shin-1さんの日記

○夏の花

 春の花が終り、盛夏の今は夏の花が暑さをものともせず咲いています。ひまわりやグラジオラスの花を見る度に、遠い少年の頃の思い出が蘇ってくるのです。そんな花の中で私が一押しの花はオニユリです。この頃になると伊予の花街道と植物学者八木繁一先生が名付けた国道378号線沿線には様々な野の花に混じって強烈なオレンジ色のオニユリが存在感を示すように咲いているのです。

 昨日は保内幼稚園での講演会に出かけるため海岸国道378号線をひとり自家用車プラッツに乗って走りました。先日この国道で双海町のお年寄りが車にはねられ亡くなったため、警察も取り締まり重点地域にしているのか、あちらこちらで取締りをしているため、制限速度に注意をしながら海沿いの道のドライブを楽しみました。

 夏草が国道の歩道に覆いかぶさるように繁っていましたが、山が海まで迫るような急峻な断崖絶壁などにオニユリの花を見つけました。「そうだ。帰りには一枚オニユリの可憐な花の写真を撮ろう」と思いながら当りをつけて場所を頭に入れました。途中大洲市役所長浜支所の西岡市所長さんを訪ね、8月4日の愛媛大学法文学部の学生がフィールドワークの授業でを訪ねるお願いと打ち合わせを行い、さらには知人である元保育園長岡村久美子先生と講演前久々の面会をするため早く到着し旧交を温めました。やがて保内幼稚園での講演が終わり、お茶やお菓子、それに美味しい弁当まで出してもらい、園長先生の心温まるお接待を受けた後幼稚園を後にしましたが、頭の片隅にオニユリの写真撮影のことが残っていました。

 ところが昨日は保内を出てゴゼヶ峠のトンネルを抜ける頃には前と後に大型保冷トラックが何台も続いて、写真撮影どころではないのです。結局は長浜近くまで帰ってしまい、狭い路側帯に車を止めてオニユリを探しました。オニユリは沢山ありましたが、夏草が茂って中々近寄れないのです。仕方がないのでカメラをズームにして不完全燃焼ながら2~3枚写真に収めました。

 実は私にはオニユリの思い出があるのです。私の今は亡き祖母はこの国道の向こうへと続く佐田岬頂上線から入り組んだ入り江に位置する旧瀬戸町小島出身なのですが、私が漁師をしていた頃、漁の都合で立ち寄った小島の港の直ぐ横に風光明媚な住吉神社がありました。神社付近の断崖に無数のオニユリを見て感動した経験があるのです。それ以来夏になると住吉神社や周辺に咲いていたオニユリの花の思い出が何故か思い出されるのです。遠い昔日の思い出は祖母のふるさとだけに心に残っているのでしょう。

 2年前に三崎町へ講演に行く途中懐かしくなって小島を訪れ、住吉神社にお参りをしましたが、出来ることならオニユリの咲く頃にもう一度訪ねて見たいものだと花を見ながら思いました。

  「懐かしき 色と香りの オニユリを 岬巡りの 路に見つけぬ」

  「花愛でる 優しい心 持てと母 生前俺に 諭していたっけ」

  「小雨降る 海沿いの道 走りつつ 祖母の姿 頭に浮かべ」

  「夏草の 中に埋もれし オニユリを 見つけ写真に 収めて帰る」 

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shin-1さんの日記

○家庭教育学級と金銭教育講演会

 一昨日の夜は伊予市の家庭教育学級、昨日の午前中は八幡浜市保内町の金銭教育講演会と、相次いで出かけて行きました。私へのリクエストは相変わらずジャンルが広く、言葉の表現は悪いのですが揺り篭(幼児教育)から墓場(高齢者教育)まで様々な内容の話しをしなければなりません。浅学非才な私としては少々骨が折れますが、公民館大学を修了している私としては応じない訳にはゆかないのです。

 「えっ、公民館大学って何処にあるの?」と思われるかも知れません。確かにそんなな前の大学は日本全国探しても何処にもないのですが、私が勝手に作り出した造語なのです。もう30数年も前の話です。当時私は役場に勤め、教育委員会で社会教育の仕事をやっていました。私のやった公民館活動や青年教育は当時その現場では斬新な企画として注目を集めていました。当然お声がかかって今のような講演依頼ではありませんが事例発表であちこちでお話しました。ある日のこと愛教研という先生の団体から鼎談の企画への出演依頼が届きました。文教会館での鼎談の出席者は県校長会長さん、愛大教育学部長さん、それに平の公民館主事である私なのです。顔ぶれを見たり聞けば普通の人は臆して出演を辞退するに違いないでしょうが、若かった私は喜んで火中の栗を拾いに出かけたのです。

 鼎談が始まる前の控え室の出来事です。愛大の教育学部長さんはお茶を飲みながら雑談の中で、「ところで若松さんは何処の学府をご卒業ですか?」と問いかけてきました。多分校長会長さんと教育学部長の自分だから、相手たる私も相当の学歴があるだろうと勘違いしたのでしょう。私はとっさに「はい公民館大学を卒業しています」と反骨むき出しの澄ました顔で学歴偽証をやってしまったのです。教育学部長は「ほう、そんな大学何処にありますか?」とすかさず聞いてきました。私は「はい、公民館大学は全国何処にでもあります」と答え、怪訝そうな教育学部長はそれ以上私への質問はしませんでした。

 やがて一室で三人の鼎談は始まりました。ランダムに幾つかの項目について雑談のような形でかなり長い座談は進み、時には同感し時には反論してテープレコーダーへの収録は無事終わりました。その後この模様はテープ起しされてぶ厚い本として出版され、圏内学校先生たちの話題をさらいました。

 鼎談修了後帰ろうとする私を教育学部長さんは追いかけるようにエレベーターに乗り込み、私に対し「先ほどは大変失礼な質問をしてしまいました。お許し下さい。私たちはいつの間にか学歴で人の値打ちを判断するようになっていました。鼎談であなたの話しを聞きましたが、私のように机上の空論を並べ立てるのではなく、体験的な実学のお話を聞いて感動しました。学歴ではなく学習歴という表現には参りました。今後は気をつけます」と深々と一礼をされました。「それにしてもとっさに公民館大学とは名言ですね」とお互いわだかまりを解いて大笑いし分かれたのです。

 私は今でもこのことを忘れることなく今も覚えているのですから、相当執念深いようですが、教育学部長さんには悪いのですがいつ思い出しても「してやったり」の心境でした。

 さて伊予市の家庭学級と保内の金銭教育講演会も家庭の変化についてを内容としてお話しました。

(保内幼稚園での金銭教育講演会は殆ど全員の親の参加でした。出席率の高さに驚かされました。)

  家庭の変化

 ①子どもの数が減った。

 ②子どもの毎日が忙しくなった。

 ③子どもの家庭的役割がなくなった。

 ④子どもの遊びが変わった。

 ⑤家庭的感動がなくなった。

 ⑥子ども部屋が出来た。

 ⑦物とお金が豊かになった。

 ⑧消えた仏壇教育。

 ⑨父親より母親が強くなった。

 ⑩家庭の最大の影響力はテレビになった。

  「熱心に 勉強する母 素敵です 立派な子ども 育つはずです」

  「俺たちの 時代と違う 環境で 子どもは苦悩 親も苦悩す」

  「講演中 子どもチョロチョロ これもまた いい環境と 声を張り上げ」

  「金銭に ついてわが家の 失敗談 今は語れる いい子に育ちて」

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