shin-1さんの日記

○ポスターは貼るが役目を終わったポスターは?

 JRの駅や道の駅などには夏祭りのシーズンなので、県内の市町の夏祭りの告知のためのポスターがやたらと目につく今日この頃です。私もかつては企画や運営の当事者だったため、沢山の人たちに来てもらいたい一心で手前みそなポスターを作り、関係各機関に発送してPRを頼んだり、自らも張って回ったりしてPRに努めたものです。何気なく訪れた駅の構内などに自分の作ったポスターが貼られているのを見るととついつい嬉しくなったものです。今もそれらのポスターの幾つかは書斎の隅の書棚の上に無造作に丸められて置いたままにしていますが、いつか日の目を見せてやりたいものです。

 今日は大学生と一緒にフィールドワークの授業で内子町へ行きました。ひなびた立川という無人駅に降り立ちましたが、19人の学生の一人が何気なく私にこんな質問をしました。「若松先生このポスター昨日のですよね?。イベントは昨日で終わったようなのにいつまで貼っているのでしょうか。来月と間違いそうですね」と。私はその鋭い質問にドキリとしました。見てみると昨日行われた私の住んでいる街のポスターなのです。その横にも既に終わって何日も経ったポスターが無造作に貼っていました。確かに私たちはポスターを貼って告知に熱中するのですが、さてその後始末をしたであろうかと振り返ると、答えられないのです。一日くらい過ぎたからといって目くじら立てないで。ほら傍のポスターなんかもっと前のポスターじゃない」と自分のポスターより人のポスターのことを言いそうですが、考えさせられる出来事でした。私は顔が熱くなってそのポスターをはがして持って帰ろうと思いましたが、ポスターを勝手にはがし持ちかえることはルールに反することなので、見て見ぬふりのような後ろ髪ひかれる思いでその場を後にしました。

 もう25年も前の出来事です。私は殆どたった一人で発案し友人の協力を得て悠やケプラーっとホームコンサートを実施しました。このコンサートが私の出世作になろうとは思ってもみませんでした。参加者は1000人近くも来て会中は人で埋まりました。手弁当の文字通り手作りだったコンサートが終わり、私はポケットマネーで缶ビールを買い、お世話になった人たちとプラットホームに座り込んで突き出しも何もない反省会をやりました。みんな感動の涙を流しましたが、その時一人の若者が反省会に遅れてやってきました。彼はポスターを貼った責任者だったのですが、自分が貼った手作りのポスターに通し番号を付けていて、それを単車で回って全て改修してくれたのです。結果的には2枚遠し番号は足りませんでしたが、多分風で飛んだのだろうと結論付けました。

 今も彼のことは夕焼けコンサートの裏話として忘れることなく記憶にとどめているのです。今日は学生の質問に答えながらポスターをはがして回った彼のことが一日中頭から離れませんでした。

 何気なく貼るポスターや、何気なく立てる幟も最後は風雨に晒され、惨めな末路をたどっている姿をよく見かけます。自分の店の宣伝なら毎日出したり入れたり、貼ったりはがしたりするのに、自分の腹の痛まない親方日の丸的な税金で作ったものは無造作に扱われているのです。環境を考えるポスターや幟が環境を悪くしていることも多く、私たちは拳拳服膺考えなければならないと思うのです。

 多分問題提起のようなこのブログを読んで、期日の終わり役目が終わったポスターの存在に気付いたとしても、それを回収するのは不可能と言って行動を起こさない人が普通でしょうが、これからの観光も少しだけそんな気配りができるようにならないと、次へは進まないような気がするのです。


