shin-1さんの日記

○五右衛門風呂でうどんを茹でるって本当ですか?

 人間牧場の五右衛門風呂が完成し先日息子と二人で掃除をし、風呂を沸かして入りました。本当はその時の写真をこのブログで紹介したかったのですが、息子のデジカメで撮ったため機種の関係で私のパソコンに入力出来ず持って帰ってしまったため、発表が遅くなってしまいました。風呂の北側の押し上げ窓を全部開け、両袖の隠し戸も開けて入る五右衛門風呂はまるで空中で風呂に入ってるような錯覚すら覚えます。眼下には下灘の港が一望でき、息子の設計のセンスのよさにわが子ながらとても感激しました。このブログを書きながらふと「あの写真はメールで送ってもらったらどうだろう」と思い、息子に電話しました。早速私のメールにご覧のような写真が送られてきました。どうです。これが五右衛門風呂の入浴シーンです。モデルは美しい女性か妻とも思ったのですが間に合わず、私でご勘弁下さい。それにしても凄いでしょう。人間牧場からの眺望を独り占めするよな原風景を見ながらの入浴はまさい至福の時、至福の空間なのです。

 この写真が送られてきてから相ついで3枚の写真が送られてきました。しかしその写真は容量的にかなり重いもので、結局は圧縮しないと入らないことが分り悪戦苦闘をしました。何せメールの写真を圧縮するのは滅多にないことなので3日前から始まった大相撲夏場所のテレビ観戦も忘れてしまうほどの熱中ぶりで、ついに2枚の写真をブログに載せる事に成功したのです。しかし次の写真を見て決して笑わないで下さい。

 「げっ、これ骨皮筋衛門」なんて思われる正真正銘私の姿なのです。でもモザイクをかけなくても見れるのですから、体は見ないでかけ湯用の木の桶や草津温泉にも負けない湯もみ用の棒まで息子は用意してくれました。風呂釜を囲んだ板はウッドデッキ風でかなりお洒落です。

 おっと、このブログ記事の題名が「五右衛門風呂でうどんを茹でるって本当ですか?」というタイトルだったことをすっかり忘れていました。実はお隣の県香川県西部地方では家の新築や改築でお風呂が出来上がったら、お風呂にうどんを持ち込んで食べる風習があるというのです。うどんを釜で茹でたり湯船に浮かしてまではさすがにしないようですが、そうすると中風にもならず長生きするという言い伝えに沿ったもので、さすが日本一のうどん県だけのこはあるなと感心しました。そのため一番風呂は必ずその家の一番偉い人が入るそうです。

 この話をしていたら、面白い話しを聞きました。元々はこちらの地方でも、そういう風習はあったそうで、五右衛門風呂ができると人間が入る前に綺麗に洗った風呂釜で本当にうどんを茹で、そのうどんを取り出した汁をぬるめて野の中に入ると無病息災になるというのです。

 「えーっ、汚い」と思うでしょうが、人間の入っていない未使用の釜なら、鍋釜の新品と一緒で決して汚くはないはずです。私もしようかと思いましたが、もう使ったので出来ません。うどんはやはりハレのひに欠かせない食べ物なんですね。

  「五右衛門の 風呂に入って 見渡せば まるで宇宙を 遊泳気分だ」

  「五右衛門の 風呂でうどんを 食い忘れ 俺もそろそろ 寿命なのかも」

  「このモデル まるで骨皮 筋衛門 もっといいのを 撮ればいいのに」

  「五右衛門に 裸で入る 姿おば 下界双眼 眺めて見たい」

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shin-1さんの日記

○わが家の敷地は660坪

 都会の人が聞くと信じ難いような坪数660坪、はいこれがわが家の敷地面積なのです。この坪数を聞くといかにも金持ちみたいに思うでしょうが、わが家は先祖代々誇りある貧乏なのです。貧乏は決して悪いことではありません。昔貧乏だった成り上がりの芸能人が体一杯に光ものを身に付け、何億円もする豪邸に住んでいるのをよく見かけますが、結果的には遺産相続や苦労を知らない子どもが事件を起すのを見る度に、「ああ貧乏人に生まれて良かった」と胸をなでおろすのです。

 敷地が広いことは家の周りでいっぱい安全な野菜や果物を作ることが出来るし、作る喜びもあるのです。ところが困ったことが一つだけあります。それは何処へでも辺り構わず生えてくる雑草の処理なのです。ビオトープだと思えばいいのでしょうが、人間様が住んでいるので草を生やし放題というのも外目もあるので引いたり削ったり、時には草刈機で刈ったりもしますが、草の成長は早く追いつかないというのが正直な話です。

 わが家で草を引く人の第一人者は88歳の親父です。朝も早くから夕方まで草に文句を言いながら引いています。もし親父がいなくなったらわが家は草だらけになることは私が保証します。そのくらい親父の草に対する執念は強く、来訪者が菜園畑を見て「ここの畑は綺麗にしていますが草が生えないのですか」と冗談交じりに言うほど綺麗にしています。

