shin-1さんの日記

○アド・ホクラシー(特別な目的を持った集団)

10年以上も前のことなのではっきりとは覚えていませんが、アルビン・トフラーという未来学者が「未来の衝撃」という一冊の本を出しました。当時は「第三の波」という言葉が流行していた時代でした。田舎の役場に勤めていた私は、がんじがらめに縛られた年功序列のピラミッド型組織の上下関係にある意味癖々していましたから、食い入るように読んだものです。発展途上な私の頭にはやたらと横文字の出てくるトフラーの本はやや難解過ぎましたが、それでも明治維新の志士たちが外国の書物を読んだような新鮮な気持ちで何度も読み返したものでした。上士と下士という宿命とも思える身分組織に癖々していた、坂本龍馬の時代と重ね合わせながら、「煙仲間」や「21世紀えひめニューフロンティアグループ」というアド・ホクラシーを立ち上げ、組織の中で果たせなかった夢を次々に実現してきました。

 多分この本に出会わなかったら、「煙仲間」や「21世紀えひめニューフロンティアグループ」の立ち上げもなかったし、無人島に挑む少年のつどいや丸木舟瀬戸内海航海、竪穴式住居製作など次々と新しい企画を生み出し、実行することもなかったのだろうと思うのです。

 私のアド・ホクラシーはその後30人委員会、青年会議、エプロン会議などへとシフトし、夕日によるまちづくりに進んで行きましたが、凡人の私がよくぞここまでと自分でも驚くほど過去の生き方は、今までの生き方を否定するものでした。自分という人間が町の仕事の分業の一部を担当しているに過ぎないと思ったり、自分がヒエラルヒー(ピラミッド組織)の命令系統に組み込まれていると思ったり、一部担当や命令形とは永久的に自分を支配すると思っていた心を根本的に覆すものでした。

 私はひょっとしたら、組織の中では生きて行けない人間かも知れません。一時的な組織を作っても、その役目が終わると自分を否定しながら組織を解体して、新しいプロジェクトを組織して新しい仕事に取り組むからです。

フロンティア塾40回や無人島20年などと、常に目標を定めて区切りをつけ、目標に到達するといとも簡単にそれを壊してしまうのも、アド・ホクラシーかも知れないのです。

 私は今、人間牧場を場とした年輪塾という新しいアド・ホクラシーを構築しつつあります。この3年間ほどでやっとその方向なるものが見えてきましたが、この指止まれのこの集団もある意味アド・ホクラシーなのです。年輪塾には子ども塾と大人塾が必要と考えています。特に少子化で子どもたちがかつてのような、子ども会を組織して地域で自立する子どもを育てることが難しい時代になると、昔々の寺子屋のような子ども塾で、生きる力を身につけさせなければならないと考えています。

 これからは組織なき組織とでもいうべき人間牧場で、アド・ホクラシー運動を起して行きたいと思っています。

  「何年か 前に一冊 読みし本 アド・ホクラシー 分らぬままに」

  「三が日 明けて今日から 世の中は 平常戻り 私そのまま」

  「義理張りを せずに生きてく 心地よさ 組織はどうも 窮屈過ぎる」

  「上もなく 下ない世界 これ自由 へつらうことなく 生きる幸せ」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○未来を生きるためのギヤチェンジ

 箱根駅伝を見たり、年賀状を見たり、帰省している孫と遊んだり、ブログを朝夕書いたりと、目的を持って何する訳でもない正月三ヶ日があっという間に過ぎ去りました。年末の慌ただしさに比べたら、正月のゆったりとした時の流れはまさに至福の時のようで、久しぶりにゆっくりとした正月を過ごすことができました。

 世の中の動きを反映するように、昨日は正月をふるさとで過ごした人々の帰省ラッシュで、リフレッシュというよりは正月疲れをしょい込んで、今日からいよいよ新しい年の仕事が始まるようですが、多分今週は時差ボケのような気持ちが続き、新年会なども重なって、日本列島全体が少しタガの緩んだ桶のような雰囲気ではないかと思われます。

 昨日は同級生のお母さんが年末に亡くなり、葬儀があって出かけました。こちらは田舎なので田舎に住む同級生たちの親が亡くなったら仲間がお悔やみに出かける風習があるのです。前日二日に他の同級生からその旨の連絡が入りました。ここ4~5年は流行りとでもいうのでしょうか、葬儀を自宅でする家庭がめっきり減って、葬儀場のないわが町では、合併して同じ市内になったものの、わざわざ峠を越えて隣の街まで行かなければならないのです。ゆえに車に乗れない人たちは葬式に参列しようと思っても、誰かに足を借りねばできないので諦めるしかないのです。長年付き合った同年代の高齢者にとって一番来て欲しい友人が来れない葬儀はどこか寂しい気もしますが、やはりこれも時の流れなのでしょうが、最近は通夜も49日の法要も全て葬儀場で行うため、そうした願いはかき消されてしまっているようです。


 葬式はある意味知人友人の消息や近況を目の当たりにする絶好の機会でもあります。同じ町内に住みながら最近は同級生との出会いもめっきり減ってしまいました。昨日は喪主である同級生を含めると10人近くが集まりました。私と同じ年齢の同級生は既にリタイアした人や、自営業や農業をしていますが、出会いのあいさつもそこそこに、近況を話し合いました。その話の殆どは健康のこと、家族のこと、最近の出来事など他愛のない話で、国家国政を論じるような同級生は残念ながらいませんでした。

 同級生たちもいつの間にか頭に白髪や禿が目立ち、どこか初老の風格が漂っていました。65歳の年齢がそうするのでしょうか、何することもなく過ごしている人も何人かいるようです。私の行動は何かと町内では聞き及んでいるようで、口々に「お前が羨ましい」といってくれました。また自分が思っているだけかも知れませんが、確かに私は他の人に比べたらまだまだ元気で、若さを保っているのではないかと思いました。

 同級生の中には大病を患って、多少手足が不自由になっている人もいました。年金の満額出る年齢になっているのでさすがに最近は年金の話は出ませんでしたが、将来への不安を誰もが抱えて暮らしているようで、正直夢も希望も語れないような雰囲気に少々落胆しました。過去を振り返り「あの頃が懐かしい」と、まるで貸しボートに乗って自分の進んできた道を振り返るだけの人生では、生きている意味がないのです。

 60歳、あるいは65歳という年齢でギヤチェンジしそこなった人は、もう夢や希望を持って生きて行けないようです。幸い私は60歳でギヤチェンジに成功しました。そして65歳になった今、再び新しいこれからの生き方を目指してギヤチェンジしようとしています。多分上手くいくと自分自身の生き方を信じて新しい年を迎えた今日この頃です。


  「葬式に 久方出会う 同級生 夢も希望も 語れぬ人も」

  「六十や 六十五歳の 節々に ギャチェンジして 逞し生きる」

  「足腰が 痛いとまるで 高齢者 同級なのに 俺は元気だ」

  「強がりを 言ってもやはり 同級生 人から見れば 同じ鏡か」 

[ この記事をシェアする ]