shin-1さんの日記

○北栄町カメラ散歩④

 北栄町を散歩していると歴史的な町の魅力が随所にあることがよく分ります。多分この町に長く住んでいると商店街から人が遠のいて、かつての繁栄からはほど遠い姿に目を覆いたくなるのは当然かも知れません。しかしだからといって価値がなくなったかというとそうでもなく、随所にキラリ光る部分が見え隠れしているのです。昔の商家は町家といって税制上の理由から間口の狭い縦割りになっている家が多いようですが、ここも見るからにそんな奥行きの深い家が多いようでした。中まで入った訳でもないので分りませんが、表から見ると魅力のありそうな町家が随分あるのに驚かされます。

 町の魅力は街歩きで発見すれば幾らでもあるのです。午前中に開かれたコナンの里づくり委員会に出席を求められていたので、再び課長さんの案内で街を見せてもらいましたが、一望できる小高い山に登って町を見渡してみると、日本海に面して胸のすくような素敵な街とお見受けしました。そのことを委員会で少し話しましたが、委員さんの中にはそのことに気付かれている人もいてこれからの活動が楽しみでした。

 私が気に入ったのはやはり川の存在です。この穏やかで広い川は何とも魅力です。

 また中央公民館前の町内を流れる運河のような細い川も既に整備されており、魅力はさらに増しました。川巡りや川遊びには絶好のスポットが随所にあるようでした。

 私の街歩き散歩で見つけたとっておきの風景は次の二枚です。一枚目は所は小学校の前だったような記憶がしてますが、何枚も撮った中の一枚なので間違っているかもしれませんが、街路樹に囲まれた閑静な木立は安らぎと季節を感じさせてくれるものでした。

 もう一枚は駅へ行く道を登校途中の中学生に教えてもらった鉄道をまたいで向こうへ行く道すがら、陸橋の上から朝日に輝く長い長いレールを見た光景です。朝日が昇り、二本の線路が朝日にまぶしく輝いていました。まさに旅情をくすぐる風景です。

 僅か一万歩の朝の街歩きと課長さんの案内で足早に訪ねた街の姿なので全てを語ることは出来ませんが、「歩き目デスは見た」の出版で知られた愛媛の路上観察に詳しい私の友人岡崎君を同行させたい気持ちになりました。それにしても明治維新の砲台跡まである近代化遺産の多く眠るこの地はコナンの探検に耐えうる魅力がいっぱいのようでした。私の町の夕日も元をたどればよそ者が「この町の夕日は美しい」と言った一言が始まりでした。その町に住むが故に見えてこない魅力はやはりガラスの共磨きのように、外なる目で見たことを内なる人に気付かせて磨き上げることが大事なのです。

  「この町も 日本海なる 海ありて 風の人々 土産落として」

  「又一つ 貴重な家が 消えてゆく 返す返すも 残念至極」

  「目と心 コナンと風車に 向いてるが 足元見てよ お宝ズラリ」

  「痩せこけて 今にも死にそな 商店街 カンフル剤で 元気戻すか」 

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○鳥取県北栄町カメラ散歩③

 コナンの里を自認する鳥取県北栄町は街中を歩くとテレビや漫画でお馴染みの漫画名探偵コナンのブロンズ像に会うことが出来ます。私のような古い人間でもそのブロンズ像に出会うと嬉しいのですから、今時の若者にはたまらなく嬉しい出会いになるはずです。朝6時過ぎに泊まっていた駅前のビジネスホテルを早起きして抜け出し、カメラ散歩としゃれ込みました。

 (図書館の入り口にある工藤新一のブロンズ像、等身大です)

 (駅前にある名探偵コナンのブロンズ像)

 (大栄小学校の正面玄関にある毛利蘭とコナンのほほえましいブロンズ像)

 (道の駅大栄の前に立つ名探偵コナンのブロンズ像と本物の私)

 (コナン通りにある名探偵コナンをあしらったマンホールの蓋)

 (コナン大橋の欄干に取り付けられた名探偵コナンのブロンズ像)

 (地元の有志によって作られた探偵社、色々なコナングッズが売られているようです)

 私が一番興味をそそられたのはコナン探偵社でした。あいにく早朝で閉まっていて中にどんなものがあり、誰が活動しているのか実態は分りませんでした。悪乗りと人は言うのでしょうが、これくらいな遊び心がないと漫画によるまちづくりは出来ないと思いました。前日の夜講演会場である郷土館へ行きましたが、コナンの特別展が企画されていました。それにしてもコナンにこだわってよくも取り揃えているもんだと感心するほど収集していました。あなたも一度コナンの里を子供づれで出かけてみませんか。新しい自分の知らない世界に誘ってくれますよ。

