shin-1さんの日記

○梁瀬杉の器

 日本全国には屋久杉や吉野杉といわれるような名の知れた杉の銘木を産出する地域があります。四国にも梁瀬杉といわれる銘木の産地がありますが、どの産地も残念ながら戦後の無秩序な伐採によって、屋久島の縄文杉などを除いて、銘木といわれるものは殆ど姿を消したといわれています。

 昨日も「森は海の恋人」というキャッチフレーズで知られる、宮城県気仙沼の牡蠣漁師さんが山に木を植えた話を高知県奈半利町でさせてもらいましたが、交流会で梁瀬杉のことが話題になりました。そして友人の坂本さんが梁瀬杉の板で手作りした木の器(皿のような大きな器です)を私に持ってきてくれました。梁瀬杉の板で作った器は「えっ、これ本当に杉ですか」というような素晴らしい鼈甲色をした芸術品でした。

 長い年月をかけて育まれた梁瀬杉の器はまさに自然でしかできない素晴らしい文様が随所に見られ、「これ人間牧場で使ってください」と、惜しげもなく私にくれたのでした。さらに坂本さんは私を自宅の車庫に連れて行き「この梁瀬杉の根元もよかったら差し上げます」と言われました。しかし私一人では動かせないようなものを乗用車に積んで帰ることもできず、「次の機会に必ずトラックで取りに来ます」といって別れました。

 私の友人には色々変わった人がいますが、まだ4回しか会っていない坂本さんは龍馬の血を引いているのではないかと思わせるほどに動き回る面白い人物です。米を作り、鶏6万羽を飼い、朝新聞を1500部配る新聞直配所を経営するなど尋常とは思えない働き者です。さらに40メートルの潜水も平気な平成の仙人なのです。先日いきなり奥さんを連れて「人間牧場」にやってきました。そのロケーションや私の構想に同調し、より深い人間関係が成り立ちました。

 人が人に共鳴すると次々に新しい発想が湧いてきます。百年の時を語る「人間牧場」に百年の時を超えて生きてきた梁瀬杉の年輪を置き、年輪からの教えを集う人たちに伝えたいと思いました。泥にまみれ古ぼけている梁瀬杉の根元をできるだけ早く貰い受け、できるだけ早く命を吹き込む磨きをしたいと思っています。

 さあまた忙しくなってきました。

 「百年の年輪刻む梁瀬杉俺の歳などまだまだまだだ」

 「古ぼけた梁瀬杉株教えてよ日本と俺に足りないものを」

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shin-1さんの日記

○妻の金魚の糞

 このところ、妻と出歩く機会が多くなりました。多くなったと言っても普通の夫婦に比べたら少ない方だと妻は言うのですが、私にとっては35年間の結婚生活でこれほど一緒に出歩くことはなかったため、何かしら人の目が気になって面映い気持ちです。昨日今日と高知県へ講演に行く機会があったので、先方もよく知っている方々ばかりなので、先方の了解を得て一緒に出掛けました。

 高速道路を走って高知県南国インターで降り、そこから国道55号線を通って奈半利町へ着いたのは午後5時頃でした。折りしも綺麗で真赤な夕日が海に沈む時間と重なり、黒潮鉄道終着駅のデッキからドラマチックな天体ショーを鑑賞することができました。勿論妻も「綺麗ねえー」と相槌を打っていました。

 私が講演中妻は隣の会場で誘われるまま友人夫婦の詩吟と吟舞の発表会を見学していましたが、友人たちとの夜なべ談義に合流し皿鉢料理を食べながら楽しいおしゃべりをし、宿舎のホテルへ11時頃入りました。明くる日は早起きして室戸岬の札所にお参りし、高知市の日曜市で買い物をして、もみじに染まる国道33号線を帰って来ました。

 まあこんな具合で、急ぎもせずのんびりと二人だけの休日を楽しみましたが、世の中は狭いもので行く先々知り人にあい、「何と珍しい奥様とご一緒ですか」と皮肉られる始末です。妻の買った品物を持ってぞろぞろ後をついて歩くのは嫌だと思っていたのに、今日はそんな風な一日でした。

 それにしても妻はよく買うしよく食べてました。これが女性の元気の秘密かと思わせるように・・・・。お蔭様で帰る頃には腹も満杯、トランクの中も満杯になりました。

 私は2時間の講演と妻のアッシー君、それに荷物持ちとまるで妻の金魚の糞の2日間でしたが、妻は「お父さん今日は楽しかった」と満足そうに言うのです。私が相槌を打とうものならまたこの次も「私を旅行に連れてって」てなことになるに決まっています。「少し頭を冷やして考えてみる」とその場の会話を打ち切りました。ここだけの話ですが一人で行くより数倍疲れた二日間でした。

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