shin-1さんの日記

○懐かしい顔がやって来た

 今日は山を越した一つ向こうの大洲市田処から懐かしい顔々が朝ヶ峠を越えて人間牧場へやって来ました。先日ブログで紹介した耕運機をくれた亀本耕三さんが引率していずれ劣らぬ5人の美女軍団なのです。数日前の研修会で知り合った元先生の西田さん、それに養豚農家で昔手紙をやり取りしていた石岡さん、中学校で同級生の中野さんも一緒で、和やかな会話となりました。この文章を書きながらしまったと後悔しました。余りの美しさに見とれてあがってしまい後の二人の名前を聞くのをうっかり忘れていたのです。ブログを読んでる方なので余計心が痛みます。申し訳ありませんがこのブログを読んだら名前などメールしてもらえると助かります。元先生の西田さんが元大洲市議会議員でほたる保存会の会長だった今は亡き西田さんの奥さんだったり、石岡さんの子どもたちも大きくなったり、中野さんのご主人が腰の手術をしたりと、久方ぶりに聞いた時の流れの中での音信に懐かしさをいっぱい感じました。

 私が田処へ頻繁に足を踏み入れたころの彼女たちは恋心を覚えるほどの若さでした。勿論私も若かったのでわが家横にある煙会所へも来てもらって当時は深い交流が続いたものです。時の流れは人も記憶も老いさせます。でも決して忘れることが出来ない思い出なのです。

 今日は皆さんが飲み物まで持参する徹底ぶりで、私が豆腐が好きなの知って、荒縄で縛るほど固い美味しい豆腐やバター、蜂蜜などを手土産に頂きました。今晩の夕食にはあの大きい冷奴が一丁ドーンと出て、堪能しました。明日の朝は石岡さんの蜂蜜をご相伴にあずかります。

 亀本さんには悪いのですが今日は、亀本さんにお願いして撮影した私を入れた写真を使わせていただきました。

 私も何かお返しをと思いつつハーモニカを吹きました。糞が付くほど「へたくそ」と言われそうですが、少年の頃の思い出話を話しながら吹くハーモニカの音色はいいもので、皆さんから大きな拍手を頂きました。

 今日亀本さんはお願いしていた牛糞を沢山持参してくれました。あいにく耕運機は雨に濡れたため水が入って結うことを聞きませんでしたが、ご無理でもまた亀本さんに耕運機の名医になってもらって動くようにして欲しいと思いました。ああそれから、亀本さんにビールを渡すよう妻から言われて車に積んでいたのにすっかり忘れて渡せなかった失敗もあり、家に帰って妻に叱られました。また今度・・・・。

 友人は何時までたってもいいものです。旧姓徳山貞子さんという中野貞子さんとも同級生のよしみで長い、そして深い付き合いとなりました。私の生活設計では85歳まで生きると決めているのであと24年したら死にますと私が言ったら、中野さんは80歳までだそうで、「じゃあ、貞ちゃんの葬式には私が参列します」と言って大笑いとなりました。こんな冗談をこれからも言いながら幸せな人生を送りたいものです。

 雨だと思っていた天候も徐々に回復し、海のない街の山のお客様は海を心行くまで堪能し手を振り見返り美人よろしきを得て元気に帰って行きました。またお・い・で・・・・。

  「空風呂に 入って写真 ハイポーズ 今度は本当に 風呂に入りたい」

  「溢れ湯を 想像ニヤニヤ 顔よりは 下腹眺めて 何見てるのよ」

  「お互いが 歳を経たよな 顔をして 痩せた肥えたと 体重気にする」

  「海見えぬ 街から海を 見に来たよ 海はやっぱり 憧れますね」


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shin-1さんの日記

○俺の顔ってこんな顔

 「自分の顔に自身を持て」とよくいわれますが、私は顔に自信がないので自身の顔に自信が持てないのです。そのため写真に写るのは余り好きではありません。ですから集合写真を撮る場合も出来るだけ後ろの出来るだけ橋の方に陣取ってきました。しかし様々なイベントや行事を手がけたり講演などに行くと知らず知らずのうちに写真に撮られ自然体ともいえるスナップ写真が送られてくるのです。「肖像権の侵害だ」と叫んでみても既に撮られているのですから文句のつけようがないのです。しかしつい最近になって写真に撮られることが余り苦痛にならなくなりました。やはり歳のせいでしょうか、はたまた「今更格好よく見せなくても」という諦めの心境なのでしょうか分りませんが、それなりに撮れているのです。

 昨日も逆手塾のスナップ写真が数枚、田中一裕さんから送られてきました。先月開いた逆手塾での一コマですが、カメラを意識せず何のわだかまりもない写真には私の地金が出ているようでついつい嬉しくなりました。特にハーモニカを吹く姿は何とも味のある顔なのです。送られてきた写真を見て私の体の痩せ具合が気になると妻は言います。13キロも痩せて頬骨が出ている姿は何ともみすぼらしい意から、少し肥えてと言うのですが、今のところ体調もよく、痩せてはいるものの顔色がすこぶる良くなったと仲間も認めてくれています。「お父さん少し背中が丸くなっている」と妻の鋭い指摘にもへそや腰で歩くよう極力背筋を伸ばしています。暇でも出来たら写真の整理もしたいと思いつつ、最近の写真を気に入って眺めるこの頃です。

 私のデジカメ写真が私のパソコンの中にはやたらと収録されています。フィルムを現像したり焼き付けたりしていないので劣化はしないのですが、デジタルの情報はウイルスや落雷などでいつ何時アウトになるか