 しかし地域の人はよそ者のことをよく観察しているもので、私が一人で朝早くから町内を歩いていることを、数人の人が目撃していました。コナンの里づくり検討委員会のメンバーの中には早起きな人がいて目撃したのでしょうが、コナンのブロンズ像を探し当て、全ての写真を撮り終わったら何と携帯電話についている万歩計は1万歩を越えていました。よく歩いたものです。しかし知らない土地で、前日車で課長さんに説明を受けながら案内してもらった場所をたった一人で確認しながら全て写真に撮影できたことはわれながら感心しました。

  「前の日に 巡りし場所を ただ一人 歩いて見ると 違うもの見ゆ」

  「ブロンズを 捜し歩いて 一万歩 お陰で小腹 減った減ったな」

  「名探偵 コナンになった 気分です 街のあちこち 訪ねて歩く」

  「人知れず 歩いたつもりが 見られてた 田舎の人は よそ者気になり」 

  

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shin-1さんの日記

○漫画によるまちづくり②

 まちづくりの手法には色々な方法があります。地域資源もそこだけにしかないものもあれば、私たちの町のように日本全国、いや世界中どこにでもある夕日をとらえる所だってあるのですから、面白いものです。またつい最近は俳優や歴史上の人物など有名な人をモチーフにまちづくりをしている所も少なくありません。北栄町のように漫画の主人公やその原作者をテーマにするのも中々面白い着眼点なのですが、最近は漫画の世界といえども著作権や肖像権など様々な利権が絡むだけに、素人の目から見ると「何であんな漫画の主人公のブロンズ像が高いの?」なんて物議をかもすことだってあるのです。名探偵コナンの作者は青山剛昌さんという北栄町出身の今をときめく有名作家です。小中学校時代から絵を書くことが好きな少年だったそうですが、小説家かなら分るけど、漫画家なんてという日本の古い体質の中で青山さんは下積みを経て見事に開花し有名漫画家となりました。

いわば郷土が生んだ有名人なのだそうですが、これは間違いで郷土は多分彼が有名になるための支援らしい支援は何もしていないに等しいのです。それどころか、やれブロンズ像が高いのとか、主人公が子どもなのにパイプを持っていてけしからんなどと手を引っ張らず足を引っ張ってばかりなのです。それでも青山さんは悪びれることもなく郷土のためにと一肌脱いでコナンの里作りに理解を示しているのです。

 コナンの里づくりをここまで進めてきたのは現在企画情報課長をしてる田中精一さんです。彼もまた私が夕日に魅せられて夕日のまちづくりを進めてきたプロセスと同じように人々から悪評を叩かれ足を引っ張られてきたのでしょうが、そんなことは口にも出さずコナンの里づくりに情熱を燃やしているのです。湖南の里づくりを進めていく上でのキーポイントは町長の存在です。幸い町長さんは歳も若く就任して間もないことやコナンの里づくりにも深い理解を示しているようで、スタッフとしては何とも心強い見方のようです。

 少し整理をすると次のことを感じました。

 ①漫画作家や小説作家は人気商売で、日本人の初物食いや飽き易い性格を持っているから、流行り廃りをしっかりと見極めなければならないと思います。日本全国を旅して思うのは、記念館や漫画・小説・有名人は絶えず時代背景の中で育つのです。仮にも公費を使うのですから説明責任とそれ相応の費用対効果が求めれれるという認識を持つべきでしょう。

 ②島根県に境港のゲゲゲの鬼太郎という水木しげるの妖怪漫画で成功した場所があります。境港は目と鼻の先で、主人公をブロンズ像にして街角に飾る手法は二番煎じのそしりを免れず、境港を必ず比較されるのです。その比較という厳しい目を意識しながら独自性をどう打ち出すか、まさに知恵の出しどころではないかと思うのです。やはり本物と真心に力点を置いてオンリーワンを貫いて欲しいと思うのです。

 ③今回の展示ミュージアムは郷土館という立派過ぎるほど立派な旧来の施設をリニュアールして使うという方針のようですが、私も大賛成です。施設に金をつぎ込まないでソフトに力点を置くことが大事でしょう。その場合古い文化財的な展示資料をしっかりと整理ししかるべき処置をすべきだと思います。町民は40代以上は文化財に価値を求め、30代以下しか漫画の世界を理解できないという世代間の意識的ギャップがあることを見定めねばならないのです。

 ④漫画はどちらかというと遊び心です。この遊び心を特産品であるスイカやラッキョウ、長芋といった特産品にも多いにロゴを活用しコナンの里作りが地域産業の活性化に役立つよう誘導したら、大きな経済効果が期待できると思うのです。

 ⑤コナン通りから少し奥まったところにかつて北前船で栄えた港町の歴史的町並みが随分残っています。商店街の活性化が大きな社会問題となっている時期だけに、商店街への誘導を心がけなければなりません。実はそれが一番面白い場面で、商店街もノスタルジックな町並みをコナンの探偵という手法で街歩きに組み立てれば面白い物語が出来そうです。そのためには街中にどんなお宝が眠っているか商店街の一軒一軒をリストアップすべきでしょう。そのワークショップ作業がまちづくりなのです。

