shin-1さんの日記

○今日は大忙しの一日になりそうです

 ご前中山梨県、午後福井県、夕方埼玉県から3団体視察が入っています。夕方から内子で講演です。それが終わると三重県伊賀上野へ向かいます。明日は伊賀上野で仕事です。

 人間牧場主若松進一、今日も明日も明後日も元気でパワー全開です。

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shin-1さんの日記

○デジタル文字の世界

 パソコンでインターネット検索すると、様々な情報をいながらにして手にすることができます。パソコン音痴の私は、誰に習うでもなく必要に駆られてパソコンを触り始めましたが、それが必要最小限の習熟度であることは自他共に認めるところで、時折友人や息子に手助けいただきながら今日まで生き延びてきました。私くらいの年代の人はおおまか2種類の分かれます。パソコンとは無縁な人とパソコンを手足のように使える人です。私はそのどちらでもなくむしろ中間点くらいなところにいるようです。時々パソコンの達人である同年代の人に出会うと尊敬するし、パソコンやブログを知らないこれまた同年代の人に出会うとまったく話がかみ合わず、少しうんざり、少し優越感を持ったりするのです。

 最近はデジタル文字との付き合いが多くなって、私のブログへも書き込みが多く、その処理に要する時間も結構長くなりましたが、それでも自分を見失わない程度にパソコンに向かい合い生きていますが、新聞や雑誌に載った私の記事もデジタル化されインターネットで公開されているようです。

 私は今、【自悠くらぶ】という愛媛新聞のサイトに「人間牧場だより」というタイトルで週に一度記事を書いています。昨年の10月9日から頼まれて始めました。私の紹介した他の人は2週間に一度ですが私は最初から一週間に一度更新しています。情報は新しいに越したことはありません。でも毎日書くとなるとそれは見る方も書く方も重荷になってしまいます。でも今のスピードの速い時代に2週間に一度は遅いと思ったからの決断でした。案の定一週間毎の更新はその予定が直ぐに来て右往左往しましたが、これも慣れてくると何のことはなく、多少遅れたトラブルもありましたが、何とか目標の一年が来ようとしているのです。配信された記事はプリントアウトして一冊の綴りにしていますが、毎回千字程度の短いコラムながら結構な量になって、今更ながら積み重ねの大事さを痛感しています。

 先日東京からルポライターがやって来て、私を取材して帰りました。私の夕日によるまちづくりと人間牧場が主な内容ですが、その記事が2週に渡って掲載されるのです。第一回は7月1日、第二回は一週間遅れの7月8日だとメールで連絡がありました。「STEGE」というコミュニティサイトを検索すると、「50歳未満お断り・STAGE」「紳士と淑女の知的コミュニティ」などと書かれた文字が飛び込んできました。タイトルも「『しずむ夕日』を主役に、まちづくり。まちを活性化させたカリスマの次なる目標とは?(第1回)、人間牧場主若松進一さん」などと踊る言葉が登場していました。

 縁とは不思議なもので、このルポライターは南予出身でたまたま帰省した折、役所に勤める地元の人から私の紹介があったそうです。行き着くところこの方のお母さんを私が知っていて、取材と相成ったのです。数回のやり取りで取材、原稿校正、配信と手順を踏んだ記事が7月1日に配信されるや、その日の内にメールが入り、あらためてデジタル世界を垣間見た次第です。

 昨晩双海町出身の人からメールが入りました。このコミュニティサイトを愛読しているそうですが、私の記事を見て驚いたそうです。大阪に住んでいて67歳だそうです。もうリタイアしていていますが、加齢とともに望郷の念は強くなるそうで、今年の夏には帰郷するので人間牧場へ案内して欲しいとのメールでした。返信を打ちながら都会の雑踏の中で息を潜めるように生きている田舎出身の人のことを考えました。私は幸せです。生まれた土地で育ち、生まれた場所で暮らしている。そして生まれた場所で死ねるのですから・・・・・・。

