人間牧場

○人間牧場での農作業

 春が来たというのに一向に暖かくならず、また年度末も結構忙しかったことを理由に、人間牧場での農作業をずる休みしていましたが、お尻に火がついたような感じで、昨日は春一番を思わせる(気象庁の発表によると実はもう春一番は吹いている)ような通称やまぜ風の強く吹く中、田舎のオープンカーに乗って農作業に出かけました。
 野も山も畑も、たった一日の事ながらすっかり春めいて、名残の梅の花と咲き始めたスモモの花に加え、今が盛りと遅れた分一斉に咲いたヤブツバキの花を、同時に見ながら作業を始めました。妻が用意してくれた作業用のジャンバーを脱ぎ捨て、薄手のシャツ一枚でも作業をするに連れて汗が出ました。

ヤブツバキの花

 昨日の農作業はロケ風呂下の倉庫の中にしまっていた、ペレット肥料とペレット燃料を取り出し、ペレット燃料はピザ釜の後にトラックに積んで移動し、ペレット肥料は畑に撒いて、残りを灯油ボイラーの倉庫に移し替えるのですが、これが中々重たい仕事で腰に堪えました。肥料と燃料を除けて空になった倉庫の掃除をして、残材を使って奥まった場所に小さな棚を作り、細々したものを収納してから、上の倉庫から耕運機を取り出し、エンジンをかけて下の倉庫へ移動するのですが、エンジンは亀本さんが直してくれていて一発でかかったものの、階段の道が狭くて大きくはみ出し、急斜面を落ちそうになりました。急いでロープを使って固定し前進と後進を小刻みに繰り返しながら、四苦八苦の末何とか新しい倉庫に運び入れました。耕運機は只今のところ年に一度しか使わないので、再々使う上の倉庫では邪魔者扱いされていましたが、これでやっと居場所を得た感じです。

 そのうち年輪塾生第1号の浜田さんから、電話で作業の申し出があり、午後2時頃自分が運転してやって来ました。浜田さんはこれまで私や人の便でやって来たり、上に車を置いて歩いて来ていたので、車の乗り入れは多分昨日が初めてだと思うのです。浜田さんはこうして時々修行と称して人間牧場へやって来て、特に水平線の家の中の掃除をしたり、細々した片付け作業をしてくれているのです。昨日は亀本さんが桜の木の枝で作ってくれていた金次郎の歌詞台が、生木だったため虫に食われて木くずで多いに汚れていたので、そこら辺を大掃除していました。私は入り口付近までのコンクリート舗装私道に、イノシシが荒らして流れ落ちた赤土をスコップで除ける作業をしました。

白い花が開き始めたスモモの木

 天気予報では明くる日の今日は雨だと言っていたので、少し丁寧に取り除く作業をしましたが、冬の長い間農作業をしていなかったため、体が生っていて汗をかき息が上がりました。折からの突風で土煙が上がる中をせっせとやった結果、何とか綺麗に片付けることが出来ました。私たちがいない間に頻繁に出没し、時折悪態の限りを尽くすイノシシには困ったもので、手の施しようがないのですが、これも神仏が与えた試練と思いながら、イタチごっこならぬイノシシごっこを繰り返しているのです。
 昨日松山では、待ちに待った桜の開花宣言が出たようです。昨日一日だけで人間牧場のスモモの花も随分開花したように見えました。農作業を終えて浜田さんと差し入れてくれた饅頭を食べて一服しながら色々なことを話し、午後5時前に農作業を終えて帰宅しました。作業中に講演依頼の電話やスケジュールの打ち合わせ電話が相次ぎ、昨日も忙しい一日でした。

   「見る人も ないのに椿 艶やかに 冬の名残を 惜しみつつ咲く」

  「春嵐 温かい風 まとわりて スモモもやっと 目覚めたように」

  「イノシシに 荒らされた道 スコップで ヨイショヨイショと 汗をかきつつ」

  「修行だと 言って友人 掃除する 私も修行 思いつ作業」

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人間牧場

○体の尺度

 昨日一冊の雑誌をいただき手にして読みました。ざっと流し読みをして裏表紙を見るとある測量事務所の興味ある広告が載っていました。手を鉛筆書きで描いたイラストですが、その説明に「人は自分のカラダにはかりを持っています。尺や寸は自分の体の一部の長さの単位でした。それはとてもいい加減に見えますが、自分にとって安心できる丁度いいを発見するはかりでした」と、意味深長な言葉が書かれていました。
 早速このイラストに沿って自分の親指と人差し指の間の長さを計ってみると16.5cmありました。もっと調べたいと思い辞書を引いてみると、手を広げ親指の先からから人差し指の先までの長さを尺ということが分かったり、私が漁師をしていた頃海の深さを測るのに、両手を広げて一尋、二尋とロープを計るよう親父に教えてもらったことを思い出しました。

