shin-1さんの日記

○広島は暑かった

 昨日は久しぶりに広島へ行きました。広島県自治総合研修センターの招きにより、「地域・人づくりセミナー」で講演をしました。このセミナーは2泊3日で二日間は国際理解教育情報センターの代表である藤井満さんがワークショップについて手中講義をされているようでした。私は毎年このセミナーに呼んでいただいていますが、藤井さんとはいつもすれ違いで顔をあわせたことはありません。職員の方の話だと、「明日は双海町の若松さんが面白い話しをしますので期待していてください」と予告されて帰ったそうで、何でも出身地が伊予市らしく、一度はお会いしたいものだと思っています。

 昨日は午前中は広島県高宮町の辻駒さんが講演をされているようで、私は午後の3時間半をとっていただきたっぷりお話をさせてもらいました。昨日の参加者は広島県下各地から集まった20名が対象でした。途中休憩を10分挟んで講演を3時間しましたが、用意したDVDやスライドをするのを忘れるほど熱を入れて話、研修生から「若松さん、DVDやスライドはいつ見せるの?」と質問され我に帰り、時間がない事に気付きながら慌てて紹介するほどでした。

 昨日の参加者は意識も高く、研修が始まる10分前から名刺を交換して名刺談義で始まるなどしっくり行く講義だったように思います。

 講義後はもっと時間を割いて対話したかったのですが、船の時間が気になって、結局対話は20分弱で終わってしまい心残りとなりました。でも真ん中の席に座った人をランダムに選び質問してもらった6人の方はとてもいい質問をしてくれました。

 私はその質問に答える形で三つのりんごについてお話しました。あなたは「リンゴ」と聞いて何を連想するでしょう。私は毎朝食べるリンキャベ(リンゴとキャベツ)のことを思うのですが、この話しをすると長くなるので、三つのリンゴの話しを引用してまちづくりと絡めてみました。

 ①ニュートンのリンゴ=ニュートンという科学者は木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を考えました。これは発見です。まちづくりのテーマや地域資源はその気になって見たり考えたりしないと中々見つけれるものではありません。しかし私たちの身の回りには地域資源が無数に転がっているのです。私が夕日とであったようにちょっとしたきっかけや、人の何気ない一言が気付きのきっかけになるのです。ニュートンのリンゴから始めないと何にも始まらないようです。

 ②アダムとイヴのリンゴ=毒入りリンゴという常識を覆す挑戦です。常識をくつがえすのは難しいものです。「そんなの常識」を小島よしおの漫才のように「そんなの関係ない」と挑戦できるかどうか、一歩前へ踏み出し始める勇気と挑戦する人のみが成功を勝ち得るのです。

 ③ウイリアムテルのリンゴ=頭の上に置いたリンゴを射抜く、これは強い意志と目的です。リンゴを射抜くという強い意志た信念と基本コンセプトがしっかりしていないと、人の命まで奪う事だってあるのです。

 この三つのリンゴはまちづくりにとって非常に大事な視点であることを話しました。果して私のメッセージは参加した皆さんに伝わったかどうか、これもまた私にとっては気になるところです。人に何かを伝え、人の心を動かし行動する意欲を掻き立てる研修は本当に大事だとしみじみ思った研修会でした。

  「リンゴ見て 何を思うか それぞれに 私は三つ みんなに話す」

  「今回も やる気創造 感じ取る 人が集まり 熱い学びが」

  「広島に 広がる元は この場所で 出会ったことが 始まり多し」

  「楽しみに していたですと 初対面 ながら名刺を 差し出す女性」

  


 

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shin-1さんの日記

○私の町の夕日も綺麗、「それがどうした」

 研修会や講演などで年中日本全国を旅している私は時々、旅先でハッとするような夕日に出会うことがあります。かつて夕日をテーマにまちづくりを始めようと思って訪ねた頃の日本各地の夕日は、心に夕日を楽しむ余裕もなく、ただただ自分の町と他所の町の比較対照を試みるにしか過ぎなかったのでした。そしてその残像に一喜一憂しながら意味もなく「勝った。負けた」と優越感や挫折感を味わったものでした。

