿を見ているだけに、その悲しさから脱し、老いを穏やかな気持ちで生きている姿に、安堵するのです。これからもひとつ違いの叔母として、健やかに生きてください。そして日々折々の想いを文字に書いてください。

  「新聞に ひとつ歳上 叔母投稿 危険水域 脱し穏やか」

  「DNA 同じと思う 考えや 行動納得 しつつ記事読む」

  「よくやるな 散歩のついでの ゴミ拾い 一石二鳥で 気分晴れ晴れ」

  「あの人の ように生きたい 思われる 生き方中々 難し過ぎて」

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人間牧場

〇昨日・今日・このごろ

 年末に計画し、新年早々地元の水道設備屋さんにお願いして工事を終えていた、屋外給水タンク設置工事の代金支払い請求が来ないので、気を揉んでいましたが、やっとその請求書が昨日郵便で届きました。貧乏人ゆえにそれ程のお金もないゆえ、自然に見についた心構えでしょうか、極力「借金はしない」ことを信条に暮らしています。ゆえに工事代金といえど借金なので、早く片付けたいと思っていました。今回は小さな鉄工所を営む従兄弟が、定年年齢を理由に店をたたんだ最後の仕事として、水槽の土台を作ってくれました。勿論水槽も従兄弟からの頂き物で、廃物なれど立派なステンレス製です。

 人間牧場の設計は長男息子がやってくれていますが、土台だけは自分で作れないので地元の大栄建設さんに、私が設計しお願いし作ってもらいました。そのコンクリート土台の上にステンレス製の土台を乗せ、更にその上にタンクを乗せるのですから、小さいながら吊り込むための重機も必要で、思った以上の工事費になると、内心ドキドキして届いた請求書を開けました。費用は消費税込みで73,500円でした。人間牧場の費用は私の財布から出さなければならないので、その処理のため急遽人間牧場へ出かけました。

水槽の設置工事風景

水槽の設置工事風景

 人間牧場界隈は春真っ盛りで、周囲の山の緑も萌えるように湧き立ち、いつまでも見飽きぬ眺望に一人酔い痴れました。先日井上登さんのご好意で巣箱に取り付けたキンリョウヘンの影響でしょうか、気温も少しずつ上がって蜜蜂の分蜂の時期が近づいたのか、蜜蜂が飛び始めていました。よく見ると空き家だった巣箱のひとつに入居が確認されました。
 梅の木の下にはそこここに山蕗が大きな葉っぱを茂らせていました。もうこの時期になると食べごろです。カッターナイフと剪定ばさみ、それにビニール紐を取り出して山蕗を切りました。「あそことあそこへお裾分け」の人たちの顔を思い出しながら、都合7束を収穫しました。帰り道それぞれの所に配リ終えて帰宅後、自分の家で食べる山蕗の皮を剥ぎ、水を張ったボールに投入れて灰汁を抜きました。

皮を剥いで水につけた山蕗

皮を剥いで水につけた山蕗

 妻は昨晩のうちにその山蕗を湯がき、梅干しを入れて佃煮風に味付けをして煮付けていました。この時期の山蕗は太さも手ごろ、柔らかさも抜群で、味見をしましたが美味しい山蕗の佃煮は、お茶漬けのお供に最高です。
 今年ももうしばらくして山蕗の成長が止まり、少し硬くなったころに収穫して、一年分の山蕗の佃煮を作り、冷凍保存してその味を楽しみたいと思っています。ほろ苦い山菜の味はまさに春ならではの楽しみです。昨日は山蕗のお礼にと、帰りに筍やトラハゼの三杯酢漬けまで頂きました。

  「昨日今日 そしてこの頃 あれこれと 身辺片付き 心晴れ晴れ」

  「工事費を 払ってやっと 水槽が わが物なりて ホッと一息」

  「蜜蜂も 本格的に 動き出す 一箱入居 さあ次はいつ」

  「山蕗を 隣近所へ お裾分け わが家早速 蕗の佃煮」

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〇夏野菜を植える(その2)

 昨日は氏神様である天一稲荷神社の春祭りでした。夕方には神社の境内でお餅撒きもあったようですが、氏子総代や区長の仕事も既に何年か前終えているので餅広いにも行かず、私はもっぱら夏野菜植えに専念しました。
 昨日は雲ひとつない皐月日和で、畑で作業するには暑いくらいで、麦藁帽子を被って畑に出て前日耕運機で耕していた新地の畑に、定規で等間隔を計り、部縄を張って巾鍬で畝を立てて行きました。この作業が上手くできると畑はすっきり見えるし、苗も綺麗に植えることができるのです。

キャリー4箱に入った野菜苗

キャリー4箱に入った野菜苗

 前日伊予市の水口マリ子さんから頂いて帰った、キャリー4箱の苗を植えるには、10畝以上の畝が欲しいのです。亡くなった母が冬野菜は畝を小さ目に、夏野菜は畝を大き目にと言っていた言葉を思い出しながら、張った棒縄に沿って黙々と畝を立てました。これから夏は梅雨時期を経て渇水の夏場を迎えます。畝間の溝が浅いと水が溜まり、畝が高過ぎると渇水の影響を受けるので、畝と溝の関係は特に注意が必要です。畝が立ったら自分の頭の中に描いている作付け計画に沿って、苗物を植えますが、野菜はトマトやスイカのように連作を嫌うものがあったりするので、基本的には作る場所と作物を入れ替えています。

