shin-1さんの日記

○21世紀えひめニューフロンティアグループの総会

 春が来たと思わせるような気温をたった一日で真冬に逆戻りさせる自然の力はやはり偉大です。そんなことを思いながら、山周りの国道317号を選び水ヶ峠を越えて今治へ向かいました。ひょっとしたら峠の道は雪が降るかもしれないと思い、4WDの軽四トラックに乗って出かけましたが、私と同じような考えがあるのか、週末土曜日なのに交通量は少なく、仙遊寺下の能面道路を通って今治市新谷の河上さん宅へ到着しました。昨晩は私が主宰し私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの一年に一度の総会ともいえる協議会が、今治に住んでいるメンバーの河上和夫さん宅で昨晩行われたのです。

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(河上さんの奥さんと5人の孫たち)

 少し早いかなあと思える午後5時半過ぎに到着しましたが、豊田さんは何処から歩いたのか期せずして私と同じ時間に到着しました。奥さんにあいさつを終え、居間でのテレビで大相撲を観戦しながら、河上さんの5人の孫に囲まれて、クレヨンしんちゃんと命名された私は、遊び相手になってやりましたが、まあ小学校2年生を頭の特に4人の男の子はやんちゃでいたずら盛りでまあ蜂の巣をつついたような賑やかさでした。

 やがて仲間も全て集まり、座敷で賑やかな宴会です。この日は皆のリクエストに応えてホルモン鍋と魚料理、それに猪肉の焼肉でした。もうもうと立ち込める煙の中で子どもたちも参加して大宴会となりました。

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 すっかり恒例となった新年早々の行事だけに主だった顔ぶれは全員集まりました。形通りの事業報告、決算報告が行われ、次年度の役員留任、事業計画も予算も原案承認の拍手で終わったのですが、この一年間フロンティアグループからかまど小屋の建設に30万円の助成があって完成、また私が書いたフロンティアグループのレポートが、明日の日本を創る協会の地域活動将来賞をいただくなど、それなりの成果を収めているのです。

 しかし、寄る年波には勝てないのか最近は口は口角泡を飛ばす議論はするのに、こと実践となると中々前へ進まず、活動は主に人間牧場に限定され、老化しつつある組織の実態を浮き彫りにしているのです。でもこれでもいいとみんな納得しているので、少しだけ私がいい方向に誘導することを考え今年もやっていこうと思っています。2年前から始めた国内世界遺産を巡る旅も熊野古道・広島原爆ドーム・安芸の宮島・石見銀山と続き、今季は4月に白川郷の合掌造りをめぐる旅を計画しているのです。


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 フロンティアグループは結成以来30年近くになりました。これまで無人島に挑む少年のつどいや、丸木舟瀬戸内海航海、ふるさとを空から見る運動、竪穴式住居シンポ、フロンティア塾など、①今やれる青春、②1年1事業、③社会への揺さぶりなどをテーマに、様々な斬新な活動を展開し、県内はもとより全国的に注目を集める活動をやってきましたが、何時の間にか若かったメンバーも白髪や頭が薄くなり、時の流れの早さを感じているのです。元気だった仲間の体も、酒が飲めなくなった私や大野さんのように、加齢とともに衰えが目立ち始めました。これからは健康に留意しながら、次世代へバトンを引き継ぐことを考えなければなりませんが、はてそんな華麗な変身が出来るかどうか疑問のようです。

 私は今朝大事な用件があるので、田宮さんとともにお泊り組を残して10時過ぎに河上さん宅をお暇しました。一緒についてくる下弦の月を冬空に見ながら水ヶ峠のトンネルを超え、11時半過ぎにわが家へ到着しましたが、30年のを超えたグループから学んだことややった思い出などを思い出したいい一日となりました。


  「いつの間に 頭薄くて 白髪増え 仲間歳とる 俺も歳とる」

  「今年は 白川郷へ 行くという 遺産訪ねる 旅も楽しや」

  「在りし日を 思い出しつつ 水ヶ浦 突きと一緒に トンネル越えて」

  「イノシシの 肉焼く煙り もうもうと 立ち込め涙 一緒に食べる」 

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shin-1さんの日記

○楽しかった子ども教室

 たった一日で冬から春へ、そして春から冬へと気温をまるで魔法のように逆戻りさせることが出来る自然は、やはり凄いと思いつつ、その猫の目のように変わる天候に順応出来にくくなる自分の体力の低下を、嘆きながら暮していますが、これから3月いっぱいまでは三寒四温におののきながら暮らすことでしょう。

