shin-1さんの日記

○今日は山口県へ出かけ大雨に出会いました。

 「四国はどう」と、妻からかかってきた携帯電話で雨の模様を心配して問い合わせましたが、「四国は朝から雨が降っていません」というのです。ところが対岸の山口は、9時過ぎに徳山駅に到着したころ降り始めた雨はやがて土砂降りとなり、駅まで迎えに来てもらってタクシーを降りた途端、まるでスコールのような雨が雷を伴って降りだしたのです。早朝4時に家を出たため天気予報の確認もせず、ましてや雨も降っていないので傘も持参せずでした。相手があることだし、駅までの送迎もあるというので鷹を喰っていました。

 山口県連合婦人会が開く地域婦人会リーダー研修会の会場となった周南市徳山保健センターには、山口県下各地から200人を超える女性が集まっていました。周南市は徳山市などが合併して出来た新しい街で、大中小企業が沢山ある、山陽路でも活気のある地域なのです。この日の研修会に祝辞を述べに目と鼻の先の市役所から訪れた市長さんと、講師控室でご一緒になりましたがド派手な方で、ピンクの背広と旨のポケットにはピンクのハンカチをさりげなく差し込み、クールビズがいかにも格好良く似合う方でした。

若松進一ブログ

 片や私は、世間の風潮がクールビズに傾いているというのに、講演を行う講師としての格式を重んじてネクタイに背広といういでたちで、時代感覚の相違を見せつけられました。そのための気負いでしょうか、壇上に上がった私は、木になるカバンから飛び道具を出して一発カウンターパンチをくらわせるようなパフォーマンスをやりました。「少し地味な格好の市長さん?に対抗して私も少し地味なPRをします。これは私だけしか持っていない電光掲示板でして、この電光掲示板で私の紹介をしたいと思いますのでご注目ください」と冒頭にやってしまったのです。これには参加した人も大爆笑で、のっけから大受けとなりました。

 最初出だしで私のDVDを上映する予定はどこかへ消えてしまい、ステージには頭出しされたトップぺージが移され、脇の演台で話さなければならなぬ羽目となってしまったため、コードレスマイクを持ってステージの中央で話したり、大変忙しい動きのある講演となってしまいましたが、いやあ驚きました。さすがに地域で婦人会活動をしている人たちばかりで、想像以上の反応に、こちらはうっかりDVD上映をするのを忘れて終ってしまいました。DVD上映のために待機していた事務局の平野さんは、結局1時間半も今か今かと待機して90分も待たせてしまったのです。その結果操作を忘れるほどでした。

 「女性が輝くときまちが輝く」という演台の講演が終わり、とんぼ返りするして徳山の駅へ平野さんが自家用車で送ってくれる頃には雨はますます激しくなって、駅構内の放送では岩日線が雨で運転できないのでストップしたと伝え、下りも遅れていると聞きました。フェリーの時間に接続している列車が動かなくなったらやばいと不安がよぎりましたが、何とか予定の船に乗ることができ難を逃れ、九州や佐田岬半島辺りの西の空が明るくなっているので安心して終着港三津浜に着いた頃、再び土砂降りの雨に見舞われ、船着場から駐車場まで走りましたが、もうまるで濡れ鼠のようになってしまいました。水もしたたるいい男と一人高笑いをしましたが、人に会う予定があるためこのままで会うこともできず、途中の温浴施設に立ち寄り濡れた体を温めました。私が風呂に入っている間にかなりの雨が降ったらしく、予讃線海岸周りの列車が運転見合わせになっているとラジオが報じていました。会社の社長さんと夕食を食べながらお話しして帰り長い一日が終わりました。