 ⑥国道の橋によって閉ざされた川面空間と川の両岸、それに中央公民館周辺まで伸びる整備された川はとても魅力的です。両岸にあじさいや芙蓉などの花を植栽し季節の歳時記を作るべきです。毎年植えなければならない花の花壇ではなく低花木植栽によるフラワーロードです。そうすればおのずから川に関心が集まり川を美しくします。今は川側は裏通り的な性格をしていますが、商家の裏通りは歩いて楽しむことのできる新しい古民家商店街が出来るかもしれません。将来は屋形船が繰り出す幻想的な水辺空間になること請け合いです。

 ⑦免許センターがなくなることは寂しいのですが、今まで免許センターはあるだけで地域には余り貢献していなかったようで返す返すも残念です。跡地が町有地なのでかなり有望な空間です。コナンの里づくりの客足動向をしっかり見定めた対応が求めれれます。

 ⑧これまで町内には至る所にブロンズ像やマンホールの蓋などが設置されています。全てが本物で全てがコナンの里づくりに活用できそうです。しかし、人気漫画だけに小学館や青山さんとのやりとりも大変な作業ですね。話題になった地域振興券を活用して、日本全国に広がりを見せつつある地域通貨によるまちづくりを是非進めるべきだと思います。この商品券が過去のものに終わらぬよう商店街やボランティア活動との共有通貨に成長させると面白いと思います。是非コナン展示館もこの地域通貨で入場できるようしたいものです。

 ⑨道の駅が現在2つあります。大栄の道の駅は商工会と農協の目に見えない違和感が感じられます。北条の道の駅は地元農家の参画不在も気になります。高規格道路と国道313号との接地点をどうまちづくりにとらえるのか、気になるところです。比較的似通った二つの町の合併は目に見えない対立や利益誘導という悪弊を招きます。みんなで知恵を出し合いましょう。

 ⑩コナンの里づくりにイベントや情報の発信は欠かせませんが、新しい発想のイベントも情報発信も内磨きだけでは出来ません。外磨きの知恵を入れる

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shin-1さんの日記

○北栄町を訪ねる①

 中国山地の山間を抜け目指したのは北栄町でした。わが愛車に搭載装備されているカーナビは残念ながら時代遅れか、平成の大合併前のソフトなので北栄町なんて名前では目指す目的地は出ないのです。仕方がないので電話番号で検索すると旧大栄町の役場が目的地になって、ただひたすら走り始めました。瀬戸大橋を渡った高速道路米子道を湯原のインターチェンジで降り、国道313号線を走って大栄町を目指しました。この道は5月27日に倉吉で行われたまちづくり講演会出席のため妻同伴で通った道なので、通り過ぎる度に見覚えのある建物や看板が通り過ぎて行きました。

 平成の大合併が一応終わりそれぞれのまちが新しいまちづくりに取り組み始めたからでしょうか、最近はやたらとお声がかかり、特に島根や鳥取は知人友人の紹介ということもあって、頻繁に訪れているのです。でもやっぱり平成の大合併は地方にかなりのショックを与えたようで、訪ねたまちの限りなく100パーセントに近いまちで聞く話は、「こんなはずではなかった」という不満や不安の声が多く聞かれるのです。でもこの合併は今更元に戻すことは出来ないのですから、どうしたら新しいまちが素敵なまいに生まれ変わるか、いよいよ知恵の競争が始まったなという印象を強くしているのです。

 北栄町は北条町と大栄町が合併して誕生したまちです。北条の北、大栄の栄を取って名前を付けたことが一目瞭然分るシンプルな名前の町です。私は旧町の時代から道の駅の仕事で随分お邪魔をしていましたが、この度「コナンの里」という地元大栄出身の漫画家青山剛昌さんの人気漫画「名探偵コナン」をモチーフにまちづくりを手掛けるというので、その助っ人として招かれたのです。私の話は前述の5月の講演会で助役さんや課長さんが私の首実験をしての計画であり、断る理由もなく引き受けてしまいました。私のように自然にある地域資源を素材にしてまちづくりに取り組んできた者にとっては、地元出身の有名人の名前を借りたまちおこしはいささかの抵抗がありますが、地元が選んだことだから目いっぱいお手伝いをしようと勢い込んで乗り込みました

 町に入る前私の携帯電話に友人から電話が入りました。東伯農協の敏腕職員四門隆さんからでした。私は彼と随分古い付き合いで旧知の間柄です。でも私の来県をどうして知っているのだろうと不思議に思いましたが、役場に行ってみると彼はヘッドハンティングされて役場の椅子に座っているではありませんか。それも2~3日前に準備室長に就任したというから驚きです。彼は農協の合併を機に農協を退職し、やがて記念館が出来たらそこの館長になる予定だというのです。 地方自治体の職員の間に漂う閉塞感を肌で感じている時期だけに四門さんをこうした職責に登用した町長さんの英断に大きな拍手を送りたいと思いました。