  「このポスター 役目終わった はずなのに 駅の掲示に 堂々貼ってる」

  「後始末 できぬイベント マンネリと 言われてみれば そうかも知れぬ」

  「何年か 前の出来事 覚えてる 彼は今頃 どこでどうして」

  「学生の 鋭い質問 ドキリした さすが若者 見る目が違う」

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shin-1さんの日記

○暑気払いに花火を楽しむ

 昨夕、松山に住む孫たちが娘に連れられてやってきました。先週の日曜日に開催予定だったふたみの夏祭りが雨で中止となり、花火大会が見れなかったため、住吉神社の花火大会を見るためです。昨日は朝から曇り空で時折パラパラと雨がちらつくあいにくの天気でしたが、夕方はどうにかできそうなので、傘を持参の見学となりました。娘婿は出張で留守とのことなので、私たち夫婦と娘、それに孫2人の5人が午後7時過ぎに夕食を済ませ家を出ました。伊予整形の駐車場を借りて車を止め、歩いて伊予市駅前通りに出ました。黒住教会の前には何やら人だかりがしていましたが、どうやら夏の風物であるお化け屋敷のようでした。日ごろは閑散としている商店街もこの日は沢山の人が浴衣掛けで歩いていて、私たちもその列の中に加わって歩きました。見覚えのある谷岡さんのお店の前を通りかかると、偶然にも谷岡さんが目の前に姿を現しました。声をかけ「立ち寄ってください」という言葉に甘えて店の中で一服させてもらいました。孫朋樹にとって谷岡さんは、「メダカをもらったおばちゃん」なのでよく覚えていたようです。

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 「花火は何時からですか?」とご主人に尋ねると、「8時からですからもうそろそ」と教えてもらったので谷岡さんのお店を出てきた道を引き返し浜辺の道に出ました。大通りも浜辺の道も歩行者天国になっていて、道の両側には露天商が並び、孫たちは目を白黒させながら裸電球の入った提灯の光に誘われるように歩きました。やがて花火開始の合図のように「ドカーン、ドカーンと腹の底に響くような轟音とともに花火が上がり始めました。

 伊予市の花火は私たちの町のような小さな花火大会とは比較にならないほど沢山上がりますが、寄付をもらった人たちを紹介しながら上げるため、どこか間延びがして上がったと思えば休憩、求刑したと思えば上がるといった感じがして、延々1時間も続くのです。花火を見るために作られた特設会場など少し遠いのでマイク放送など聞こえないため、沿道を通る人たちは花火が上がれば振り返えって見るような雰囲気で、孫たちもムズムズそわそわするので、参道をゆっくり歩きながら住吉神社まで行きお賽銭をあげて参拝しました。

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 孫のお目当ては露天商です。出かける前「一個だけは買ってあげる」と納得させているため、孫は並み入る露天商の中からお目当てのものを探すのに必死でした。孫朋樹にとっては花火などどうでもよいのです。孫は車の中でカブトムシの話をしていたので、どうやらくじでオオカブトが当たる露天商を探しているようでした。花火が佳境に入った9時ころ、私と孫は妻や娘たちと別れ、金魚すくいをして3匹すくったビニール袋をもってその店を探しましたが、孫が偶然にもその店を見つけ一回500円のくじを引きました。結果的には空くじなしだったのですが一回目は小さなメスのクワガタ、2回目は大きなクワガタが当たり孫は満足でした。

 孫尚樹は1時間の花火見学に疲れたのか最後は花火の音や光が「怖い」といってぐずり始めました。家にいると眠る時間なので無理もありません。潮が引くように流れる人ごみに交じり車まで引き返し帰ってきましたが、風呂を入れ着替えさせて布団の上に転がせる二人は直ぐに夢の中へと旅立ちました。いい夢を見ているようでした。

 私たちが子どもの頃は道も整備されてなく、車も普及していなかったため住吉さんのお祭り見学はもっぱら漁船に乗って出かけました。港に係留した船の中で大人たちが酒盛りをしながら花火を楽しんでいましたが、私たち子どもは小銭を手に握りしめ、居並ぶ露天通りを歩いた別世界は今も忘れることのできない思い出です。時代は変わったものです。家から僅か15分、往復30分で住吉祭りを楽しめたのですから・・・・・。


  「その昔 漁船に乗って 祭り見ゆ 今は車で あっという間に」

  「花火など どうでもよいと 孫たちは 露天巡りて お目々白黒」

  「夏の夜の 花火見上げて 感嘆の 声をあげつつ 人混み分ける」

  「昔日の 思い出頭 蘇り 母の顔など 思い出しつつ」

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