ビニール袋で防風垣をした長ナス

ビニール袋で防風垣をした長ナス

 まず夏野菜の中心となる20本の長ナスを植えました。家庭菜園に20本ものナスは多過ぎますが、できたナスは近所へのお裾分け用なので、このくらい植えないと足らないのです。ナスはまだ少し季節が早いので風に弱いため、風邪を引かないよう牛糞の入っていたナイロン袋の両端を切り落とし、それを半分に切ってナスの苗にすっぽり被せるのです。そのため20本のナス苗×4本=80本の竹杭が必要なため、裏山から竹を10本ばかり切って帰り、定規で計って鋸で切り、順次立てて行きました。これが中々の苦労でした。

綺麗に植わった野菜苗

綺麗に植わった野菜苗

 続いてトマト、ピーマン、シシトウ、唐辛子、オクラ、トウモロコシ、キウリ、冬瓜、スイカ、パセリなどを順次植え込み、根元に牛糞と軽めの化成肥料をやりました。特にトマトとキウリには50cmほどの竹杭を用意して立て、風で倒れないようビニール紐で軽く縛りました。今年は畑の真ん中に風除けのため波型スレートで作っている仕切りにゴーヤを這わせようと思い、5本ばかり植えました。お昼休みもそこそこに作業を続け、水をやって一連の作業を終えたのは午後4時ころでした。いやはや疲れました。苗植えを終えた畑を見て妻が誉めてくれましたが、誉めてもらう価値のある農作業でした。今から夏野菜の収穫が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「頂いた キャリー4箱の 苗植える 家庭菜園 収穫楽しみ」

  「あれはここ ここへはあれを 植えようと 思い巡らせ これも楽しい」

  「長ナスの 周りに4本 杭を立て 風邪を引かない ように工夫を」

  「ストレッチ しているお陰 足腰も どうにかもって 今年も植える」

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人間牧場

〇冬の名残りの珍現象

 家のあちこちに、妻愛用のプランターがあります。妻は花好きですが、まだこの歳になっても、近所の歯科医院へパートで勤務したり、家事全般や親父の世話で花の世話をする時間がないため、最近は土の入れ替えや植え替え、草取りなどは少しだけ手伝っています。これまで忙しいことを理由に、こうしたことに見向きもしなかった私の行動に、妻は大喜びの手合いですが、プランターもそろそろ衣替えの季節がやって来たようです。

まるで前衛の生け花のような葉牡丹の花

まるで前衛の生け花のような葉牡丹の花

 私が増やそうと思って挿し木したアジサイも、何本かは枯れましたが、生き残っているものも鉢に植え替えました。残りは人間牧場に植えて枯れた場所へ持って行き、補植しようと思っています。圧倒的に多いパンジーは花屋さんに勤めるという若嫁の友達が、処分するものをくれたものですが、ここに来て元気を回復し、綺麗な花を咲かせています。花の命は短いものの、こうして世話をすれば暮らしに彩を添えてくれるのです。

 年末に友人の水口マリ子さんから毎年頂く葉牡丹は、この3ヶ月間変わらぬ美しさで玄関先を飾ってくれいていましたが、ここに来てトウが立ち菜の花系の可憐な黄色い花を咲かせ始めました。見方によってこれは自然が作る造形美で、昨日は家族で鯉幟を愛でながら、葉牡丹の花を愛でました。いやあ実に見事です。葉牡丹の端正さを楽しんだ後花まで楽しめるとは、まさに一石二鳥です。葉牡丹に咲いた花はまるで前衛の生け花のようです。この花が終わればわが家の庭にもツツジが咲き揃い、いよいよ初夏がやって来ます。

  「正月の ために植えたる 葉牡丹に 綺麗な花が まるで前衛」

  「植物は 花を咲かせて 実を結ぶ 命のリレー 見えぬところで」

  「まあ綺麗 皆口々に 葉牡丹の 花を讃えて まじまじ眺め」

  「どこからか 蜂が一匹 飛んで来て 蜜吸いながら 羽根を休める」 

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人間牧場

〇享年と行年

 最近は便利になって、必要な用件はいち早くPCや携帯電話にメールが入るので、チェックを怠らなければ瞬時に伝言が伝わります。昨日親友から親友のお母さんが亡くなったという知らせと、通夜や葬儀の段取りメールが届きました。人の死は突然やって来るので、メールを受けた私は、早速予定表を開け、出席できるかどうかをチェックしますが、あいにく予定が入っていて、葬儀に出席できないため昨日の夕方、友人と待ち合わせて通夜式に出かけました。

