shin-1さんの日記

○いやあ、驚きました

 今日は2ヶ月に1回予定されている定期健康診断に出かけました。胆のう摘出手術の後、もう8年間も続いている私にとっては健康を守るための大切な恒例行事なのです。10時30分の予約時間に合わせ娘と息子の家に立ち寄る時間を加味して少し早めに出かけました。私は昔の古い人間なのでしょうか、時間ギリギリに行くのが嫌で、毎回小1時間早めに行く癖があります。寄り道したこともあって今日は30分前、愛媛県立中央病院に到着、手続きを済ませ順番を待ちました。今日は診察がスムースに進んだのか予約10分過ぎの10時40分に中へ呼ばれ、簡単な問診と血圧測定、それに簡単な腹部状態を調べるだけで終わりました。いつものことながら、こんなことで分るのかな?と思いつつ、先生は血液検査の結果を総合的に判断し、「次回はエコー検査をします。今日は血液検査をして帰ってください」といって終わりました。血液採取室へ立ち寄り、会計でお金を払って病院を出たのは11時10分でした。

 それから車を走らせて内子へ向かいました。というのも今日は内子で行われる第58回社会を明るくする運動内子大会に講演で招かれていたので、何としても12時半には到着せねばと、朝から時間が気になって仕方がなかったのです。そんな気忙しさもあって、娘や息子の所へ持って行くオレンジ100パーセントジュースを車に積み込み終わった時、車の後のトランクのドアが突然落ちて、親指を負傷してしまっていたのです。何と不器用な、何と間抜けなのでしょう。

 急ぐ心を抑えて伊予市向井原の信号に差し掛かりました。私の前を走っていた車が黄色から赤信号に変わるのを無視して交差点を進みました。私は迷いましたが思い止まり赤信号が青になるのを待ちました。するとどうでしょう。信号の向こうで何やら白バイが2台脇道から飛び出し、その車をサイレンを鳴らし追いかけて行きました。信号が青になったので走り始めましたが、500メートル先でさっきの車は白バイ2台によって停車さされ、取調べを受けていました。いやあこれも命拾いでした。

 やがて旧五十崎にある内子町共生館ホールに到着し、控え室へ案内されました。町長さんや松山保護観察所長さん、大洲警察署生活安全課長さんたちとご一緒に昼食弁当を食べながら雑談に講じました。係りの人がお茶を入れながら「今日は中学生も沢山集まっています」と思わず漏らされました。「ウソー、中学生が参加するなんて聞いていない」と声を上げそうになりました。だって中学生と大人では話の中身が違わなければ理解できないのです。一瞬青ざめましたが、まな板の上に乗った鯉です。ジタバタシしても始まりません。結局話の中身を変えようと思いました。新居浜母親大会の憲法9条のことも何とか対応できたので、自分はアドリブに強いと信じて壇上に上がりました。

(社会を明るくする運動内子大会の会場は満員でした)

 そこから先は殆ど覚えてなくて、まさにアドリブの世界でした。私を紹介ていただいた内子町大瀬の仙井さんの顔に泥を塗るような結果になったことを詫びながら内子を後に帰郷しました。

 帰ってから夜、内子町立川の松田さんから電話が入り、「今日の話は良かった、感激した」とお褒めの言葉をいただきました。お世辞だと思い聞きましたが、参加した500人もの聴衆の500分の1でも納得させたのだからと自己満足しながら、妻に今日の出来事を話して聞かせました。いやあ驚きました。今日は朝からハプニング続きでした。それでも会場を埋めた中学生たちが眠ることもなく熱心に耳を傾けてくれた余韻だけは今も心に残っているのです。中学生の皆さん有難う。

  「中学生 前に話すは 知らなんだ どうにかなると 上がったものの」

  「生き方を 話してくれと 頼まれて 生き方よりも 生きた証を」

  「失敗を 重ね私は 強くなる 今日も失敗 はてさて次は」

  「混沌と した世の中で 辻説法 聞くか効かぬか 分らぬままに」  

  