体の尺度

 その後、子どものころに尺貫法が廃止されメートル法が公認されたため、曲尺とか鯨尺とかは私の暮らしの中から消えて行きましたが、それにしても昔の人はよくもまあ、あんなアバウトな計測法を使って、それなりに仕事に生かしていたものだと感心するのです。私は毎日1万歩を目安に歩くよう心がけていますが、残念ながらその科学的な根拠もないまま、ただ無造作に歩いていることに気がつきました。「私は一日一万歩歩いて一体どれ程の距離を歩いているののか、またその距離を歩いてどれほどのエネルギーを消費しているのかさえ分からず、ただ人が一万歩くといいというので歩くという、まあいい加減な歩き方をしていました。
 人によって身長が異なるため、一歩の長さはまちまちですが、160cmの人なら身長160から100を引けば歩幅は60cmだそうです。別の計算式160cm×0.37=59,2cmも概略60cmですから、ほぼ同じと思えばいいようです。

 

 つまり1歩60cmで1万歩をかけると、6キロという数字が出てくるのです。えっ、1時間30分ほど歩いただけでそんなに歩くの?と不思議に思いましたが、まあ道行く人と話し込んだり少しゆっくり歩くので、1万歩歩けば安く見積もっても5キロ程度は歩く計算になるのです。
 ところで尋(ひろ)は尋(じん)とも呼びます。一尋の二倍を常(じょう)というそうですが、私たちが日ごろ何げなく使っている尋常という言葉は普通や並みという意味なので、「尋常ではない」というのは「ふつうではない」状態を意味するのです。昔学校のことを尋常小学校や尋常高等小学校などと呼んでいましたが、やっとその意味が分かったような気がしました。尋は「広げるという意味があり、「左」「右」「寸」の合成文字だと知れば益々博学になった気分です。今日から1歩50センチを刻んで約5キロを意味を込めて歩きたいと思っています。

   「一万歩 歩けば5キロ 歩くそう 百日百キロ 凄いぞ凄い」

  「尋常の 意味を始めて 知りました 尋は左右と 寸の合体」

  「手の平を 定規に見立て 昔人 暮らしに活かす 生活の智恵」

  「この歳に なっても知らぬ ことばかり おいそれ死ねぬ 早く知らねば」

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人間牧場

○春は別れの季節

 昨日の夜は激励会と送別会を一緒にするという、相手には少々失礼な会を行ないました。最初計画していたのは年輪塾のメンバーで、メダカの飼育で名を上げた井上浩二さんが、この春2年間の残任期間を残して早期退職するというので、再起動の会をしてあげようと相談が持ち上がったのです。ほら貝で出来た笛をプロ並みに吹くので、私たち仲間の愛称は「ホラ吹き浩二」(私が敬意を持ってつけた愛称)と呼んでいますが、彼は旧小松町の職員で、合併後西条市役所の職員となって環境行政に力を注いできたのです。
 双海町東越でメダカの学校を造って活動していて、亡くなった川口寿雄さんと、私を介して知り合ったのはもう20年も前のことでした。以来川口さんと深い親交を持ち、川口さんが亡くなってからは川口さんの遺志を継いで「メダカの井上浩二」といわれるまでに成長し、メダカサミットを成功させる等、大きな成果を収めているのです。その井上さんが心境の変化で40年勤めた役所を早期退職するというのです。退職後も再雇用等でぶら下がる人が多い中で、後進に道を譲るというのは中々出来ないことです。聞けば彼には大きな夢があって、その夢の第一歩として、退職後間もなく四国八十八ヵ所を坊主頭で歩き遍路に出かけると、目を輝かせて話していました。