 北栄町は日本海に面して海岸線が一直線に伸びる暴風松並木を持った素晴らしい海岸が魅力の町です。日本海から吹き付ける地元にとっては悪風のような風を受けて回る9基の風力発電風車がシンボルの町でもあります。また夏はスイカ、秋は長いも、春はラッキョウと、砂地の畑では農産物にも恵まれ、豊かな地域でもあるようです。海沿いといっても直ぐ海直ぐ山の急峻な地形に悩む私たちの町とは大違いの何とも羨ましい町なのです

 見覚えのある北条の道の駅で休憩し、その目と鼻の先にある大栄の道の駅で相次いで市場調査をしましたが、北条の道の駅付近には高規格道路のインターチェンジが出来るらしく、既に土盛りなどの工事が始まっていました。合併によって二つの道の駅を手に入れた北栄町ですが、今後はどうなるのか政争の具にされそうな雲行きを直感しました。

 大栄の道の駅から役場までの一直線の道は既にコナン通りと銘打って、名探偵コナンに登場する主人公の見覚えのあるブロンズ像がそこここに建っていました。道幅も広く突き当たりの役場まで田舎らしくないお洒落な道路が延びていて、レンガ造りの役場前には古い桜の大木が何本もあり、重厚な趣きを見せていました。

  「名探偵 コナンの里を 名乗る町 そこここ見える ブロンズ可愛い」

  「道の駅 二つもありて 競い合う 旧町今後 エゴがでるかも」

  「この町を 有名にした コナン君 青山剛昌 偉い人です」

  「風受けて 回る風車を 口開けて 見上げる吾は 知恵が回らず」 

    

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shin-1さんの日記

○日脚が長くなった四万十界隈

 先月末の予定が先方の都合で変更になったため、随分長い間のご無沙汰のような気がしつつ、県境を越えて四万十市西土佐へ入りました。抜けるような青くて高い空だった四万十川界隈の明るい夏のイメージはどこか遠のいて、観光客の姿も殆ど見られず何処か違った村へ来たような錯覚すら感ながら村の中心地にある役場を通り越して、西土佐大橋を渡りました。日脚が長く感じたのも束の間山里には早くも夕暮れが迫り、通り過ぎる人も車も急ぎ足のようでした。偶然にも旧友篠田幹彦さん親子に会って立ち話をしましたが、奥さんは高知へ出張とかで留守とのこと、共稼ぎの苦労を垣間見るようでした。

 役場で中脇裕美さんと藤倉育さんと出会い、夕食のためいつものように岩木食堂の暖簾をくぐりました。この食堂もすっかり顔なじみとなって、私の口に合う料理をいつも出してくれ嬉しい限りです。お客さんの多い料理屋はやはり味と真心があるのでしょうか、田舎の食堂ながらひっきりなしにお客さんが入っていました。

 その目と鼻の先に昨晩の集会所はありました。田舎に行けば行くほど人の集まりはよく、この集落も区長さんが熱心と人目で分るほどに20人もの人が集まりました。どの集会所に行っても思うのですが、やはり熱心なリーダーがいる所は人の集まりもよく、聞く態度もしっかりしているようです。

 区長さんが面白い道具を持っていました。どうやら公民館のカギのようですが、一枚の板にカギを布紐で結んで、誰が見ても分るようにしているのです。私が管理している灘町集会所のカギは20以上もカギがあり、その都度どれが何処のカギか何度も細かい字を暗闇で見ながらやらねばならず、慣れるのに随分苦労をしました。今は大体分るようになりましたがこれは妙案だと思い、早速写真に撮らせていただいた次第です。

 集会所へは公用車で出かけますが、道すがらその地域のネタを中脇係長から聞きながら車を走らせます。「この集落ではどんな特徴があり、どんな面白い話題があるか」聞くのです。そしてその仕込みネタでアドリブの話のストーリーを描くのですが、これが結構難しくて、その地域の特長を的確に話せなくて四苦八苦します。毎回同行する中脇さんや藤倉さん、それに石川さんなどは毎回同じような話に耳を塞ぎたくなるのでしょうが、不平も言わず黙って聞いていてくれるのです。