  「この町に 生まれて育ち 死ねるとは この上ないよな 幸せ感じ」

  「デジタルの 世界も知らず 生きている 人もいるのか この世の中は」

  「お父さん 近頃パソコン 触り過ぎ そういえば昨日 二時間以上も」

  「酒辞めて パソコン始め 盃が 指先離れ 指先文字に」


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shin-1さんの日記

○相談に乗ってください

 最近私の元へある主婦から一本の電話がかかってきました。「若松さんですか。先日雑誌で人間牧場の記事を読みました。素晴らしい運動や活動をしているのですね。実は相談がありまして、私の主人が近頃うつ病なのですが、何かいい方法はないでしょうか」というのです。私は精神科の医者でもないし、ましてやうつ病は素人の力で治るほど簡単なものでないことを知っているので、通院しているお医者さんの指示に従って気長に治療するよう丁重にお断りをしました。しかしその主婦は一度人間牧場を訪ね私と会って話だけでも聞いて欲しいと懇願するので会う事にしました。

 昨日は梅雨の晴れ間で視界もよく、眼下に穏やかな瀬戸内の海を眺めることができました。やってきた主婦は40歳、ご主人は43歳だそうです。私は奥さんだけだと聞いていたのに、ご主人がどうしても一緒に行くというので連れてきたというのです。お二人は人間牧場のあちらこちらを散策しながら水平線の家のウッドデッキの涼しい陰の部分に腰を下ろし、私と向かい合って3人でお話をしました。粗方なことは奥さんから電話で聞いていたので心を解きほぐすように少しずつ話しを聞きました。

 通常、うつ病の人に「頑張れと言ってはいけない」と理解されていますが、はたして全てがそうかというと、それほど単純なものではないのです。人が生きていくには最低限必要なのは食べたり寝たりするような生活を維持していくことが必要です。そのためには日々の生活を頑張らなくてはなりません。そういう頑張りがあってこそ初めてその上に、人生の楽しさや嬉しさが生まれてくるのです。問題は頑張りそのものではなく、うつ病になりやすい頑張り方と、うつ病になりにくい頑張り方があるのです。

 「頑張って生きて辛いですか」と尋ねるとご主人は「はい」と胸の内を明かしてくれました。ご主人は頑張ること=辛いことという生き方をしているように思えました。頑張ることは辛いことだけではなく楽しいことがいっぱいあることを、私の体験を交えて話しました。

 私は人間牧場を造るために色々な夢を描きました。そして人間牧場を造るために日々頑張りました。大きな木を切り、まるで西部開拓史という映画のヒーローになったような気分で少しずつ開墾したのです。多分それは今思えば辛さと楽しさが一体であったような気がするのです。

 これを旅に置き換えればこのご主人は旅人です。歩くことは手段で日々の頑張りは単なる義務でしかないのです。旅先で何をしたいのかはっきりしないし、ひょっとしたら自分が選んだ目的地ではなかったと後悔しているのかも知れません。旅そのものはただ歩くだけではなく、見える景色や出会う人、時には美味しい食べ物だってあると期待をするのです。そうすればその旅を選んだことを肯定するような気持ちになれるのです。

 「旅の仕方を変える」「頑張り方を変える」「ものの見方を変える」、そんな話しを2時間もお話しました。こんな話で「ああ治った」と吹っ切れるほどうつ病は軟い病気ではありません。生きつ戻りとしながら自分の心を少しずつ強くしていく以外ないのです。人間牧場はそういう意味からいうと心や頭を空っぽにしてゼロに戻れる場所だと思います。今まで持っていた重い荷物や心のしがらみを一度肩から降ろし、ゼロにしないと再出発はできないのです。

 昨晩奥さんから電話がかかってきました。帰りの車の中で、そして家に帰ってからご主人と色々話したそうですが、少し光が差し込んだような感じだと話されていました。そしてまた私の話しを聞きに人間牧場へ再訪したいとご主人が言ったそうです。

 縁もゆかりもない人ですが、この奥さんにとって私は藁をもすがる気持ちだったに違いないと思い、「いつでもどうぞ」とお話しました。

  「うつ病の 人がこの頃 増えてきた 真面目人ほど 病気にかかる」

  「俺などに 相談しても 直らない それでも門を 叩く人あり」

  「ガソリンが またまた値上げ 年金で 食っている人 これまた悩み」

  「旅人の マントを脱がす そのコツは 風ではなくて 太陽ですね」

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