 今朝は書いたブログの入力の調子が悪く思わぬ時間がかかってしまいましたので、隠居へ行く時間が少し遅れてしまいました。そのためでもないのでしょうが、私の部屋の窓から「毎日草の手入れに疲れた。お前も少し手伝わんとこの家は草だらけになる」と何時になく弱音を吐くのです。今日は原稿の締め切りで忙しいのにと思ったのですが、「午前中だけでも手伝うから」と約束をして食事を済ませ外庭に出ました。確かに親父の言う通り庭の隅々には数週間前まで綺麗だったのに草が目立って生えています。それから3時間ただひたすら中腰で草を引き、身頃を迎えているつつじの裏庭は草削りで削って行きました。近くに住む姉が父の昼食のおかずを届けに来てくれ雑談をしながら姉も草を引いてくれました。途中から親父はいなくなりました。そうです。テレビの番組に時代劇があるものですから中に入ってちゃっかり一人で見ているのです。私は午後から講演の打ち合わせに岡山県から担当者がやって来るので、何としてもそれまでにはと馬力をかけてやりました。お陰さまですっかり綺麗になり親父も嬉しそうでした。

 祖母が元気な頃この除草は主に祖母の仕事でした。祖母は草を引きながら「私が死んだらこの草は誰が引くのだろう」と言っていました。いま親父が同じようなことを暗に頼りない息子の私に向かって言っています。多分私も同じようなことを3代に渡って言い続ける事に違いありません。

 でもふと思うのです。私は祖母や親父のようにマメに草引きなど出来そうもなく、まったく自信がないのです。「お父さんなら大丈夫」と妻は自分のやらない分だけ私を褒め殺しして使おうとするのですが、そうは問屋が卸しません。数年前に亡くなった近所のおじいさんの庭は、私の親父と同じように草もはやさず綺麗に手入れをしていましたが、今は住む人もなく雑草に覆われています。昨日その庭の前を通って雑草に覆われている中でもつつじが咲いていました。見る人もなく咲く花も哀れなものです。あんな花にはならせてはならないと心に誓いました。

  「雑草と 家族の戦い エンドレス 何時まで続く 死ぬまで続く」

  「雨上がり 気持ちよさそに 草伸びる 悪いのですが 引かせてください」

  「祖母守る 庭で親父が 後を次ぐ 次を次ぐのは 私でしょうか」

  「草のよに 植えたものも 出来たらと 草の勢い 羨ましけり」

 

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shin-1さんの日記

○大根が食べたい  

 わが家の家庭菜園から白菜と並んで冬野菜の王様といわれる大根がついに姿を消しました。初秋に蒔いた種が芽吹き、晩秋から初冬にかけて食べ始めた大根は、春になると首を切られてトウが立つのを防いでいましたが、それでも大根はどっこい生きていて、脇芽から白い花が咲いたので、あえなく抜き取り処分されたのです。それでも昨年末に漬けた沢庵だけはその名残の酸っぱさを残して古漬け沢庵として塩抜きして味噌漬けや炒め物にしたりして食べられているのです。それも底をついたと思われる昨日、食卓に目にも鮮やかな瑞々しい沢庵が登場しました。今は四季を通じ大根だろうと白菜だろうと幾らでも売られているのです。多分中国か韓国産なのでしょうが、包装がなくなると何処の産地のものかはまったく分からず食べているのです。

 「お父さん。沢庵はどうして大根漬けと言わず沢庵というの」と、妻が唐突な質問を知識人の私?にするのです。妻は沢庵和尚の名前にちなみ沢庵とつけたくらいな知識は持ち合わせているので、いわば意地の悪い質問なのです。ご存知沢庵和尚は江戸時代初期の品川に東海寺を建てた名僧なのですが、それだけかと分厚い広辞苑を開いて虫眼鏡で小さい文字を拾い読みしました。「たくあん」という欄には、「沢庵とは漬物の一種で干した大根を糠と食塩で漬け重石で押したもの」という説明の後に、名前の由来も記されていました。ここでは沢庵和尚が初めた作ったという説と「貯え漬け」が転じたという説の両方が書かれています。

 その昔、三代将軍徳川家光が品川東海寺を訪れた時、沢庵和尚が「貯え漬け」ですと差し出したところ、家光が「これは貯え漬けでなく沢庵漬け」だという話は昔聞いたことがあります。「貯え漬け」は平安時代から日本の食文化としてあったのですから沢庵和尚が発明したのではなく、家光が命名したというのが正しい説明かもしれません。

 最近の沢庵は大根そのままの瑞々しさを漬け込んで浅漬け風に仕上げていますが、昔は保存食だったものですから噛み切れないほど干して漬け込んでいました。これも広辞苑の沢庵説明だと干しもせず糠も食塩も使わず重石もしないのですから正式には沢庵と言えるかどうかは分らないのです。

 大根は沢庵以外にもすり大根やおでん、刺身のつまとしても重宝がられますが、最近若者の間で人気なのは大根サラダにしてドレッシングで食べてるようです。それでもやはり旬の大根のような美味しさは残念ながら味わうことは出来ません。今年の晩秋頃までその味はお預けです。

  「俺の名は 別名大根 心と書く 葉より隠れ根 本当の値打ち」

  「大根が 食いたくなって 店で買う こんな大根 何処で作るの」

  「物知りの 俺に質問 妻試す 知り抜けごぼう いや大根だ」

  「さしあたり 俺が刺身で 妻つまか 二人で一緒 盛られ美し」

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