 昨晩は参加者全員に番茶とコーヒーのどちらかが振舞われました。コーヒーの飲めない私は番茶を選びましたが、感心なことに「私はブラック」などと英語で話しているのです。お茶の接待は何故か心が和みます。多分この地区のほのぼのとした雰囲気は、早めに来られた女性の方がお茶を沸かし、お茶を入れたからではないかと思いました。接待とはこのようなことを言うのでしょう。集会が終わり外に出ると外灯も殆どなく、人の数といい、明るさといい、昨日までいた東京新宿との余りにも大きい落差に驚きながら空を見上げました。明る過ぎる東京では決して見えない秋の夜空の無数の星が輝いて見えました。外灯はなくっても星が輝く街は素晴らしいと田舎のよさを再認識しました。

  外灯も 人の数でも 負けるけど 田舎にゃ星が 燦然輝く」 
  「集会の 合間におばさん 携帯を 両手で大事に 確認するよに」

  「秋の次 冬冬の次 春という 暦は巡り 早冬近し」

  「田舎道 人気感じぬ 工事中 臨時信号 車を止めぬ」 

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shin-1さんの日記

○秋花の咲く頃

 春に比べると秋の花は少し少ない感じがしますが、それでも秋にはとっておきの秋桜という和名のコスモスがあちらこちらに咲いて、見る人の心を和ませてくれています。最近日本の中国路を旅しましたが、どこもコスモスが道端に咲いて秋風になびいていました。一番圧巻だったのは、トイレ休憩でふと立ち止まった場所に沢山のコスモスが咲いて、週末にはコスモス祭りが開かれるという直前の会場を見たことでした。

 「花作り花見る人は他所の人」といわれるように、この花を丹精込めて作った人は多分地元の有志の方々でしょう。種を蒔き、定植し、除草や防除をしながらの作業は大変だったに違いありません。またコスモス祭りの期間中も天気が心配になったり台風で茎が倒れないか心配の種は尽きないのです。でもこうして色とりどりのコスモスが立派に咲いた姿を見るのは花作りをした人でないと本当の美しさは分らないのかも知れませんね。私もこれまで20年間も花作りにかかわり、水仙や菜の花、アジサイや芙蓉の花を世に送り出してきましたが、まちづくりの中でも花作りは特に奥が深いものがあるようです。

 先日、国立大洲青少年交流の家へ会議に出席するため出かけましたが、時間があるので看板に誘われて直ぐ近くにあるフラワーパークに出かけてみました。5時を過ぎ夕闇迫っていたので人影は殆どなく若いカップルが二組いた程度で広い敷地内をゆっくりと散策しました。

 盛りを過ぎたマリゴールドの畑は少し寂しい気もしましたが、それでも夏の暑さを耐えて今日まで咲き続けたど根性は立派なものです。誰かの言葉のように「花の命は短くて」折角咲いても見る人が少ないのではと思いつつ、目いっぱい楽しみました。

 ここのコスモスは手入れが行き届かなかったのか雑草に覆われていましたが、それでも一つ一つの花は美しく咲いて、カメラを向けると恥らうような雰囲気でしたが、束の間の癒しを与えてくれました。フラワーパークという看板を守るためにはここでも多くの人が働いているに違いないと、改めて感謝の念を持ちました。

 最近はこうした生きた花を摘み取って押し花にする技術が開発されて、色も殆ど変わらない押し花作品の展示会があちらこちらで開かれています。多分こんな趣味は野暮な男性には不向きで、作品を作っている人の殆どは主婦だと聞きました。しかしその作品を作るために、あちらこちらに出かけて公園や人の畑に勝手に入り込み押し花用の花を摘み取る人もあるとか、花の咲くのを楽しみにしていた人にとっては断じて許しがたいことなので、あちらこちらでトラブルがあるのだとも聞きました。

 ふと私は、近所の花作りのおばちゃんの話を思い出しました。菜の花を丹精込めて作って、間もなく花が咲くだろうと心待ちにしていた矢先、菜の花の蕾がある日のことごっそり盗まれました。それは菜の花の漬物にするための盗難だったのです。許し難い光景に呆然としたおばちゃんは私に相談を持ちかけました。やれ見つけたら警察に突き出すとか、防犯カメラを取り付けてはなどの物騒な意見が出されましたが、私のアイディアで「消毒中に注意」という小さな看板を取り付けましたら、途端に取られなくなりました。これも知恵なのでしょうか。いずれにしても「花はそこに咲くから美しい」のであって、盗んだ花を使って幾らいい作品が出来てもそれは人の心を打たないはずなのです。私たち人間も同じだと思いました。

?追伸

 久しぶりにシーサイド公園へ行きました。国道沿いに植えられた酔芙蓉の花が今見ごろを迎えています。綺麗ですよ。ちなみにこの写真は酔芙蓉が白からピンクに変化しつつある3時30分頃の撮影です。

  「ここに咲く だから花たち 美しい そのこと知らず 平気で盗む」

  「偶然に 立ち寄る場所に コスモスが いっぱい咲いて 涼しかりけり」

  「花愛でる 余裕もなしに あくせくと 働き詰めの 日々は愚かし」

  「中秋を 今が盛りと 咲く花に 勢い貰い 少し元気に」 

 