再起動と送別会

 昨日の会のもう一つの目的は、国立大洲青少年交流の家の所長としてこの3年半余り活躍し、年輪塾の塾生として行動を共にしてきた新山雄次さんが人事異動で、福島県にある国立那須青少年交流の家へ転勤が決まった送別会でした。交流の家の所長といえば重い役職ながら気軽に私たちと活動して、私たち仲間を感心させ続けた立派な方で、栄転ゆえに大きな拍手を送らなければならないはずですが、仲間が去るのは少々残念な気もします。
 私と国立大洲青少年交流の家の出会いは古く、青年の家と呼ばれていた時代に誘致運動にかかわり、その後も活動や運営に深く関わってきました。丸木舟や青年の樹の移動ゴタゴタで、一時冷めた関係にありましたが、前所長や新山さんと出会って見事に心のわだかまりが解け、特に新山さんの所長時代は運営委員長に就任する等、公私共に深い関係になっていました。先立って先月異動した國分前次長さんとともに、惜しい別れなのです。

 昨日は網膜はく離の手術をして、県立中央病院に入院している清水さんの見舞いに行きました。偶然新山所長さんと病院で見舞いが一緒になり、三人でしばらく談笑してから新山さんを私の車に乗せて、少々早く市駅近くの小料理屋「ふじ」というお店へ着き、早めに到着していた大洲市田処の西田和子さんを交えてお話に花を咲かせました。
 再起動と送別の会には永井さん、青木さん、浅野さん、浜田さん、西田さん、米湊さん、松本さん、真鍋さんたちも駆けつけ、賑やかな集会となりましたが、2時間飲み放題食べ放題で身も心も満腹となり、21時近くでお開きとなりました。松本さんたちは余韻を楽しむべく夜の町へ消えて行きましたが、私は帰宅便同乗を頼まれていた赤石さんと、今月末で店を閉めるとハガキが届いていた市駅前の「いよじ」へあいさつに伺い、赤石さんが生ビールを一杯だけ飲み干して店を出ました。この店も私の過ぎ越し人生には忘れられない、数多くの夢や出会いをいただいた懐かしい店なのです。
 人は去り、人と巡り合う、まさに春は別れと出会いの季節です。井上さんと新山さんのこれからの活躍に多くな拍手を送りたいと思います。

   「送別と 退職祝う ごちゃ混ぜの 宴会開き 旧交温め」

  「飲み放題 頑張りお茶を 三倍も 春はダボダボ トイレ駆け込む」

  「三月で お店閉めると いう便り 寂しくもあり 最後立ち寄る」

  「春出会い 春に去り行く 人ありて 三年間の 思い出過ぎる」

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人間牧場

○四国サイコーダイガク最終成果発表会

 サイコーを最高や再興、再考とかけたサイコーダイガクという珍しい名前の研修会が発足したのは昨年の6月でした。以来講義やワークショップ、中間発表会、モニターツアー、サイコーダイガク祭を経て、回を重ねること10回目の最終発表会が昨日、双海地域事務所で開かれました。毎回30人ほどの固定メンバーが双海町の観光資源をどのように生かすか、智恵を絞って話し合いました。残念ながら双海町が再興するまでのレベルには達しませんでしたが、それでも合併以来縮み続けていた感のある双海町のまちづくりを観光という視点で再考し、何とかしたいという想いを共有したり、次につなげようと努力した成果は大いにあったようです。

市長さんもあいさつに

 昨日は「着地型観光ビジネスについて」、株ティー・ゲート取締役ニューツーリズムコンサルティング部長福井善朗さんのショートな講義がありました。「着地型のサービスは感動」、「既存の商品を工夫する」、「顧客は創る」、「情報発信ではなく流通」というキーワードを分かりやすくパワーポイントを使って説明してもらいましたが、個人ニーズへの対応や多様化する販路への対応、高まる体験型観光ニーズへの対応など観光イノベーションを起こさなければならないと強調されていました。
 その後地域事務所の武智さんと地域おこし協力隊の冨田さんが一年間の成果を発表し、一年間に渡ってサイコーダイガクのコーディネーターを務めた前田さんの司会で参加者が意見を述べ合いました。

 昨日は伊予市長さんも2時間の会議に出席していて、双海町の観光資源を原石に例えてエールを送ってくれました。最後に前田さんから発言のマイクを振られ私も一言述べる機会がありました。双海町の観光を考えると、観光協会やシーサイド公園、グリーンツーリズム推進協議会などがありますが、いずれも観光に関するシグナルを出したり、つなぐ機能が不足していて、このままではこれ以上の発展は望めず、近い将来まちづくり会社のようなものの設立に向けて努力していかなければならないと意見を述べました。

