shin-1さんの日記

○私は「幸せを売るセールスマン」を目指しています

 セールスマンとは商人や外交販売員と訳されますが、世の中にはたくさんのセールスマンがいて、様々な物を売っています。それは物品であったり、時には保険の外交員のように顧客相手に用役さえも直接販売勧誘している人もいるのです。セールスマンといえばアニメテレビでドラマ化されて話題になった漫画家藤子不二雄Aの「笑うせぇるすまん」というブラックユーモア作品を思い出します。セールスマンの喪黒福造(もぐろふくぞう)が、現代人のちょっとした願望を叶えてやろうとします。しかし約束を破った場合にはその代償も負わせるのです。喪黒がオチで発するセリフ「上手い話にはご用心」という警鐘的で寓話的な言葉は、騙し騙されやすい現代社会を見事に風刺しているのです。

 昨日広島のSさんからメールが届きました。研修会で知り合っただけの新品ほやほやの、名刺とメールを交換しただけの友人です。Sさんから届いたメールに「私は幸せを売るセールスマンを目指しています」と書き込みをしたところ、「誰もが認める幸せを売るセールスマンだと思います」というタイトルで、「若松さんの話を聞いて夢や希望を持てたり、思い出せたりする人は沢山いることでしょう」「・・・・ユーモアをふんだんに織り込んだ話のアレンジがまた素晴らしいです」「話を聞いて笑って幸せになる、話の中身に触発されて、一歩踏み出すことで幸せになる、若松さんのお話にはそんな力があると思います」「若松さんはまさに幸せのセールスマンだと思います」と持ち上げられました。

 世界同時不況の影響でしょうか、特に私が依頼をされて講演に行く場所は地方が多いためか、諦めにも似た沈んだ空気が漂っている地域が多いのです。そんな場所でいくら難しい話をしても人々の心には中々響かないものなのです。そんな時は暗い雰囲気を一掃するため勉めて明るい話題を提供し、笑いを誘います。時には「夕日亭大根心」の芸名で落語ならぬ落伍も披露して、入れ歯が落ちるほど大笑いをします。聞く人にとってはその時だけでも幸せなのです。


 自称「幸せを売るセールスマン」としては、幸せを①人にしてもらう幸せ、②自分で出来る幸せ、③人にしてあげる幸せの3つに分類し、人にしてあげる幸せを究極の幸せとPRしています。人間誰でも幸せになりたいものですが、お金や財産や地位名誉があるから幸せだと思う人もいれば、健康で毎日笑って過ごせることができるだけでも幸せという人がいるように、人それぞれ幸せの基準は違うのです。物差しでも測れない幸せを大きくするには自分を見つめ日々の暮らしを感謝の気持ちで他の人とともに生きることなのです。

 そのためには幸せのセールスマンである私自身が幸せを実現していなければなりません。残念ながら地位や名誉、それにお金はありませんが、それでも人にしてあげる幸せを目指して日々精進しているのです。

 私はこれまで双海町という町の動く広告塔として町をセールスして全国を歩いていましたが、少し方向を転換して幸せのセールスマンになろうと思っています。私は「幸せを売るセールスマン」になれるでしょうか?


  「幸せの セールスマンを 目指してる 努力のお陰 今は幸せ」

  「幸せの 基本感謝の 心がけ 心ひとつで 幸せ思う」

  「ああ今日も 朝を迎えて 幸せだ 飯も食えるし 元気で生きる」

  「幸せな ようにも見える のに何故か 私不幸と 不満タラタラ」  



  

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shin-1さんの日記

○「知行合一」という陽明学の言葉に学ぶ

 志願して人間牧場で開かれている年輪塾の塾生第1号となった浜田さんは、私の友人の中でも一、二を争う読書家で、特に民族学者宮本常一に関する本はくまなく隅々まで読んでいます。しかも宮本常一の思想を広めたいと誰彼となく文庫本を配るのです。私もその恩恵にあずかっている一人ですが、いくら心酔した人だからといっても一冊二冊ならいざ知らず、有料の本を購入して無償で配る人は余り聞いたことがなく、年輪塾の塾長なので塾生に指導する立場から、「それだけは止めた方がいい」と忠告しましたが、私の元へは相変わらず時々届くのです。私はその都度乱読ながら目を通し、人間牧場の水平線の家にある長い書棚に蔵書として置き、来牧者に読んでもらおうとするのですが、人間牧場へ訪れる人全てがこれらの本に興味があるわけではなく、埃をかぶったままの本もあるようです。確かに世の中はインターネットの普及やもろもろの社会の変化によって、活字離れが目立ってきました。たまに本を読んでいる人を見かけるとコミック本だったりしますが、浜田さんから教えてもらったことは、知識習得の三原則の一つ「本を読む」ことの大切さでした。浜田さんに本格的に知り合って私の読書量はダントツに増えたのですから、浜田さんは塾生と言いながら私にとっては大恩人なのです。

 今でも時々暇さえあれば県立図書館に通う浜田さんは、コピー魔でもあります。様々な資料をコピーして、わが家の玄関に投げ込んでくれるのです。一昨日も私が留守でしたが、先日わが家に来訪した折私が興味を示した西南四国歴史文化研究会が発行している「西南四国歴史文化論よど第10号の抜粋コピーを投げ込んでくれました。その中には農民一揆・野村騒動を藩と農民の間に立って解決に導いた、適塾の緒方洪庵に縁の深い緒方惟貞が思想的には「知行合一」を唱えた陽明学の考えの持ち主であったと記されていました。

 私もこの言葉は聞いたことがありますが、「知行合一」(ちこうごういつ)とは「知りて行わざるは、只是未だ知らざるなり」、つまり知って行わないということは、まだ知らないということだと説いています。心の本体を「良知」ととらえ、「良知」とは陽明学で重んじられている概念で、天から万人の心に賦与された道徳的な判断=実践能力のことなのです。この教えは中国明の王陽明が唱えた儒学の思想なのです。

 
若松進一ブログ
 浜田さんは船会社に勤めていたり、昔双海町下灘日喰に住んでいたりして海人を自認する私と出会う必然性は持っていましたが、とにかく不思議な人なのです。私は実践家を自認していて、「知行合一」は私のためにある言葉だと思うほどですが、その奥は深く未だ道を究めることはできていません。でもこうして浜田んを通じて「知行合一」という陽明学の思想にふれながら、今日もできることから実践しようと肝に銘じているのです。

 私は年輪塾の塾長と言いながら、適塾を開いた緒方洪庵のように博学でもないので人に教えることは殆どありませんが、せめて学んだことを話す「理論」ではなく、実践から生まれた言葉の「論理」を説くような人間になろうと、浜田さんのコピーを読みながら心を新たにした次第です。

 浜田さんといういい人との巡り合いで、ただ漫然と生きる私の姿勢は少しだけ是正されて本流に引き戻されました。これからも自分の生き方を是正修正しながら生きてゆきたいと思っています。


  「投げ込んだ 友のコピーに 学ぶこと 知行合一 ただただ感謝」

  「気がつけば ただ漫然と 生きる日々 知行合一 軌道修正」

  「読み方が 足らぬと本を 贈る友 格段増えた 読書の機会」

  「人間は 楽して生きたい ようである 楽は必ず 苦ありと思え」

  

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