shin-1さんの日記

○青春へのメッセージ

 県内にどれ程の数の高校があるのか知りませんが、縁あってこれまで県立高校の殆どへお話に行っているのです。高校生になると小学生や中学生と違って大人の言葉が通じるため、話す方は楽なのですが、その分自己主張が強く、面白くない話しをすると眠りこけたり、私語を話すなどもろに拒否行動を起されるので油断は出来ません。今日は昨年に引き続き鬼北町にある北宇和高校へ出かけました。この学校は毎年夏になると特訓セミナーのような形で3日間学習会が行われており、やる気を起させるために私が特別講師になって話すのです。「学力向上トライアル」と呼んでいますが、私は毎年この集会に招かれ、「青春へのメッセージ」と題して約1時間話すのです。

 北辰館という講堂に集まった学生は普通科2年生37名です。彼らを前にしてふと46年前を思い出しました。私は宇和島市にある愛媛県立宇和島水産高校に在籍していました。窓からは背後に鬼ヶ城という山が聳えていましたが、北辰館からも青い夏空に白い入道雲と一緒にくっきりと鬼ヶ城の山並みが見えました。宇和島湾から見る鬼ヶ城も北辰館から見る鬼ヶ城も同じ山なのに見る場所によって全く異なった山に見えるのです。これを世界地図に例えて話しました。

 私がジョン万次郎に憧れて、青年の船の班長としてアメリカへ渡った時、サンフランシスコの博物館で一枚の世界地図を見ました。その世界地図には日頃日本で見ているように日本が真ん中になかったのです。私はその世界地図を長い時間不思議そうに見つめていると、学芸員の方が英語で質問してきました。残念ながら私には英語の質問を理解できませんでしたが、彼は片言の日本語で「この世界地図の何処が可笑しいのか」と訪ねたのです。「世界地図の真ん中に日本がないのです」と話すと彼は、「あなたはすばらしい発見をした」と褒めてくれました。私にとってこの旅ほどカルチャーショックを得たことは他に例がなく、そのことを人間のものの見方に置き換え、多くの人に話したものです。今日も鬼ヶ城という山の見方と世界地図の見方を同じだと説明し、自分を見失わないようにと話しました。

 さて人間は様々な夢を持って生きています。他の動物と人間の違いは夢を持ち、夢を手に入れるために努力することなのです。しかしその夢も努力が足りないと見果てぬ夢に終ってしまう事だってあるのです。私だって夕日という何処にでもありふれたものに憧れ、雄飛を売る出そうと考えました。しかし100人中99人の人が反対するようなものを手に入れることは殆ど不可能に近いのです。でも私は諦めませんでした。その結果20年という長い年月はかかりましたが、やっと日本でも指折りの夕日の町になったのです。

 運命と宿命の話もそれとはなしにお話しました。人間は生まれながらにして自分の才能が決まっているように思いがちです。でも決してそうではなく、諦めていたものの殆どは自分が努力しなかった結果であることも気がつかなければなりません。宿命と諦めることなく少しずつ努力すれば運命は必ずや開かれてくるのです。

 高校生に話しをする機会が多くなり、今時の高校生について色々な書物を読んだり、話す機会が増えてきました。幸いな事にかつてPTA会長を6年間もやった松山工業高校の学校評議員もしていて、先生たちから色々な話を聞く機会に恵まれています。

 高校生に話した「青春へのメッセージ」は果して届いたでしょうか。

  「往復で 百五十キロの 道程を やる気触発 出来たかどうか」

  「校長の 指差す先に 鬼ヶ城 北から見れば こんな姿で」

  「トライアル 夏の暑さを ものとせず 若者たちの 熱気伝わる」

  「あちこちに 高速道路の 工事あり 道路特定 財源いずこ」  

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shin-1さんの日記

○夕日を語る

 町内の小学生が7月28日から3日間の日程で、ふるさと体験活動「ふたみ合宿村」を開いています。双海町には小学校が3校ありますが、いずれも小規模校になっているため、この事業が3校が連合を組んで毎年やっています。子どもたちにとってふるさとについて学習したり、ふるさとのよさを感じてもらうふるさと教育はとても大切なことなのです。しかし最近になってこれらの事業すらやり始めた頃とは随分様子が変わってきているようです。例えば食の安全などを考え、昨夕の献立は町内の業者といいながら弁当だそうで、食べ盛りの子どもたちにとっては、むしろ節制を強いるような感じもしますが、まあそれはそれとして容認しなければなりません。