 サイコーダイガクの学習は参加者の総意によって、今後も継続することが決まりましたが、学習に機会を捉えて夢を語り合うことは大いにやるべきなので、私も参加しようと思っています。発表会終了後500円の会費を持ち寄って謝恩会が開かれました。おでんをつつきながらの立食パーティも大いに盛り上がりました。次年度は私も人間牧場でグリーンツーリズムに似た幾つかのプログラムを実験的に行なってみようと思っていますが、はてさて時間や暇がが取れるかどうか・・・・・。

  「久方に ふたみの観光 語り合う 老若男女 三十人もいて」

  「頭では 分かっているが リアルとなると 手足動かず」

  「何もない 思っていたが 原石は あり過ぎるほど この町凄い」

  「仕掛けたる 人の異動も ないようで 根性すえて 前に向かって」

 

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人間牧場

○東京からのお客様

 ご主人の単身赴任という生活をしたことのない私には、そのプレッシャーが留守を預かる家族にもたらす重さは計りようもありません。ましてやご主人が赴任先でどんな仕事や暮らしをしているのかは、心配するもののこれまた全てを知る由もないのです。
 一昨年の夏一人の男性が東京から松山へ単身赴任して来ました。そのポストはキャリア組なので非常に高くて重いものなので、リタイアして何の重さもない無位無官な私とは出会うはずもないのに、ふとしたことから知り合いとなり、この1年半余りつかず離れずの付き合いをしてきました。人は100回会っても1回しか合ったことのないような薄い付き合いもありますが、この男性は1回会っても100回会ったような人間性豊な人なのです。ゆえに土日等たまの休暇を利用して愛媛県内を案内したり、時にはお互いの研修会に知恵を出し合って濃密な活動を展開してきたのです。

 

人間牧場にて

 その男性から、子どもが春休みになったので東京から家族がやってくるので、ご一緒したいというごく内輪な話が届きました。双海町へ来たいというので早速どこへ連れいていこうかスケジュールを立てました。ご希望は翠小学校や、菜の花畑、人間牧場だったので、午後2時過ぎに伊予市駅まで自家用車で迎えに行きました。東京暮らしの今度小学校3年生になる男の子と、今度在京の大学に進学する女の子、それに奥さんの3人が男性と共に駅に降り立ち、早速双海町へ向かいました。この日は冬が来たような季節はずれの寒い北風が吹いて、南国四国の暖かさを楽しみにしていた家族は、首をすぼめ寒そうにしていました。
 翠小学校はお休みだったので運動場へ入り外から眺める程度で記念写真を撮りました。その後大森さんのハウスイチゴ園に無理を言って入れてもらい、品薄ながらイチゴを頬張りました。この時期のイチゴは甘いはずながら団体客が食べた後なので残念な気もしましたが、まあ都会の人には思い出の片隅に残ればいいくらいな感じで案内しました。

 

菜の花畑にて

 続いて閏住の満開の黄色い菜の花畑やマッチ箱のような一両の列車が入ってきた下灘駅を案内しましたが、いずれも春の四国路旅情をかき立てる風情があっていい雰囲気でした。その後曲がりくねった道を人間牧場まで行きました。急峻な地形、曲がりくねった細い道、ウッドデッキから見下ろす瀬戸内の遠望や絶景、ロケ風呂の不思議に子どもたちは事の外興味を示してはしゃいでくれました。
 夕日を見る時間になっても西の空は時折しぐれるような雲行きだったので、高速道路に乗って少し高台から後に夕日を感じながら、松山へ向かいました。松山では妻と合流し、ご主人が予約していたこじんまりした鮨屋さんで、耳鼻咽喉科の院長ご夫妻とも合流して賑やかな夕食会となりました。聞けば院長先生の奥さんは旧上灘中学校で20年も前に、長男や長女を教えたことのある先生だったそうで、子どもたちの話に花を咲かせました。