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shin-1さんの日記

○人間四つのタイプ

 10月14日、双海町下灘のコミュニティセンターで建築関係のシンポジウムがありました。何せ日本建築学会のシンポジウムですから、社団法人日本建築学会会長である村上周三さんが来るというので関係者は大騒ぎをして、伊予市長さんや北橋国土交通省四国整備局長さんなども列席する物々しさでした。私たち地元民は「へえーそんなに偉いのかー」と半信半疑の参加でした。

 テーマが「地球環境と循環型社会の再生」というこれまた私たち凡人には理解し難いものなので、「地球環境とサステナブル建築」-環境評価の推進と建築市場の変容ーという難しい演題で約1時間余り会長がパワーポイントを使って話しましたが、多分理解出来たのは建築関係に携わる人たちで、地元の人はまるでチンプンカンプンの様子でした。

 続いて行われたシンポジウムには村上会長さんと日本建築学会会員の善養寺幸子さんに付け足しで上田教育長さんと私が壇上に立ちました。善養寺さんは環境庁のエコ学習をそのままパワーポイントで説明し、上田教育長さんも博学なお話をされましたので、私の話が余計みすぼらしく感じられたのではないかと少しショックを受けました。

 といのも、私は例によって今回もまったく事前準備もせずシンポジウムに臨んだのです。準備をしなかったというより、島根県隠岐の島から続いたロードワークが前日まで過密スケジュールで、ブログも書けないほどの忙しさで、準備を予定していた当日の午前中も松山から人間牧場の視察が入ってまったく時間がなかったのです。

 でも壇上に上がればそんな言い訳は通用しませんから、私はどちらかというと地元の人に視点を当ててできるだけ分りやすい話をしました。特に私の持ち時間30分を使って、宮栄地区公民館長にはコミュニティを、西下共栄木材社長には木の住まいを、河野ホタル保存会長にはホタル保護活動を、また稲田元森林組合長には森林保全をそれぞれ質問形式で話をしてもらいました。環境や循環型社会について、いくら高慢な理想をグロ-バル的視点で唱えても、それがローカルな実践に結びつかなければ何にもならないのです。多分会場に居合わせた人は半分が地元、半分が外から来た専門家でしょうが、村上会長、善養寺さん、上田さん、コーディネーターの嘉村さんの話は外から来た専門化には快い響きに聞こえたことでしょうが、半分の地元民には私の話の方が理解できたのではないかと思った次第です。

 世の中にはおおよそ四つのタイプの人がいると思います。①難しい話を難しく話す人、②難しい話を分り易く話す人、③分りやすい話を難しく話す人、④分りやすい話を分り易く話す人です。他の3人がどの部類に当てはまるのは聞いた人でないと分かりません。でもはっきりしていることは、さしずめ私は④の分りやすい話を分り易く話す人だと思いました。方言しか喋らない私のような人間は多分浅はかな知識を見抜かれ軽蔑されることでしょうが、でも半分の人に理解されただけでも満足とせねばなりますまい。

 私はこの町に62年間も生きてきました。戦後の混乱期や双海町の誕生、高度成長や過疎など様々な変化の中で暮してきましたが、戦後40年は町の大きな変化もありませんでした。でもその後から今日までの20年間で双海町は急激な様変わりをしているのです。その20年のまちづくりの先頭にたって引っ張ってきたのは町長と私たちだと自負しています。でもあれほど反対された夕日や拠点づくりも、間違いのない方向性を見出しリードしてきたからこそ今日があるのだとこれまた自負をするのです。それは分りやすいことを分り易く町民の目線でリードし、町民がそのことを理解して実践したからに他ならないのです。

 これからのまちづくりも分りやすいことを分り易くしたいものです。それにしても今日のテーマであったはずの翠小学校は何処へ消えたのでしょう。

  「世の中は 難しことが 多過ぎて ついて行けぬわ チンプンカンプン」

  「半分も 地元が居るのに 無視をして 誰に理解を 求めているのか」

  「俺くらい 馬鹿がおっても いいでしょう 無官ゆえなる 気がねもなしに」

  「残すなど 口が裂けても 言わないで 釘を刺されて 学校議論」

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shin-1さんの日記

○パラグライダーの飛ぶ町

 今年も北東の風が吹く頃になってきました。秋になると決まって吹くこの風のことを地元では「こち」とか「くだり」とか呼んでいますが、いい天気なのに波風が強くて漁を休まなければならないことから「のら(怠け者)風」とも呼んで余り歓迎されないようです。この風の特長は朝方穏やかでも次第に勢いを増し、昼ごろに強くなるのです。ところが「夫婦喧嘩とくだりの風は夕方凪ぐ」といわれるように夕方になるとピタリと止むのですから不思議です。そしてくだりの風は雨が降るまで何日も吹くので歓迎されないようです。それでもこの風は風土と呼ばれるに相応しい風ですから自然現象として様々な暮しに関わっているようです。