 それでも昨日の第1日目は真夏の暑さの中、霊峰牛の峰に登山したり、今日はシーサイド公園でカヌーを体験したり、最終日にはボランティア活動をしたりと様々な楽しいプログラムが組まれているようです。子どもたちにとってはこの合宿村や、通学合宿夕やけ村、少年少女おもしろ教室など、官民一体でふるさと教育が行われていて、いい傾向だと思っています。大切なことはそれぞれのふるさと教育がそれぞれの特徴を出し合い、それぞれに個性を発揮しないと、子どもにとって非日常であるはずのプログラムが日常になってしまうのです。子どもたちは日常だと感動が半減します。逆に非日常だとハラハラ・ドキドキ・ジーンが子どもたちに伝わるのです。

 昨夕は合宿村から夕日の話しを頼まれて出かけて行きました。この頃になると天気も安定し夕日を見ながら野外で話が出来るので、毎年のことながら忙しい外出先での仕事を少し早めに切り上げて6時過ぎに会場へ到着しました。講話開始までは約1時間あるので、翠小学校と由並小学校の校長先生を相手に控え室で教育談義をしました。双海町内の3小学校の校長先生は今年から全て女性の校長先生で気配りのできる人だし、何かとご縁の深い人たちなのですっかり門外になった私にでも心を開いて話しをしてもらうので助かります。

(地上を焼き尽くし輝いてしずむ一度目の夕日)

 さて外の西日が潮風ふれあいの館に差込み、夕日が私を呼んでいるようだと思い外に出て見ました。今日北陸金沢や神戸では集中豪雨で大変なようですが、天気の不安定さはここまでは及んでいないものの、西の空の様子がどうも怪しいのです。先生にお願いして5分余り早く開会してもらいました。西の空には黒い雲がかかって、「夏の夕やけ川向こう渡るな」の諺を思い出させました。それでも西の彼方に沈む夕日は最高のシチュエーションで、子どもたちには雲間に消えようとする夕日を少しの時間しっかりと対峙しながら見てもらいました。

 私の話は約1時間です。小学生といえども高学年なので昨日はは大人に話す内容を話させてもらいました。子どもたちは、かつて私がコンクリート電柱を貰ってきて造った電柱ベンチに腰をかけての聴講です。

(青島辺りにしずむ感傷的な二度目の夕日)

 昨日は私の予告どおり、雲間に消えた夕日が再び雲間から姿を見せ、感動的な天体ショーを見ることが出来ました。しかもその夕日は真赤で一日で夕日を二度体験できたのですから、これ以上のことはないのです。

 このような美しいい夕日を眺めて暮らせる幸せは、そうそうあるものではありませんが、この地に暮す人にとって夏の西日はどちらかと厄介者で、夏の暑さの張本人を葦簾でさえぎっているのです。まあもう直ぐお盆を迎え、土用波が押し寄せれば夏も終るので、むしろ夕日を美しさの対象物として見て欲しいと思うのです。

 帰り際翠小学校の和田校長先生が「ツボ」の話をしてくれました。ツボは健康のツボとか話のツボとかよく使われますが、まあ極意とでも訳しましょうか。私の話の全てを見透かされたような落ちに思わずドキリとしました。子どもたちが浅学非才な薄っぺらい私の話しを聞いて何を感じたかは分りませんが、私の話のツボは夕日を切り口に、「ふるさとに誇りを持って生きる」「少年よ大志を抱け」「夢は必ず実現する」だったのかも知れないと、木になるカバンを単車の後に積んで、ほのぼのとした気持ちで夕闇迫る家路を急ぎました。

  「コンクリの 電柱ベンチ 皆座り 夕日見ながら 夕日を話す」

  「一日に 二度も夕日を 見るなんて 今日はついてる 夕日に感謝」

  「この子らも やがてふるさと 後にする せめて夕日を 心に刻め」

  「ツボさえも 押さえきれない わが身にて ツボの話に 思わずドキリ」



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