 時の経つのも忘れて美味しいお寿司に舌鼓を打ちながら、久しぶりに出会った家族のふれあい振りを見学することが出来ました。家族とはいいものだとも思いました。多分この男性は今年の夏の異動で2年間の任務を終え家族の住んでいる東京へ帰るものと思われますが、やはり家族は同じ屋根の下に住んだ方がいいに違いありません。でも離れているから逆に親子の絆を感じることもあるし、多分この家族はそれをしみじみ感じていることでしょう。
 お別れをして帰宅する車の中で妻と色々な話をしました。離れることなく一緒に暮らしている夫婦の絆や、息子家族との賑やかな同居の意味も感じることができました。聞けば昨日は息子さんの誕生日だったそうで、また娘さんとわが長女の誕生日が2月26日という同じ日であることも分かり、まあ面白いご縁がありました。奥さんも控え目な素敵な方で、時々息子さんと二人の連名連文でハガキをいただいていて、家族の姿を垣間見ることが出来ました。

  「単身で 赴任生活 してる人 家族呼び寄せ 春を楽しむ」

  「遠くても 絆の深い 家族にて ほのぼの姿 あやかりたいな」

  「わが家族 幸せですと 胸を張る 姿は違え 賑やかですよ」

  「いきなりに あなたの子ども 教えたと 言われ世の中 狭いもんだね」

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人間牧場

○千本桜の森づくり事業に思う(その2)

 昭和56年に仲間12名とともに結成した21世紀えひめニューフロンティアグループは、これまで空から故郷を見る運動を皮切りに、無人島に挑む少年のつどいや竪穴式住居語り部の集い、丸木舟瀬戸内海航海、ブーメランテーブル製作、10年で40回のフロンティア塾など、①今やれる青春、②一年一事業、③社会への揺さぶりをテーマに、主に青少年の健全育成と自らのスキルアップを目指して活動してきました。しかし主要メンバーの高齢化はいかんともし難く、数年前から青少年の健全育成から地域づくりとメンバーのスキルアップに軸足を置き換え、スキルアップは国内世界遺産を巡る旅を計画し、これまでに広島原爆ドーム、安芸の宮島厳島神社、石見銀山、姫路城、熊野古道、京都・奈良の神社仏閣、そして白川郷合掌造りと旅を続けてきました。来年は九州の屋久島への旅が計画され、それなりにスキルアップが図られていることは喜ばしい限りです。

愛媛新聞朝刊

 さてフロンティアグループにとって地域づくりとは何か?、色々考えた結果田畑や里山の荒廃を見て、千本桜の森づくりという事業を思いつきました。一ヶ所100本の桜を東・中・南予十ヵ所選んで植えようとするものです。新聞で募集をしたところ、愛南町柏地区、国立大洲青少年交流の家、伊予市佐礼谷地区、伊予市双海地区、今治市菊間地区などがそれぞれ名乗りを上げてくれ、既にこの2年間で700本を越える桜の苗木が愛媛の地に植栽されたのです。嬉しいことに苗木をプレゼントした地域ではどこも喜ばれ、佐礼谷地区は2年間、菊間も2年間継続事業となって、大いに気を吐いているのです。
 植栽の話や計画が持ち上がる度に、私と大野事務局長が現地に飛んで打ち合わせを行い、苗木の手配は今治の河上さん、標柱ポールは日浅さんが製作し文字記入は佐賀山さんがそれぞれ担当し、地域づくりにいささかなりとも役立っているのです。

 私たちのグループには、関奉仕財団というパトロンがついていて、毎年財政的援助をいただいていますが、昨年はえひめ地域政策研究センターの助成金もいただき、小さな集団ながら千本桜の森づくり事業は順調に推移しているようです。
 千本桜の森づくり事業に呼応してもらった団体が植栽を行なう場内私たちのメンバーの誰かが立ち会うようにしていますが、これまで私が出かけた伊予市佐礼谷や今治市菊間町松尾の取り組みはどこも熱心で、しかも参加した人たちは若い頃に青年団活動などに参加して、ボランティア精神がしっかりと根付いている人たちばかりであることを、ある意味嬉しく思いました。

 先日友人で先輩の玉井恭介さんが自分のブログ「考える村」に次のような言葉を書いていました。1200年前のガンダーラの遺跡に彫られた言葉に、「少年時代は礼節を学び、青年時代は感情をコントロールすることを学び、中年時代は正義を学び、老年時代は弱い人間に援助することを学ぶ、そして悔いなく死ぬ」とあるそうです。私と同じように佐礼谷の人も松尾の人も、この言葉と同じような学びをしていると実感したのです。そして悔いなく死ぬ前に弱い人間に援助しなければ生きている意味がないとも思いました。高齢化時代を向かえていますが、残念ながら現代の高齢者の殆んどはこうした学びをしていないため、孤独になったり社会から疎んじられて寂しく生きているのです。いい高齢者にならなければ・・・・。