分らない危険性もはらんでいるので、デジカメの写真もプリントアウトしておかなければとあれやこれや思うのですが、これも一向にはかどる気配がありません。先日も妻が「お父さん、私と一緒に鳥取に行った時の写真がブログで消火されていると友だちから言われたのに、自分では見てないがあれはどうなってるの」と厳しい指摘がありました。妻を横に座らせそのブログの写真を見せたら納得した様子でした。多分バックに花や歴史的景観が上手く配置されているから、モデル自分が結構きれいに写っていると勘違いしての納得だったようです。

 しかし私は妻と同伴旅行しながら何故か最近の写真でも二人がツーショットで写っている写真は皆無なのです。この顔で気恥ずかしさがあるのでしょうか。次は思い切って二人の写真を誰かに頼んで撮ってもらいたいと少し心の変化が現れています。新婚旅行すら二人の写真は皆無なのですから大変な心境の変化と成長です。

 写真はその場その時を物語る貴重な生き証人です。これからも自然体の写真をせいぜい楽しみたいものです。

  「テレビより あんたの顔は ラジオ向き いわれ続けて それでも目立ち」

  「近頃は 顔に自信が 少しだけ いい顔してるぜ カメラ腕いい」

  「三十余年 夫婦してるに 一枚も 二人の写真 ないのですから」

  「六十年 生きてこの顔 味が出て 出がらし後は ごみに出される」 

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shin-1さんの日記

○三つの壁

 昨日の研修会で講演終了後懇親会がありました。5時半からの懇親会は小腹が空いていて出された鰹のタタキやダシ巻き卵焼きなどを食べながらウーロン茶でひと時を過ごしました。私は講演講師ということで上席に置かれましたが、周りが会長さんや偉い来賓の方が殆どで、講演の内容について私見を交えて反芻が始まるのです。胆嚢を取った病後の最近では食も細くこの時間はかなり長く感じられるのです。それでも主催者の顔も立てねばと約40分間、入れ替わり立ち代りやって来る方々と名刺交換しながらお話に花が咲きました。こんな酒宴でハッとする人に時々出会うことがあります。昨日もある町の町長を3期務めたという方と出会いましたし、隣の席の方とまちづくりの長い経験を三つの壁について話しました。行政に携わって感じることは物理的な壁(モノの壁)、制度的な壁(しくみの壁)、意識の壁(心の壁)という三つの壁があったように思います。

 まず物理的な第一壁ですが、普通の人がまちづくりに取り組む場合、自分の周りを見渡し地域資源は「何もない」と考えます。またわが町のように第一次産業中心の町はみかんと魚などありきたりで地域資源にはならないと考えるのです。私は逆に何処にでもある夕日に着目し、夕日と特産品を結びつける事によって経済を考えました。確かに夕日だけなら何処にでもあるのですが、双海町という瀬戸内海に面した天気率の良い地域の夕日が見えることを資源にしたのです。夕日という物理的テーマが見つかるとそれ以外の資源が自分の周りにはゴロゴロするほどいくらでもある事に気がつき始めるのです。しかも夕日の持つマイナスイメージのせいか誰も手をつけていないバブル全盛時代の追い風が物理的な壁を取り払ってくれたのです。

 しかし第二の壁である制度的な壁はすぐに私の前に立ちはだかりました。役場の課長補佐という立場でしたから組織的しくみの中では上司の説得や議会の説得、資金を出す国・県への働きかけ、さらには税金を使うのですから町民の理解と、気の遠くなるようなしくみの壁を越えてゆかなければなりませんでした。でも制度はルールですから、ルールを破る知恵と熱意と人間関係があればそこそこ乗り越えれるものなのです。道の駅に登録され今や年間55万人の集客を誇るシーサイド公園の整備は制度的な壁を乗り越えた典型的な施設です。でも施設を作るだけならしくみは簡単に乗り越えられますが、その施設を経営運営する新たなしくみが必要となります。ここからはしくみの未知の分野で、住民の参加参画、説明責任や黒字経営を持続するというしくみづくりには随分苦労をしました。

 さて一番厄介なのが最後の第三の壁である意識の壁なのです。人間は固定観念とか先入観というのがあって、いったんそう思い込んだら絶対にその考えを捨てない心理が働きます。その思い込みが正しい場合はいいのですが誤解があるとその誤解を解くには大変なエネルギーが要るのです。人間と人間の心の摩擦ほど疲れるものはありません。でも失敗や反対はこの世の中にはつきもの、反対は半分あるもの、人間に失敗はつきものと開き直ってやる気と誠実で相手の心を解きほぐしたのです。そのための手法として公園の清掃作業を思いつきました。言葉での説得は一見上手く行くように見えますが必ず相手を疑います。しかし汗を書く姿は意外と言葉よりも効果がありました。

 三つの壁を乗り越える話をしたらその方は、酒を止めて私の話を熱心にメモしていました。有難い本当の意味での懇親会となりました。早速帰ると深夜なのに感想メールが届いていました。私は1パーセント理論の提唱者です。100人の人を相手に講演をして100人が100人納得するはずはありません。せめて1パーセントの1人にだけでも理解してもらおうと思い話します。一人も変えれない話は無意味だと思うのです。昨日も1人だけ理解してもらえました。

  「熱っぽく 語った後の 懇親会 更に語って 皿で飯食う」

  「一二三 壁を乗り越え 成就する やる気と熱意 あれば出来るさ」

  「会長の 名前上野と いいました ああ上野駅 吹いて喜び」

  「適当な 時間に帰る 引き際は 俺の値打ちを 更に引き立て」

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