 この季節になるとこれまでの南西の追い風で飛べなかったパラグライダーが一斉に飛び始めます。勿論強風の昼間は飛べないのですが、くだりの風が穏やかになる3時過ぎになると上空にまるで色とりどりのコスモスの花を咲かせたように飛ぶのです。田舎の、しかも何の変哲もない漁師町にパラグライダーを飛ばせようと思いついたのはもう二十年以上も前のことでした。パラグライダーやハングライダーが既に飛んでいた香川県引田町や高知県吾川町へこっそり見学に行ってそのノウハウを教えてもらったり、全国的に知名度の高い国際大会出場の経験もある高木さんに一年をかけて双海町の気象状況を調査してもらったり、随分とあれやこれや思いつくことをやったものです。そのうち標高896メートルの牛の峯山に間伐材を集めて手作りのランディング場を作りましたが、最初はテイクオフの長さが短いため杉の木を越えることが出来ず、木に引っかかってあわや大怪我という事態もありましたし、降りる場所だって稲刈りをした後の田んぼの地主に了解を得て利用していました。

 パラグライダーが本格的にスカイスポーツとして双海町で飛び始めたのはシーサイド公園がオープンした平成7年からですが、そのころには町が牛の峰山に念願の発射場を作りバックアップ体制が整って大会が開けるようになりました。思えば長い長い苦労でしたが高木さんという熱心な青年のお陰で、これまでパラグライダーといえば塩塚高原のように車で3時間もかからないと行けないような山奥だったのが、県庁所在地から1時間もすれば行ける身近な場所でできるようになったのですから感無量です。今は多くのパラグライダー愛好者が、多い日には30人以上もやって来て何度も飛んでいるようです。ただパラグライダーの欠点は飛び立つ山頂まで車で登ぼるので人の世話にならなければならないということです。でもそれはかえって仲間意識が生まれ、高木ファミリーのように仲のよい集団を作っているのです。

 私はこれまで1回、高木さんのサポートを得て憧れのパラグライダーに乗って大空散歩を試みました。多少の不安や家族の反対もありましたが、大空の旅は想像以上に素晴らしく僅か20分ながら私の思考能力を更に水平思考に変えてくれたのです。もう年齢的には再チャレンジもないものと思われますが、若き日にレオナルドダビンチや二宮忠八のように大空を飛びたい夢を実現しただけでも大満足なのです。

 ことしもパラグライダーのシーズンがやって来ました。安全に気をつけて思い切り楽しんでください。

  「鳥のように 空を飛びたい 夢実現 たった一度の 感動思う」

  「度迫力 頭の上に 降りてきた パラグライダーマン さっそう登場」

  「みな口を 開けて大空 眺めたる 空の一点 次第に大きく」

  「まるで花 咲いたようだと 大空を 指差す先に 風受け飛んで」   



 

 

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○古民家で秋を楽しむ

昨年まで伊予郡というエリアの中で隣近所の町や村と楽しい交流をしていましたが、合併によってその様相が一変し、隣町が遠くなったり近くなったりして何か拍子抜けがしています。砥部町という砥部焼きの町は青年団時代からよく訪ね仲間も多いのですが、最近は伊予市に合併したため訪ねる機会も随分少なくなってきました。

 その砥部町に坪内家という古民家があって、広い家に奥さんが一人で暮らしています。古民家は中に入ると木組みも道具類も素晴らしいのですが、家の維持たるや大変なもので、奥さんの一人手では朽ちる場所もあってなかなかのようです。これを見かねた人たちが古民家の活用を考えて、奥さんを巻き込んだ様々なイベントをやっていますが、人が出入りするようになった古民家はまるで息を吹き返したように元気を取り戻し、住んでいる奥さんも周りの木々や庭までもが活き活きと輝やき始めているます。

 昨日はその坪内家で秋を楽しむ会が持たれました。田舎料理と季節を楽しもうという呼びかけに常連さんを含めて30人余りが参加していました。私はその集会の事務局をしている玉井恭介さんの依頼によって「心豊かに」と題してお話をすることになったのです。勿論私もボランティアで約1時間、主役である坪内家を際立たせる食後のデザートのような役割を果たしました。

 坪内家の門はまるで時代劇に出てくるような立派なものです。傍には今を盛りと咲く可憐なコスモスの花が秋の風情をいかんなくなく発揮して秋風に揺れていました。

 また屋敷内には楠の木、イチョウの木、杉の木などいずれも神社仏閣にあるような巨木がズラリと並んで家の周りを取り囲み歴史の重みを感じさせてくれました。

 ご覧下さい。この楠の木も人が小さく感じるような大きさなのです。この木の傍には井戸端があって立派な東屋が立っており、そこで地元の方々が料理を作っていました。勿論坪内家の奥さんもその輪の中にいて、顔見知りの私に声を掛けてくれました。