  「少・青や 中・老それぞれ 学ばねば 老を楽しく 生きられぬかも」

  「これからは 悔いなく死ぬる 気概持ち 人に援助の 手心加え」

  「穏やかな 春の日差しを 受け植える 桜の若木 今に花見が」

  「ああ今日も いいことしたと それなりに 満足しつつ 友と語らう」 

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人間牧場

○子どもおもしろ教室の閉講式

 一昨日の土曜日、双海地域事務所で子どもおもしろ教室の閉講式が行われました。前日まで泊り込みで香川県小豆島余島へロータリークラブのセミナーに出かけていたため、担当の赤石さんから列車の中へ携帯電話が入り、簡単の打ち合わせだけで当日を迎えました。9時から双海地域事務所の3階会議室に親に連れられた子どもたちが沢山集まって、とても賑やかでした。
 私が開会の挨拶をしました。今年のプログラムを少し振り返りながら、間もなくオープンする東京スカイツリーと高さと同じ634mの明神山に登ったこと、10月の収穫祭ではイノシシに食べられてサツマイモの収穫がゼロだったため、イノシシ鍋を食べたこと、この4年間ボランティアスタッフとして活躍してくれた宮崎君が、前日の愛媛大学卒業式で栄えある学長表彰を受賞したこと、東日本大震災の福島から疎開している渡辺さんの娘さんが、教室に参加して元気に頑張ったり、渡辺さんの奥さんが間もなく5月1日、双海町民となるであろう赤ちゃんを産むことなどをしっかりと話してやりました。

 今年のおもしろ教室は、ジュニアボランティアを育てることを大きな目標としていましたが、この日も4人のジュニアボランティアが朝早くから来て準備や運営を手伝ってくれました。おもしろ教室には6年生が3人いて、それぞれ中学校へ進学する予定ですが、ジュニアボランティアになりたいと言ってくれていて、もう一分張りしっかりと育てたいと思っています。
 前日教職員の異動や市役所職員の異動内示が出たようで、お世話になった由並小学校の校長先生と教頭先生、下灘小学校の校長先生もそれぞれ新しい赴任地が決まったようで、この日は参加してみんなに励ましの言葉を述べてもらいました。
 今年は32人の子どもたちがおもしろ教室に参加しましたが、13人も皆勤賞がいて嬉しいことでした。今の子どもたちは私たちの子どもの頃と違って塾通いなど結構忙しいので、全てのプログラムに参加することは難しいようです。

 この日は、宮崎さんの送別会を企画しました。宮崎さんの卒業論文は双海町を素材にした過疎地の活性化がテーマのようで、約20分間パワーポイントを使って論文を、私たちスタッフの前で堂々と発表してくれました。発表後はじゃこ天さんにお願いして作ってもらった、オードブルで心ばかりの送別会を開いてあげました。地域事務所の松本さんや、途中参加してくれた前翠小学校長和田由美子先生も加わって、楽しい会となりました。
 さて、来年度の話になりますが、地域事務所の米湊さんも松本さんも、公民館の赤石さんも松原さんもみんな人事異動がなかったようでホッとしています。この日、来年度のプログラムがみんなの前で発表されましたが、来年度もいいプログラムになるようみんなで知恵を出し合いたいと思っています。
 双海町の子どもを双海町民が守り育てる気風も随分しっかりとしてきましたが、もう少し組織力を強くしておかないと、次につながる人たちにバトンタッチすることが出来ません。今年はそうしたテーマも解決の方向に剥けたいと思っています。

  「今年また 早くも一年 閉講式 色々あった 成果もあった」

  「一年が 終れば次の 目標に 向かって新た 歩み始める」

  「とりあえず 事務局異動 なくホッっと 一息ついて マンネリ脱皮」

  「学長賞 貰う喜び 分かち合う お茶で乾杯 旅立ち祝う」

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人間牧場

○ライラセミナーの目指すもの

 今回のセミナーには12人の班が4つ作られていました。二十四の瞳で有名な小豆島でやるからなのか、12人が二つの瞳を持っていると各班それぞれが二十四の瞳なのです。またロータリークラブの歯車の歯も24枚あるようです。そんなセミナーのパンフレットの表紙に、意味ありげな横文字が10個並べられていました。英語は余り詳しくないのでパンフレットを読んだだけでは、何を意味するのか全てを理解することが出来なかったので、帰宅後その意味をデジタル辞書で調べてみました。

