shin-1さんの日記

○風邪を引いてしまいました

 この30年余り、風邪など引いた記憶がないほど風邪には強い男と自負していたのに、ついに風邪を引いてしまいました。「風邪を引いたら病院に行って注射をしてもらうか薬を飲んで温かくして寝ること」とか、卵酒がいい」などといわれていますが、注射の嫌いな私はまず病院へ行くと注射を打たれるという、まるで子どもみたいな理由で病院へは行かず、卵酒も体の都合で断っているためやることが出来ず、処方箋もなくただ置き薬を飲んで自然治癒力を信じてひたすら直るのを待っているのです。

 私の風邪の原因は、全国を駆け巡る旅人としては特定できませんが、思いあたる節は孫尚樹が風邪を持ち込んだ形跡があるのです。先週の週末は娘の家族がわが家にやって来ました。その折孫尚樹は鼻水をゾロゾロ出して、娘が病院へ連れてゆきました。飲み薬で帰る頃には鼻水も収まって帰って行きましたが、その頃から私の体に異変が起こり、喉が痛くなって声が出なくなってしまいました。お話をすることが多い私にとって声が出ないことは致命傷なのです。自分の家で作ったカリン酒などを試してみましたが効果がなく、そのまま滋賀県米原市ルッチ大学へ出張したり、生協の理事会へ出席したりしながら回復を待ちましたが、一向に治らず、昨晩の人権教育集会への出席などは最悪で、搾り出すような私の声にさぞかし聞きづらかったのだろうと、すまなく思っている次第です。

 妻が言うのには、孫尚樹の風邪がうつったのも原因かも知れないが、このところの忙しさで疲労が蓄積しているのだと、休息するよう勧めてくれますが、スケジュールは既に組まれており、休むことも出来ないと反論しています。「命が第一」とまるで死ぬ前のような大袈裟な表現をする妻の話を聞く度に、長年連れ添い、毎日顔色を伺って暮らしている女の言うことですから、一利あると納得しながら、やれ「下着を厚く着込んで」とか、「これは風邪に良いから食べなさい」とか、まるで医者のように細々指示をして優しく振舞う妻の姿をあり難いと思わずにはいられないのです。風邪を引いてから妻の優しさに気付きました。こんなに優しくしてもらうのなら一年中風邪を引いていたいくらいな優しさなのです。やはり自由人となって心もとないながらも私を一家の大黒柱と認めているようです。

 明日は佐田岬半島の伊方町で地域づくりのミニフォーラムが計画されていて、これも休む訳には行きません。運良く昨晩研究会議の事務局をつかさどる松本さんから電話が入り、彼の車に便乗できる事になり大助かりです。県内の移動といいながら片道2時間もかかるのですから、運転しないのは何はともあれ体の負担は軽減されるのです。

 今晩は早めに寝て明日は万全とまではいかなくても、しっかりと働きたいと、早々とならぬ11時40分にパソコンを切り上げ、妻の温かい布団にもぐりこみました。おとなしく・・・・。

  「風邪引いて 妻の優しさ 身に染みる こんなのだったら ずっと引きたい」

  「厚着して 薬を飲んで うがいして まるで子どもだ ご指示通りに」

  「原因は 体の疲れ 分るけど 直ぐに止めれぬ 混んだ日程」

  「疲れると 風邪まで体 住みついて 日頃の不精 少しは悔いる」

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shin-1さんの日記

○紅葉に染まる山々

木枯し1号が吹いてから見渡す景色が何処となく寒々として、体まで背中が丸くなるような憂うつさです。それでも体を鍛えようと折に触れ体を動かしているのですが、やはり体力の衰えは年齢とともに増してゆくようです。今朝は同じ敷地に住みながら長旅でとんとご無沙汰の親父の隠居に出かけ、久しぶりに朝の会話を交わしました。九十歳になる親父は今朝も早朝散歩をして帰ったところで、私が親父の健康を気遣うべきなのに、逆に親父から、体を鍛えるようにゲキを飛ばされました。それもそのはず、2~3日前から風邪気味で顔色が冴えないのです。それを見取ってのことでしょうが親父のいうのには、今朝の私は「顔色が悪い」そうです。

 親父の話によるとつい最近まではジョギングやウォークが流行し、早朝になると散歩の途中沢山の人に出会っていたそうです。ところが先日木枯し1号が吹くと極端に歩く人や走る人が減って、今では寂しい限りだそうで、今朝は3人くらいしか出会わなかったそうです。シューズやスポーツウェアーを身にまとった若い人は、運動を単なる流行ととらえているようで、人がやるからやるようだというのです。そこえゆくと親父は立派です、余程のことがない限りはない限りは雨の日も風邪の日もウォーキングをこの20年間続けているのですから凄いと思うのです。お陰で九十歳の今日まで元気に生きているようです。見習いたいものですが、ウォーキングを止めた人たちと同じように忙しさや理由をつけて体を鍛えない自分が恥かしくなりました。

 親父が言うのにはこのところの冷え込みで周りの山々が紅葉しとても綺麗のだそうです。私の町は海沿いなので紅葉は余り綺麗でないと言われてきました。しかし言われて辺りの山々を見渡すと、ハゼの木が真赤に紅葉し、クヌギの黄色とマッチしてそれは見事な深まり行く秋景色を見せているのです。確かにモミジはないがハゼは沢山あります。ハゼは体が被れると皆さんは敬遠しがちですが、触らなければどういうことはないのです。ハゼの赤はナナカマドに匹敵するような紅葉を見せてくれるのですから、どこかにハゼの木を意識的に群生で植栽すれば観光地になること請け合いです。ふと隣町長浜の今坊のあるお寺を思い出しました。お寺の名前は忘れましたが、久保さんという住職さん親子がハゼとイチョウを沢山植えていることを思い出しました。「そうだ明日は岬半島へ行くので、今坊のお寺へ立ち寄って紅葉を楽しもう」と思いました。

 昨日は大学へ行くため松山の平和通を通ったのですが、既に何本かは風邪で黄色い衣を脱いでいましたが、黄色いイチョウの並木がそれは見事に秋の景色を演出していました。ちょっと車を止めて散策しようと思ったのですが、残念ながら車が混んでいて駐車できず、赤信号で止まったスキに持っていたデジカメで車の中からパチリ一枚失敬しました。この景色も来年まで見られないのかと思うと、何となく愛しい気持ちになるものです。

 砥部町の友人丹さんと井伊先生から砥部町楽学大学のお礼状が届きました。丹さんはそのハガキの中で冒頭に「もみじの紅は年輪を一枚残す木々の営みでしょうか」と行く秋を風流に表現していました。味わい深い言葉です。あくせく働くのもいいのですが、せめて行く秋を感じるような心のゆとりを持ちたいものです。

  「色あせぬ 間に周り 見渡して 行く秋まざと 楽しむ余裕」

  「ハゼの赤 クヌギの黄色 交じり合い 秋は次第に 深まりゆくか」

  「もう二日 すれば師走の 声聞くに どこか可笑しい 紅葉の便り」

  「一枚の ハガキに書いた 季の言葉 年輪一つ 残す営み」

 

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