 玄関では立派な屏風を前に玉井さんが受付をしていました。

 丁度お昼の集合だったので、栗とキノコの炊き込みご飯やいもたき、冬瓜のあんかけ、和風サラダなどを楽しい会話の中でいただきました。田舎料理は美味いです。存分にいただきました。

 この人たちが地元の料理をしていただいた方々です。

 料理が終わると片付けていよいよ私の話が始まり約1時間お話をさせていただきました。「笑う門には福来る」ではありませんが、今日の皆さんは聞き上手で随分笑ってもらい助かりました。私も今日は、いやこのところずっと何の考えも持たずただアドリブで1時間も話すのです。話す方が肩肘張らないため聞く方も随分リラックスして聞いていました。まだまだ修行の途中ですが話芸の心得が少し見えてきた感じです。

  「人前で 図々しくも アドリブの 話しつなぎて 笑い転げつ」

  「手料理の 茶碗の中に 母の顔 思い出しつつ 味をかみしめ」

  「三日前 木々を揺らした 低気圧 銀杏落として 何処かへ去りぬ」

  「行く秋を 惜しむが如き 栗の実を 茶碗の中に 探しほおばる」

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shin-1さんの日記

○中秋の名月

 「月々に月見る月は大けれど月見る月はこの月の月」と詠まれた仲秋の名月が、旅先島根県隠岐の島での台風崩れの低気圧で見ることが出来ず残念な思いをしていましたが、このところの好天で夕方から朝方までその後の美しい秋の月を見ることが出来て喜んでいます。昨日は孫と二人で久しぶりに長旅で汚れた車を洗っていると、孫が「じいちゃん夕日」と指を指すのです。夕方だったのでてっきり夕日だと思ったのでしょうが、それは真ん丸い昼間のお月様だったのです。孫に「朋君、あれは夕日ではなくお月様よ」といったら、「お月様は夜なのにどうして昼に見えるの」と早速の質問に「うーん」とうなってしまいました。

 このところ天気もよくて、夜虫の声に誘われて戸外へ出てみると明るいお月様が光々と辺りを照らしています。昨日は飲み会後の歩いて帰る際、今日は大洲青少年交流の家で開催された大人を考えるフォーラム実行委員会が終わり車で帰る際、いずれも美しい名月を拝むことが出来ました。このところの忙しさで名月を愛でる暇もなく過ごしていましたが、この二日やっとわれに帰って月を愛でることができました。

 このところの忙しさで人間牧場へ行くこともままならず、南海放送のもぎたてテレビも島根県への出張であいにく見ることも出来ず、モヤモヤが続いています。そのモヤモヤを増幅するようにそのテレビの番組を見た人からメールが沢山届いて、対応にも四苦八苦でした。

 人間牧場には大きなススキの株立ちが会って、もぎたてテレビの取材の時はまだススキの穂が全て出揃っていませんでしたが、もうそろそろススキが開いている頃だろうなと想像しつつ月を見ていました。今日は家に帰ると食卓に蒸かしたさつま芋が並べられていました。仏壇に供えたものの中から一つ選んでお下がりを食べましたが、季節の旬野菜だけあって、栗と見まがうほどの美味しさでした。さつま芋を食べながら、イノシシの餌になってしまった人間牧場農場のさつま芋についても思いが及んで、中秋の名月は人間牧場につながってしまうのです。

 一昨日、大分県佐賀関の渡邊又計さんから私の留守中に豊後水道で獲れた生きのよいハマチが2匹届いていました。妻は早速刺身や煮つけや手巻き寿司などとして料理し食卓に並べていました。魚好きな私としては願ってもない好物に舌鼓を打ちました。ジャガイモを送ってくれた北海道鵡川町の菅原春巳さんといい、秋刀魚を送ってくれた北海道帯広の南さんといい、私はいい仲間を全国に持っており、居ながらにして全国の旬の味を堪能しているのです。月を見て渡邊さんを思い出し、月を見て菅原さんを思い出し、月を見ては南さんを思い出すのです。

 妻は早速知人に頼んで極早生みかんを10箱余り全国の友人に向けて出荷しました。渡邊さんにはみかん所でもあるので別の物を考えなければなりません。私はただ漠然と届いたものを食する役割に徹していますが、妻のこうした付き合いを長く続ける秘訣なのかも知れません。

  「月を見て 遠い仲間の 顔浮かべ あれやこれやと 過ぎし日思う」

  「綺麗だね 月見て夕日と 勘違い 孫の何でに 答えれなくて」

  「ダンボール 旬をいっぱい 詰め込んで 宅配さんが ハンコください」

  「生ものも 新鮮姿 そのままに 我が家に届く 北のまちから」

 

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