 午後6時開式を逆算し、松山市内宮の葬祭会館に30分前に到着する目論見を立てて車を走らせました。夕方のラッシュ時期でしたが渋滞に巻き込まれることもなく、カーナビのお陰で迷うこともなく予定通り到着しました。
 仕事や都合で通夜にも葬儀にも出席できない仲間から頼まれた香典を、受付で差し出して住所録を書き、お返しの品を頂いて2階の通夜会場へ入りました。穏やかなお姿でお母さんは安置されていました。枕元で親友夫婦が淋しそうに座って、相次いでやって来る弔問客にあいさつをしていました。唇に水を差し線香を手向けてねんごろに弔いました。

 丹原からやって来た菩提寺の和尚さんの読経で通夜式は始まりました。浄土宗の物悲しい読経に心を揺さぶられ、30分余りの読経の後少し長めの説教が20分以上もありました。私はお坊さんの説教はためになるお話が多いため、しっかりと聞くようにしています。この日の説教は浄土宗のいわれや教祖法然についてが殆どでしたが、享年と行年について聞くことができました。「享年とは人が天から享けた年数」「行年とは娑婆で修行した年数」だそうで、結局は意味的には大差がなくどちらでもよいというお話でした。

 年齢は生まれる時点が0歳ですが、母親の胎内で10月10日を過ごすため、生命的には生まれた時点で1歳なのです。ゆえに誕生日の10月10日前から死を迎えるまでの年を数えたものが享年と行年なので、必ずしも数え年と一致しないのもそのためのようです。
 仏教辞典によると享年・行年とは、「天・大自然から享けた年数」「この世に存在した年数」のことだそうです。行年は「何歳まで生きた」ということで「歳」をつけ、享年は「歳」をつけないそうです。最近は紛らわしいので位牌に「満〇〇歳」と満年齢を書く人もあるようです。昨夜の通夜式もいい勉強をさせてもらいました。

  「突然に 人はなくなる 私にも 予定があって 中々出れず」

  「行年と 享年違い 言われたが 結局大差 ないと認識」

  「人間は 母のお腹で 既に生き 死ぬときゃそれを 足して計算」

  「淋しげな 友の顔見て つい涙 母との別れ 辛いものです」

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〇種を蒔く

この写真のような野菜が出来たらいいなあ!!

この写真のような野菜が出来たらいいなあ!!

 昨日は牡丹会に出かけた帰りに、ホームセンターに立ち寄り野菜の種を買って帰りました。本当はもっと色々種を蒔いて野菜を作りたいのですが、いかんせん手間と暇がまだついて行くことができないため、とりあえずインゲン豆、人参、大葉、スイートコーン、ゴボウの種を一袋ずつ買いました。昨日は時期も良しの二十四節気のひとつ穀雨で、朝からの雨も午後には小康状態となり、多少畑の土も緩んでいましたが、種を蒔くには適当なお湿りで、先日石灰と牛糞を施して耕運機で耕していた畑に棒縄を張り、定規で間隔を計りながら種を蒔きました。

 買った野菜の種袋には、どれも立派な写真が写っています。いつも種を買う時思うのですが、こんな野菜ができるかも知れないと淡い期待を抱くのです。しかし残念ながら孤軍奮闘の甲斐もなく、できた野菜は曲がったキュウリ、又別れしたゴボウや人参、虫の食った歯抜けのトウモロコシ等、農薬を使わないため散々で、時には全滅して×÷▲□といった気分になり、栽培意欲を欠いたりしますが、そんな苦い思い出は直ぐ忘れ、同じような過ちを犯すまいとしつつ、同じ過ちを犯してしまうのです。それでも苗を買うより種は安いし、野菜を買うよりは自分で作った野菜は安心安全において納得できるのです。
 作物は土作りだと分っていて、今年も昨年に続いて完熟牛糞を30袋買いました。10袋まとめ買いすると1袋負けてくれるし自宅まで運んでくれるから楽チンです。

 昨晩いつも夏野菜の苗をいただく伊予市の水口マリ子さんに電話を入れ、明日苗を取りに行く手はずが整ったので、早速今日は畝を立てたりして植える準備をしなければなりませんが、ここに来て仕事や人間牧場への来客も俄然忙しくなって来ました。
 先日病院で同じ役場に勤めていた親友に会いました。彼は退職後広い畑で野菜を作ったり、海で釣りをしたり、いわゆる海英彦山彦のような三昧な暮らしをしています。彼がスイカを作ることを勧めてくれました。これまでにもスイカを作った経験はあるのですが、中々世話が大変で止めました。彼は小玉スイカを作っているらしく、これまでにもお裾分けでいただきましたが、とても美味しかったです。
 プランターに植える花々も買った時が一番綺麗で、そのうち雑草に覆われ水をやり忘れて生き絶え絶えとなり、哀れな末路を辿ります。今年はそんなことのないよう頑張りたいものです。

  「種袋 見ると綺麗な 写真入 こんな野菜が できたらいいなあ」

  「穀雨日を 選んで野菜 種を蒔く お湿り宜しく 一粒ひと粒」

  「今年は スイカを作って みようかな!! これも挑戦 一生懸命」

  「親友や 近所の人に 教わって 野菜作りも 板につきつつ」  

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