 Lifu          生命
 Family                           家族
    Community                  社会
 World                            世界
    Future                           未来
 Peace                             平和
 Dream                              夢
 Responsibility                   責任
 Respect                               尊敬
 Justice                                正義

 英語を訳してみて、その意味の深さに驚ろくと同時に、この言葉の正しい意味を、今の若者たちにしっかり教えてやらなければならないと思いました。私は若い頃青年団に入ったお陰で、①仲間、②ふるさと、③主張、④感動、⑤夢という5つの道具を手に入れましたが、今もその道具は私の大きな心の支えとして大切に使っているのです。私たちの若い頃は戦後の窮乏を脱し、地域社会が成長を遂げようとしている上り調子の時代でした。ゆえにどの町や村にも若者が沢山いて、活気に満ちていました。しかし今はグローバル化が進む一方、下り調子のいわば縮む社会となって、町や村の元気が消えようとしている時代なのです。若い頃は考えもしなかった世界とか平和とか生命といった、地球規模の考えを持たなければ最早生きて行くことができなくなってしまったのです。

 しかし社会が幾ら変わろうとも、この世の中の主人公は私たち人間ですから、不易なものは変えず、流行は変えるという物差しを持って、二度と来ない人生だから大いに楽しく生きて行かなければなりません。そのためには今回のセミナーのように、次の世代を背負う若者に視点を当てて、有能な若者を正しい理念に基づいてしっかり育てたいものです。
 幸い私もこの40年余り、家の横に設置した私設公民館煙会所や人間牧場を使い、また21世紀えひめニューフロンティアグループや年輪塾で、私たちに続く若者を育ててきました。勿論これからも力の続く限り今回のセミナーで学んだ10の教えを訓えて行きたいと思っています。

  「英語では 分からないので 英訳す 十の言葉の 意味を噛みしめ」

  「わが人生 五つの道具 手に入れて これまで大事 使って生きた」

  「訳もなく ただ人生を やみくもに 生きたようでも それなりの意味」

  「いい人に 巡り合いたる それぞれに 色々教え 感謝をしつつ」 

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人間牧場

○神戸YMCA余島野外活動センターでのライラセミナー

 昨日と今日の2日間、「神戸YMCA余島野外活動センター」という名称ながら、何故か香川県小豆島にある島へ講演を頼まれて出かけていました。かれまで無人島キャンプを20年間もやって来た私にとって、無人島という名前はとても新鮮で、一度は訪ねたいと思っていただけに、ラッキな機会を与えてもらったと、喜び勇んで出かけました。

 (この続きは疲れたので明日書きます。ご期待下さい)

 セミナーは27日から3泊4日で開かれていましたが、私は自分勝手ながら開校式やオリエンテーションをキャンセルし、18時からのオープニングパーティーからの参加となりました。このセミナーは32年間続いている伝統的なセミナーで、この32年間に1900名もの受講生を世に送り出しているのです。セミナーでは、指導力(リーダーシップ)の基礎、建設的指導力(リーダーシップ)の倫理規範、効果的なリーダーシップにおける伝達力の重要性、問題解決と紛争管理、ロータリーとは何か、ロータリーは地域社会のために何を行なっているか、自身と自尊心を培うこと、地域社会の市民であり、世界の市民であるという要素などが修得できるような内容と運営がなされているようでした。

 さていきなりオープニングパーティから参加しましたが、無人島での集団宿泊訓練なので、飯ごう炊飯や簡単なオードブルくらいなものかと思いきや、どうしてどうして一流ホテルでもこんなには出ないと思われるほどのご馳走に目を丸くしてしまいました。私は小学校の卒業式や列車での移動もあって、昼食を食べ損ねて腹が減っていたので、立食パーティということや酒が飲めないためあちらこちらに出没して、料理の数々を堪能しました。この日は兵庫県と四国四県から48人の青年が集まっていました。またロータリークラブの役員さんが沢山集まり、名刺交換も半端ではありませんでした。参加者の中には青年もロータリアンも何人か顔見知りがいて、久しぶりの嬉しい出会いとなりました。

