shin-1さんの日記

○公民館で働いた昔の仲間や先輩たちと集いました

 今日は梅雨の中休みといったところで、久しぶりに好天に恵まれました。しかし間もなく梅雨明けすることを予感させるように、このところは湿度が高く、温度以上に蒸し暑い感じがしました。今日は公民館のOBで組織する公友会の夏の勉強会が午後から松山のにぎたつ会館であるので、息子と昼飯でも食おうという相談がまとまりました。午前中たまたま日程が空いている私を誘って、10年目の車検が切れるため車を買い換えようという話が妻と息子たちでできていて、かなりたくさんのカタログを取り寄せてくれていますが、私は車には余り興味がなく、そのことを知っている息子と娘が強引に私を誘い、車を購入するべく下見に行ったのです。今日はホンダの店に立ち寄り環境にやさしい車の説明や息子がお目当ての車に試乗などを行ったのです。正直言って私の主張は「車は安い方がいい」ということなのです。ところがお店の方は私の経歴を薄々知っているのか、「環境にやさしい低燃費な車をと盛んに勧めてくれるのです。結局見積もりをしてもらいお店を出ました。

 土用丑の日もちかいというので「つしま」といううなぎ専門のお店で昼食をとることにしました。私たち夫婦と息子夫婦、それに間もなく2歳になる孫と誕生2ケ月近くになる孫を連れてお店に入りました。ま稲にっかいは来るお店なのですっかり馴染みとなって、愛想よく迎えてくれました。いやあその味は格別で、お陰さまで久しぶりに美味しい昼食を食べました。

 1時からの公友会には少し間があるので、道後温泉近くに住む娘の家の車庫に車を止め、妻と二人で温泉街を歩いてみました。アーケード内は両側のお店のせいか冷房が効いてとても気持ちがよく、まるで温泉旅行にでも行ったような気分でそぞろ歩きとなりました。

 記念にと妻を伊予鉄道道後温泉駅の前に立たせ記念写真を撮りました。

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(道後温泉駅の前に立つ妻、後ろには坊っちゃん電車も見えました)

 妻と別れた私は真夏の太陽が照りつける道をにぎたつ会館まで汗をかきながら登って行きました。会場にはもう殆どの人が集まって、私の悪口?を言いながら懐かしそうに話していました。

 夏の勉強会に参加した人は14人ほどでしたが、いずれも現役時代は公民館活動で名を成した人たちばかりで、佐伯会長さんのあいさつで始まり、予算や事業などが話し合われた後、近況報告、懇親会と続きました。今年の春定年退職した旧生名村の浜田さんはアゴにひげを蓄え作務衣を着てまるで仙人みたいな恰好で参加をしていました。菊地さんや古野さん、井出さんなど懐かしい顔ぶれもそろって、ひさしブルに思い出話に花が咲きました。来年は人間牧場で春の勉強会をすることが満場一致で決まりました。それまでに進化を遂げそれまでに心身ともに健康で参加してほしいとオア話をさせてもらいました。

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  「それぞれに ひとつの歳を 加えたる 何処かスローに どこか消沈」

  「会員を 増やす議論を してみるが 他力本願 なかなか増えぬ」

  「返信の ハガキに書いた 近況に 加齢の波が 押し寄せ来るを」

  「来年は 人間牧場 来るという とにかく元気 とにかく進化」

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shin-1さんの日記

○瀬戸内海点描

 一昨日山口県での研修会に招かれて徳山へ行くため早朝一便の防予汽船のフェリーに乗りました。家を出たのは午前4時で夏とはいいながらまだ外は暗かったのですが、船着き場のある三津浜に着いたころには東の空が明るくなって、雲を真っ赤に染めた朝焼けを見ることができました。夕日や夕焼けに殊のほか思いを寄せる私ですが、すがすがしい夏の朝焼けもまた一日の始まりを感じさせ、思い切り深呼吸をしました。

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 四国から中国地方へ渡るのには、瀬戸大橋で岡山へ、しまなみ海道で尾道へ、高速船かフェリーで松山観光港から広島へ、そして今回のように三津浜から柳井へフェリーで渡りますが、ダントツに多いのは広島ルートと柳井ルートなのです。

 柳井ルートの拠点となっている三津浜は「三津の朝市」と伊予節にも唄われていますが、朝市界隈も魚市場の移転ですっかり様変わりして、行商人の姿や漁師さんの姿はほとんど見えず、魚を積んだトラックが頻繁に出入りする程度で、風物詩とは少し違った趣に変化していました。

 船が桟橋を離れ一回転して進み始めると直ぐに梅津寺の海岸に出ます。ここは戦中戦後から今日まで愛媛県の海水浴場では一、二を争う有名な場所でした。遊園地を兼ね備えた梅津寺パークはかつて子どもたちのあこがれの場所でもあって、遠足や家族連れで賑わったものでした。しかし遊具等の老朽化と車の普及による客離れが進んで経営が赤字に転落し、今年の春で長い歴史に幕を閉じたようです。と同時に梅津寺海水浴場も、海の汚染や環境の悪化で物議をかもし、ついには今年の夏から閉鎖となったのです。もうサメよけネットなどの設置もなく、高校や大学のボート部が練習する場所だけが残っているようです。時の流れとは恐ろしいものです。

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 梅津寺と高浜港の間に小さな島が見えます。坊っちゃんという小説にも登場するターナ島です。かつては白砂青松とうたわれた見事な松山のシンボル的な島でしたが、松くい虫の被害にあってまるでもぐさのような殺風景な島になっていました。心を痛めた人たちが松の移植実験を試みていますが、かつての雄姿になるのはまだまだ先のことのようなのです。

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 沖合に目を転じれば伊予の小富士と形容される、これまた松山のシンボルごご島が見えます。私たちの町や人間牧場から、また飛行機で松山空港に着陸する際左手下に見える美しい島なのです。ビワやモモ、それにミカンなどたくさんの果樹が生産されているところとしても有名で、往復するフェリーは僅か10分ほどで到着するのです。でも近過ぎるのかごご島へはそんなに行く機会は少ないようです。


 山口県徳山での公演が終わって復路も同じフェリーに乗りました。「夏の朝焼け川向う渡るな」と古老から教わった通り、船が二神島あたりに差し掛かったころにわかに空があやしくなりました。右手遠くに見えるのは四国の西佐田岬半島でした。手前には私たちが20年にわたって無人島に挑む少年のつどいをやった無人島由利島が見えてきました。懐かしい島です。もうそんなに訪れることもないでしょうが、この島は私の青春の思い出であり、心のシンボルなのかもしれません。

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 沖合から私の住んでいる双海町が雨にかすんで見えました。私は逆からみればこんな所に住んでいるのかと思いつつ、あれが明神山634m、あれが牛の峰山896m、あれが黒山780m、あれが壺神山971mと宙で覚えている山の高さを思い出しながらデッキに出て見つめていました。

 
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  「瀬戸内の 辺り見渡し 思うこと 時は流れど 位置は変わらず」

  「随一と うたわれ人の 集まりし 海水浴場 閉鎖のニュース」

  「小説に 出てくるターナの 島影も 何処かさみしく 雨に煙りて」

  「わが町を 逆から見るも 面白い あんな小さな 所に住んで」 

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