  

 

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shin-1さんの日記

○新しき仲間たち

 私には数えても数え切れないほどの知人友人がいます。遠い人近い人、古い人新しい人、出会う人出会わない人、手紙を出しあう人出し合わない人、影響を受ける人受けない人などなど様々ですが、60歳になってから親密になった新しい知人友人もいます。私たちの町は田舎です。故に第一次産業といわれる農業や漁業、それに近隣の松山などに勤める以外はこれといった働き場所が余りないため、ふるさとで暮らしたり働きたいと思っても適わず町を離れていますが、60歳の定年を機にふるさとに帰って来た人も何人かいて、その人たちは今までの不義理を謝るように地元の役を受けるのです。しかしそのブランクが余りにも多かった人は戸惑いと落差、それに田舎が故の煩わしい人間関係に翻弄され悶々の日々を過ごしているのです。

 そんな人と集会で会うと、テキパキとその役職をこなす私などは羨望の眼差しで見られてしまい、すっかり信用されお友達となるのです。その人たちは私にとっても新鮮で、これまでの知人友人にはないタイプの人間が多く、同感同調しながら何かと理由をつけて出会うのです。




 昨日は、2ヶ月に一回の限界集落勉強会が人間牧場でありました。旧伊予市から、そして旧双海町から10数名が集まりました。約束した旧中山町からは遠隔地ゆえの敬遠か一人も参加がなかったことは少し残念でしたが、県会議員の泉圭一さんも来ていただい、かなり突っ込んだ話をしました。今回の双海での勉強会は最初地元の人の話しを聞こうと思っていましたが、その予定者が都合がつかず結局は、えひめ地域政策研究センターの松本さんに資料を集めてもらい、松本さんに話題提供をお願いし、私が私見を交えたコーディネーターとなって勉強会を行いました。

 夏の人間牧場は室内に電気をつけると無数の虫が「飛んで火に入る夏の虫」さながら集まってくるので、手提げの懐中電灯を真ん中にすえ置き、まるでローソクのような細い光を便りの車座での話となりました。いやあこれが中々風流で、こんな会議も悪くないと思いました。限界集落の問題は奥行きや悩みがとても深く、2回や3回の勉強会で結論が出るというものでもなく、また行政の悪口を言い合っても何も解決できないので、出来ることから始める、自分から始めるを合言葉に話し合いを続けていますが、これもた中々上手く行かないようです。でも私自身この勉強会はまだ3回目なのですが様々な事を学びました。そして自分の生き方の整理が出来つつあることを内心嬉しく思っているのです。そしてこの勉強会を通じてふるさとの将来を思う新しい人たちに出会いました。

 会終了後、伊予市の方が帰った後で、双海町の人たちだけでお喋りをしました。松本さん以外は私が酒を飲まないため、妻の用意してくれたビールと乾き物のつまみで懇親会です。ウッドデッキに車座になり、夏の夜空や海に浮かぶ漁火、それに眼下松山の夜景を遠望しながら楽しい交流となりました。

 参加した人の殆どは新しい友人なので、話が新鮮です。また学ぶことも多く今後の参考になるような逸話を随分聞きました。

 午後6時から始めた勉強会は2時間半、懇親会は何と2時間にも及びました。用意した缶ビールが全てなくなったのでお開くとさせてもらい、私は満席の4人をそれぞれの家まで送り、わが家へ着いたのは11時を回っていました。いい一日でした。

  「新しき 友人増えて また楽し 夜涼みながら 酒酌み交わす」

  「新しき 友はこれまた 新しき 話題提供 学ぶことあり」

  「ふるさとに 楽しく生きる コツは何 宿命じゃなく 運命開く」

  「違う道 歩みし知人 ここに来て 同じ道行く 同行数人」

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