  「灰谷の 言葉のように やりました 傘がなければ 濡れて小走り」

  「海一つ 隔てた場所は 大雨で わが家は天気 電話で妻言う」

  「ド派手市長 われも負けじと 壇上で 電光掲示を 取りだしパフォーマ」

  「雷の 音に思わず へそに手を 当てがうわれを 可笑しく笑う」 

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shin-1さんの日記

○ひょっとしたら私は友人の夢の中で死んでいたかも知れません

 昨日島根県に住む友人から、一本の電話がかかってきました。昨晩着信履歴で友人からの電話を確認したため、電話をかけましたが、その友人の家は家が田舎のため携帯電話が通じないので、「この電話は電波が届かない所にあって・・・」と今時珍しいコールセンターからの反応でした。今朝は早朝に山口県へ出張してフェリーや山陽本線の電車を乗り継いだため電話がかけることができませんでしたが、向こうから再度電車の移動中に電話がかかってきました。幸いにも午前中の空いた車内だったため他の乗客に迷惑をかけることもなかったため、少し小声でお話をさせてもらいました。

 電話に出た友人は、「一昨日あなたの夢を見ました。夢に出てきたあなたは酒を断っているはずなのに、何故かお酒を飲みながら、楽しそうに話をしていましたが、どこか寂しそうでした。夢から覚め胸騒ぎがして、ひょっとして最近の音信不通は、若松さんの身に何か異変が起こったのではないかと思い電話しました」というのです。「一昨日は電話口にも出ないし、昨晩はとても不安でしたが、こうして元気な声を聞いて安心しました」と、少し涙ぐむような涙声が電話の向こうから聞こえたのです。「心配をかけていますが、私はまだまだ元気で、今日も山口県婦人会の招きで出かける途中です。またゆっくり出会いましょう」といって電話を切りました。

 はてさて、友人の夢の中で私はどんな役柄だったのでしょうか。彼女は「酒を飲んでいた」「どこか寂しそうだった」くらいの柔らかい表現でしたが、直感的にガンに侵されて入院し余命いくばくもない姿を連想したかも知れないのです。いつも元気人間の代名詞のように元気に活動している私ですから、いつかはそうなるかも知れないのですが、「まだまだ弱るわけにはいかない」と電話で強がって見せました。

 85歳まで生きると生活設計を立てている私故に、私のことを「もしや」と夢で見てくれた友人は女性ですが、彼女が公民館に勤めている頃から何かと気心が知れて、様々な場所で仕事をしましたが、彼女こそ脛や腰に持病を持っていて、何度も入院して修羅場を生き伸びてきているだけに、人のことを心配してくれることは有難いものの、むしろ私が友人の体を心配してあげなければならないのです。

 ふって湧いた私の体調と友人の体調を、電話ながら確かめ合い再会を約束して電話を切りましたが、はてさて私もそういう歳になったかと、列車の中でひとり苦笑いをしてしまいました。電話を切った次の駅から80がらみのおばあさんが乗り込んで、私の横に座りました。座るや否や持っている携帯が鳴り始めたのです。おばばちゃんは少し耳が遠いようでしたが、着信音は水戸黄門のテーマソングでした。着信音が鳴っているのに気づかないので、「奥さん電話が鳴っていますよ」と諭すと、バッグの中から携帯電話を取り出し離し始めました。「電車の中なのでよう聞こえんので、もっと大きな声で話して」と、相手より自分の声を大きくして相手に伝えていました。良く見るとその携帯電は私の携帯電話と同じ機種でした(笑い)。電話を話す声が大きかったためサバを通りかかった車掌さんが、「おばあちゃん、電話は社内ではご遠慮ください。相手の人の迷惑になりますので」と諭しましたが、われ関せずで話し続けました。昨年とある町の老人大学で会ったことを丸で再現したような光景に、私は思わず含み笑いです。長閑な田舎の携帯電話騒動でした。


  「友人は 夢に出てきた 俺思い もしや死んでる? 安否確認」

  「人の夢 どんな役柄 出てきたの? 昔のように 酒呑みでした」

  「嬉しいね たとえ夢でも 気遣って 電話してくる それが嬉しい」

  「もう一度 死んだつもりで くじけずに 生きるとするか 二十一年」 

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