人間牧場

○何が何でも急過ぎる

 昨日の朝、親友の稲葉真光さんがわが家にやって来ました。稲葉さんは下灘にある私の畑を貸していて、私に言わせると稲葉さんには失礼ながら「農業の真似事」をやっています。稲葉さん本人に言わせると大真面目で、行く行くは農業で飯が食いたいと希望に燃えてやっていて、あちらこちらの研修会などにも参加して、農業をビジネスにするためのノウハウを着々と身に付けているようで、私もその行方を注目しているのです。しかし私のように家の横の家庭菜園や人間牧場を使い、趣味で農業をやるのは楽しいのですが、農業で飯を食うことは容易なことではないのです。
 稲葉さんは現代の二宮金次郎みたいな方で、砥部町に住んでいながら、毎朝早く起き双海町まで車でやって来て、夜明けとともに農作業を開始し、自分で息子さんと経営しているクルマハウス砥部という自動車修理工場へ9時までに帰って、仕事をするという超真面目な働き者で、土日も殆んど畑で農作業をやっているのです。

 稲葉さんは人を大切にする人で、先週も知人の紹介で訪ねてきたインドネシアの人を連れて。石窯工房やわが家の海の資料館「海舟館」、菜の花畑、人間牧場などを一日中案内していたようでした。「よくやるなあ」と感心しながら見ていましたが、そのインドネシアの人が近々帰国するので送別会を兼ねたコンサートを砥部町の古民家を借りて催すので、来ないかと誘いにやって来たのです。昨日は新年度の始まりで私も何かと忙しく、また各方面から新任のあいさつに人がやって来るので、家を空けることも出来ず、加えて今日から始まるカルチャースクールの講義準備もあるしと思いつつ、そんなに急に言われてもと思い、行くか行かないか正直迷っていました。しかし大真面目な、日ごろ人を大切にする稲葉さんのことが気になり、会場となる砥部町の坪内邸へ向かいました。

 坪内邸は砥部町でも広田の入り口に当たる奥まった所にある旧庄屋です。昨日は夕暮れの薄暮に咲き始めた桜が彩りを沿え、半月の月の光が優しく照らすいい雰囲気の夕方でした。7時30分からという案内を受けていましたが、7時に会場に到着すると2~3人の人がご飯を炊いたり汁物を作っていました。その段取りたるやスローモーションで、7時30分どころか8時になっても食事やコンサートは始まりませんでした。そのうち稲葉さんが声をかけたであろう20人ほどの人が集まりましたが、何をどのようにするのか聞かされてなく、不安そうに食事とコンサートを和室の畳に座って待ちました。
 そのうち私の携帯に島根県隠岐の島西ノ島町役場出身で、今は島根県庁へ出向している南さんから、私の親友である角市正人さんの訃報を知らせるメールが届き始めました。

坪内邸での和風コンサート

 メールを気にしつつ、やがて立ち食いのようなかまど飯とカレー味スープを食べ終わり、コンサートが始まったのは9時前でした。コンサートは千九郎という若い尺八奏者とギタリストの二人が登場し、奥まった部屋で演奏が始まりました。障子とふすまで囲まれた和室でのコンサートは尺八の音色が程よく似合い、今まで聞いたことのないような、とてもいいコンサートで、久しぶりに心を洗われた感じがしました。千九郎さんの決して上手いとはいえないつなぎのお喋りも、それなりにいいものでした。角市さんの訃報に心が沈みながら、あいさつもそこそこに夜の道を急いで帰り、家の車庫内で南さんと電話連絡が取れ訃報の全容を知ることが出来たのです。

 

若い二人の演奏者

「何が何でも急過ぎる」と思いつつ、稲葉さんの口車に乗って出かけたコンサートでしたが、稲葉さんはいつも私が「来ないか」と誘ったら、嫌とは言わず参加してくれます。先日年輪塾が行なった山口県への修学旅行も、嫌がらず喜んで参加してくれました。そんなこともあって浜田さんと二人で参加をしましたが、「来てもらおうと思えば日ごろから顔を出しておく」という鉄則は、稲葉さんから教わったような気もするのです。
 準備はさて置き、あの後片付けは一人で大変だろうなと思いつつ、昨日の夜のことを思い出しています。今朝は朝から天気予報どおり台風並の大風が吹き荒れ、昨晩の幸運を思いました。

  「来ないかと 夜の案内 その日朝 何が何でも 急過ぎますね」
  「声かけた 人の殆んど 集まりて さすがですねと 感心しきり」
  「尺八の 音色障子を 震わせて 春の足音 静かに聞きぬ」
  「古民家の 座敷わらしを 呼び覚ます そんな怪しげ 雰囲気醸す」
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