 この日一番の出会いは米山工業の米山社長さんさんと桜うずまきの酒造の篠原社長さんに会ったことです。米山さんは初めての出会いでしたが、何年か前何かの機会に米山工業を訪問した折、坊ちゃん列車が展示されているのを見ました。また篠原さんとは何回かお目にかかっていますが立派な方で、旧交をお温めました。
 もう一人海沼美智子さんという東京恵比寿ロータリークラブの方と出会いました。この方は童謡「みかんの花咲く丘」の作曲家がお父さんだそうで、私は常々ハーモニカでこの曲を盛んに吹いているのです。
「みかんの花咲く丘」といえば、加藤省吾作詞、海沼寛作曲の名曲です。確か「里の秋」も海沼寛の作曲だと記憶しています。いやあ嬉しい出会いが次々と広がって行きます。私はこの日の講演で手持ちのハーモニカで「みかんの花咲く丘」を吹き参加者から拍手喝采を受けました。

  「世の中は 狭いものだと 感心す 名曲作曲 お父様とは」

  「ハーモニカ 調子に乗って 吹きました 拍手喝采 アンコールかな?」

  「一流の 料理食べつつ 話しこむ 酒を飲めない 言い訳しつつ」

  「兵庫人 四国の人と どことなく 違う風だと 異文化感じ」  

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人間牧場

○愛媛新聞カルチャースクール

 昨年の10月に松山コミュニティセンターと愛媛県歴史博物館で相次いで開かれた、ものどくり生命文明機構のシンポジウムに講師として出演した際、共催で事務局を勤めた愛媛新聞社事業局の次長さんが私の話を聞いて、カルチャースクールの講師として講座を開いたらどうかとお誘いがありました。愛媛新聞カルチャースクールは現職のころ、「夕日学入門」などという講座を立ち上げ、今で言うご当地検定を組み合わせた講義を何回かやった経験があるので、どうせ暇だからとその時は快く引き受けていました。
 ところが講座の準備をするようになってくると、担当の方から開催日や受講料等様々な細かい打ち合わせが入り、「これはしまった」と思っては見たものの結局後の祭りで引き受けざるを得なくなってしまいました。

 何日か前、松山での会議に出席すると、色々な人から「若松さん、愛媛新聞のカルチャースクールでも訓えるのですね」とか、「何を話すのですか?」とか聞かれたりするようになり、改めてことの重大さに気づくようになりました。実は忙しさにかまけ私はカルチャースクールの案内をまだ見ていなかったものですから、何日か前愛媛新聞朝刊の下の方の社告欄に、カルチャースクールの案内が何回か出始めました。2面や6面等かなり目立ったところに出るものですから、少し「やばい」と思うようになっています。
 まあここまでくると仕方がないので、諦めなければなりませんが、はてさて私は一体何をこのカルチャースクールで離そうと思っているのでしょうか。自分自身に聞くことにしました。

 新聞社に提出した講座の内容に次のような文章を送っています。
 「私は伊予市双海町下灘の標高130mの瀬戸内海を一望できる丘に、人間牧場を開いています。水平線の家やロケ風呂、ツリーハウス、かまど小屋などを利用して、子ども体験塾や年輪塾を開いていますが、少し遠隔地にあるため、街中で移動人間牧場を開き、私が出版している『夕日徒然草』を基に、落語ならぬ落伍夕日寄席をカルチャースクールで開くこととしました。毎回楽しい笑いの絶えない講座で、生きがい発見のヒントになるようなお話をしたいと思っています」
 上のような文章を送ったことさえすっかり忘れていた私ですが、はてさてこんなことで受講生が集まるのでしょうか?。

愛媛新聞朝刊の社告に載ったカルチャースクールの案内

 今回の講座の名前は「街中の人間牧場移動塾」です。受講料も多分他の講座と比較しても一番安いようで、まあ修行のつもりでやってみたいと少しだけ一歩だけ前に進もうとしています。宜しかったらお誘い合わせてお越し下さい。多分この講座に参加した人は時機を見て、いつか本物の人間牧場へ案内して人間牧場の様々を体験できる特典があるものと思われます。

「新聞社 カルチャースクール 講義する 社告に載って 一瞬驚き」

「街中の 人間牧場 移動塾 これも修行と 思って始む」

「新聞に 載っているよと 電話来る 恥ずかしいやら どうしていいか」

「何するの? 家族そろって ブーイング 悪いふざけと 一蹴されて」 

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