shin-1さんの日記

○人間牧場不思議発見その①

 子どもというのは目ざといものです。先日芋植えにやって来た小学生が、「進ちゃん、あのスピーカーは何をするん」。またある小学生は「進ちゃん、あの屋根はどして竹なん」と質問するのです。そりゃあそうでしょう。水平線の家の魚梁瀬杉のテーブルは150年も山に立っていた」と私が話すと、本当に数えだすのですから、滅多なことは言えません。この写真に子どもが発見した不思議が2つ隠されています。

 最初の不思議発見は屋根です。この建物はご存知五右衛門風呂なのですが、屋根が竹で出来ています。この屋根を葺いてくれた左官さんによると「わしも長い間左官をしているが、竹で屋根を葺いたのは初めてじゃあ」と言うのですから珍しいことだと思います。この屋根は建築士の息子がこだわった部分の一つです。真竹を半分に割って節を取り除き、下は割った中の部分を上にして、上は中の部分を下にしながら互い違いに組んでゆくのです。竹の調達は最初親戚で貰う予定でしたが、これだけの竹を用意し真半分に割ることは相当難しいらしく、結局は竹屋さんで調達しましたが、一本千円もする貴重なもので竹だけで6万円もかかってしまいました。最初は竹の寿命のことも考え私としては反対しましたが、息子の企画力に押されて葺きました。結果的には素朴さが受けてその道の人が絶賛してくれ、息子は悦にいっています。これが半永久ならいいのにとしみじみ思っています。

 さて次の不思議発見は五右衛門風呂の横にあるスピーカーです。人間牧場の放送設備かと思いきや、これは池久保という人間牧場のある集落の有線放送のスピーカーなのです。双海町には防災行政無線放送が各戸に配置されていますが、田舎は畑で野良作業をすることが多く、室内用は朝・昼・晩しか用を成しません。したがって放送は集落にだけ聞こえる専用の有線放送の方が効果があるのです。人間牧場の整備に当って地元からは私の土地なので移転可能と言われましたが、これもまた不思議なものとして活用しているのです。ですから人間牧場で畑仕事をしていると、地元の人がやれジャガイモの種の注文だの、集会の案内だのと放送するので、まるでローカルラジオを聞いているような感じがしています。

 私たちはいつの間にか日常生活に馴れて、ただ何となく日々を暮らしていますが、このように探してみれば身の回りにはいくらでも不思議はあるものです。ひと頃漫才で「何でだろう」という言葉が流行りましたが、「何でだろう」は孫の占有物ではないのです。

 ことのついでにもう一つ不思議を発見しましたので紹介しておきましょう。昔といっても私が子どもの頃は、今のように誰も彼もが腕時計を持つような時代ではありませんでした。勿論今のように有線放送で時を知らせることもありませんでしたので、地元の人は沖を通る別府航路の船を見て「ああもう11時30分だ」などと腹時計を合わせていました。また沖合いに浮かぶ青島は私たちが子どもの頃は自家発電で夜10時になると電気が消えていました。それを見て「ああ青島の灯が消えたのでもう10時か」などと時を考えたものです。今も関西汽船の定期航路の船の位置は毎日ほとんど変わらないそうですから大したものです。

  「何でだろう 子どもはいつも 考える だから知恵付く 俺の孫さえ」

  「よく見ると 時計なくても 時告げる 船の位置にて そろそろ飯だ」

  「ジャガイモの 種芋放送 聞いたから 作付けできた 芋はできずに」

  「香港で 見た竹類の  使い方 里山荒れて 竹余るというに」  

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shin-1さんの日記

○えっこんな時期に掘りコタツ

 昨日の朝、水平線の家を作ってくれた大工さんが隠居へやって来ました。「何事ですか?、確か工事のお金は払ったはずですが」と質問すると、「親父さんから掘りコタツの工事を頼まれまして」と言うのです。寒い時期なら分りますがあと十日もすれば衣替えなのになんでこんな時期に掘りコタツなのか理解に苦しみました。親父もついにボケたかと思いきや、親父はいたって平気なのです。思い立ったら吉日が親父のいいところだし悪い癖、「来年までわしはよう生きとらん」などと弱音をはく口の下、「今年の冬は寒そうだから」と早くも来年まで生きるつもりの算段をしているのです。

 親父はとにかく手先が器用で、何でも自分で作ってしまいます。額縁だろうがベッドだろうが、鋸と金槌とノミを持たせればたいがいなものは作れるのです。でも最近は目と腕の衰えを感じるのか、こうした大きな仕事は大工さんに頼むようになりました。