 あれから20年余りが過ぎ、夕日によるまちづくりが一応成果を収めた今は、どの町の夕日もオンリーワンとして認めて見えるのですから大きな成長です。

 私が夕日によるまちづくりを行ったことや、夕日を地域資源に様々な活動をしていることは、マスコミや講演などによって既に広く全国に知れ渡っているため、夕日の話になると相手は夕日のスペシャリストである私に一目置いて一オクターブ下げた話しを話しますが、酒でも入ると口惜しいのか、かつての私のように、「あなたの町の夕日も綺麗でしょうがうちの町の夕日も綺麗だ」と自慢し始めるのです。中には強気な人もいて「あんたの町の夕日より私の町の夕日の方が絶対綺麗」と胸を張って自慢するのです。

(昨日船のデッキから見た中島へ沈む夕日)
(一週間前人間牧場に沈んだ夕日)
(三日前わが家から見る山口県周防大島辺りに沈む夕日)

 これは何も夕日に限った事ではなく、全国各地でこのような自慢話はあるようです。

 日本一と誰もが認める富士山の自慢話は駿河の国の人に出会うと必ず出てきます。これを聞いた伊予の国の人は口惜しく唇をかくのですが、何とかその鼻っぱしを追ってやりたいと思い挑戦するのです。「俺の国には富士山より高い山があるんじゃあ。余りにも高くて細く倒れたらいけないので寝かしている。この山の高さは13里もある高いもので、3千メートルそこそこの富士山など物の数ではない」と豪語するのはご存知トッポ話の一説です。

この話の山とは佐田岬のことで、岬13里と形容するほど日本一細長い半島なのです。

 日本全国には讃岐富士、薩摩富士、伊予の小富士などと幾つも富士山の略称を形容する山がありますが、これも自慢の現れだし、日本全国の商店街に意外と多い銀座なども名前にあやかったもののようです。

 私に対して「俺の町の夕日は双海町より綺麗だ」と自慢する人に私は「それがどうした」と冷や水を浴びせて反論します。追い討ちをかけるように、「夕日が綺麗と思う町は沢山あります。この町の夕日も確かに綺麗かも知れませんが、綺麗というだけでは何の価値もありません。夕日が美しいと思うならその仕掛けを見せてください」というと二の句が次げず黙り込んでしまうのです。

 まあこんな風に自慢しあっていますが、私は日本一だと思うことは別に誰はばかることはないと思います。つまりナンバーワンやベストワンではなくオンリーワンなら日本一は沢山あってもいいと思うのです。

 昨日広島から帰りに広島~松山航路の船上から、中島本島辺りに沈む綺麗な夕日を見ました。数日前に学生を連れてこの島へフィールドワークの授業で出かけた折、中島町の古野セキヱさんに出会いましたが、彼女もまたいつも「中島の夕日は美しい」と自慢しています。「それがどうした」と反論するも、彼女は一向お構いなしに自慢しているのです。

 金曜の船上のお客さんは真赤な夕日が落ちる姿をカメラに収めたり、甲板に出てしみじみ眺めていました。私はあえて「わあーきり名夕日だ。感激だー」などと回りの人を誘発するように少し大きめの声で話しました。それまでテレビを見たり雑誌を読んでいた人も立ち上がって夕日見学と相成ったのです。してやったりでした。

  「わあー綺麗 私の声に 誘われて 船上の客 一斉夕日」

  「自慢する だけある島の 夕日見て 旧友の顔 夕日の中に」

  「あの夕日 明日はどんな 顔をして 朝日となって 昇って来るか」

  「手を合わせ 沈む夕日に 祈る俺 今日も一日 感謝を込めて」


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