 昨日は前日の温かさから一転して寒い一日となりましたが、私が実行委員長を務める青少年の催しがシーサイド公園であって、開会のあいさつや手伝いを頼まれて出かけて行きました。地域政策研究センターの松本さんや市役所支所の大森さん、それにボランティアスタッフとして何人かの人が応援に駆け付け賑やかな催しとなりました。


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 子どもたちを三班に分け、たこ焼き、じゃこ天、餅つきという三つのメニュー順番に体験するというものです。私は手薄な餅つきの手臼取りを担当することになりました。既にシーサイドの加工場のボイラー釜で蒸し上がったもち米を運び込んで臼の中に入れるのです。それを松本さんが杵で小づき、大森さんの指導で子どもたちが入れ替わり立ち替わりダイガラでつくという算段なのですが、子ども10人ほどが一人五回突く度に間延びの休憩があるため、手臼はやりにくくて仕方がありませんでした。それでもこれも体験と熱い臼の中のもち米を臼につかないように手臼しながら餅にしてゆく作業をしました。時間的にはそれほどかかりませんが、やがて餅がつきあがり台の上で女性スタッフによって小切りされ、みんなが丸めた餡子を入れて更に丸めて餡子餅が出来上がりました。

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 この日はクチナシ入りの黄色い餅、紫いもの入った紫色の餅、ヨモギの入った緑色の餅を各班が順番でつき上げ、まるで信号のような綺麗な餅が出来上がりました。餅が出来上がる度にお一つどうぞと味見を勧められるものですから、その美味しさにつられて三個も食べてしまいましたが味は抜群でした。

 最近は杵でつく餅つきも珍しくなり、ましてやダイガラ餅つきなどは見ようと思っても中々お目にかかれない時代になってきました。ゆえに子どもたちのとっては貴重な体験となりました。子どもたちはたこ焼きやじゃこ天を漁協女性部の皆さんの指導でそれぞれ体験し、自分で作ったような顔をしてお礼に貰ったたこ焼き四個とじゃこ天二枚を、美味しそうに食べていましたが、子どものお腹は一体どうなっているのでしょう。

 土曜日とあってシーサイド公園はかなりの数のお客さんが来ていて、私たちの行事風景を物珍しそうに遠巻きにして眺めていました。

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 今年最初の教室は段取りの良い作業に助けられて予想した時間を三十分も早く終えることができ、後片付けをして少し早目の閉講となりました。三人の小学校の校長先生や学校の先生たちも休日でありながら毎回のように参加して子どもたちに様々な声かけをしてくれています。また婦人会や更生保護女性会などからも毎回のようにボランティアとして手伝ってもらい、頭の下がる思いです。口だけで余り役に立たない私も職務上出来る限り参加するようにしていますが、少し足手まといの感じも感じています。でもこの日ばかりは特技?とも思える手臼の妙技?が役に立ち、ボランティアとして少しだけ役立ち感を感じました。

 双海町はこのように地域で子どもを育てる環境は随分整っているように思いました。また地域づくりの輪も他地域に比べて進んでいるように思います。市役所ではこれらを組織化して自治活動にと目論んでいるようですが、他地域をモデルにしたり、規約を作ったり、また組織を作ったりする作業に追われ、正直これらの活動を育てながら進める方法を逸しているような感じもします。出来れば私たちがその仕掛けを作った方が早道かも知れないと何人かで話しました。いずれそのジレンマも解決するのかも知れませんが・・・。


  「子どもから しんちゃん元気  声かかる この歳なって 嬉し恥かし」

  「頭上から ダイガラ杵が ドッスンと 手と餅めがけ 落ちてくるなり」

  「よく言った ものだ思いつ 昔取った 杵柄なんて 言葉納得」

  「ボランティア した後感じる 心地よさ 今日も子どもの 笑顔癒され」 

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