 これまで親父の居間はテーブルに椅子でした。何を思ったのか掘りコタツです。親父はスネは何ともありませんが腰はコルセットを四六時中しています。腰のことを考えるとテーブルがいいと思うのですが・・・。

 人間牧場から帰ってみると、堀コタツはもう立派に出来上がっていました。わが孫(長男)に電話して板張りの居間には半畳の畳を手配し、既に敷かれていました。何という手配の早さでしょう。88歳の老人のすることではないと、ほとほと感心した次第です。この工事代金は年金の中からの出費なのでしょうが、それも計算に入れているようで、「これで今年の冬は大丈夫」と言いながら、私にも「コタツの中へ足を突っ込め」と誘い、「どうだええ具合だろが」と同調させるのです。この様子に呆れ顔は妻、「じいちゃんは、何を考えているのだろう」と相当な呆れ顔でした。

 人の忠告など聞かぬ親父ですが、この隠居はやがて私たちが住むかも知れないと思って見ると、そこここに、老いの住処の工夫が感じられます。ベットの高さも、手摺の位置も、トイレの高さも、いつの間にか全て自分サイズに加工しており、凄いものです。寝ていてもスイッチは切ったり入れたり出来るし、電話だって薬だって手が動けば取れる算段になっているようです。

 私たち元気な大人は、少々不便でも我慢して暮らします。親父は自分の暮らしに物を合わせてしまうのです。ですから部屋の物はいつも「ちょっと動かせてくれ」とか「やっぱり元へ戻してくれ」とか、しょっちゅう私を使うのです。でも88歳のこの年齢まで自分のことは自分で出来るのですから文句は言いますまい。でも「何でこの時期に堀コタツなのだろう」と今でも首をかしげます。

 今朝親父の隠居へ行き堀コタツを一枚写真に収めました。

  「ひょっとして 親父ボケたか この時期に 堀コタツとは どう考えても」

  「俺サイズ 何でも自分を 中心に 偉いぞ親父 真似などできぬ」

  「老い先が 短い口癖 言う癖に 早冬のこと 考え行動」

  「メートルを 尺に直せと 言う親父 直さなくても ・・・・・・・」

 

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shin-1さんの日記

○それは一瞬の出来事でした

 よくウイリーウインキーなどで、「この絵の中に同じ人が何人いるか探して下さい」なんてクイズがあったのを覚えていますが、昨日わが人間牧場で綺麗なキジの姿を発見しました。雌は茶色がかっていましたが、雄はあの綺麗な瑠璃色でそれは見事でした。思わず持っていたデジカメを向けたのですが、シャッターチャンスに恵まれず映っていたのは後姿だけでした。

 さて問題です。「この写真のどこかにキジの後姿が写っています。探してみてください」。正解は3本の杉の木が写っていますが、左から二本目と三本目の杉の根元にキジが写っているのです。「こんな写真では分らん」とお叱りを受けそうなので、次はばっちり至近距離で写したいと思っています。

 「ケン・ケン・ケーン」とキジの鳴き声は独特の鳴き方をしますが、人間牧場につがいのキジが住みついてい水平線の家の周りをうろついているのです。昨日はその姿を身近に見て驚き、感動し、その姿を何としても写真に撮りたいと思ったんですが、残念な事にその雄姿はついにカメラに収めることは出来なかったのです。地元の人の話では、最近この周辺はキジが沢山いて卵を温めているそうです。しかしみかん畑は今草刈の真っ最中で、どの畑でも草刈機のエンジンを響かせて草をなぎ倒して行くため、キジの卵も無残にも壊されてしまうのです。せめて羽化するまででもと思うのは素人の考えで、そんなことしていたら農作業がはかどらないのです。

 でもキジの姿を間近に見て、人間牧場にもこんな自然があるのかと思わず嬉しくなりました。下の杉の木の樹上ではカラスがせっせと子育てをしているし、メジロなんかはもう競演といったところでです。ただしキツツキが水平線の家の外壁をつつくのだけは、幾ら自然が豊かでも止めて欲しいと思っています。被害甚大本当に深刻な食害なのです。

  「キジを見て 思わずカメラを 向けたけど 俊敏欠けて 後のまつり」

  「牧場は 自然が売り物 また一つ 同住の鳥が 見つかりました」

  「ケンケンと 鳴く声悲し 無残にも 卵抱けども 住み家追われて」

  「キジの声 キジ鍋連想 浅はかさ 食欲だけは 人に負けじと」  

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