shin-1さんの日記

○ナミ子姉さんの心のうた

 叔母が長年大学ノートに書きとめていた短歌を数年前一冊の本にするよう勧め、私が本の構成を頼まれ印刷した「ナミ子姉さんのうた」という本が、私の書棚にあります。100ページにも満たない小さな本ですが、私はこの本を見る度に人にはそれぞれの人生があるものだとしみじみ思うのです。

 12人兄弟の7番目の子ども(私の父は12人兄弟の長男)として生まれたのは昭和5年でした。以来貧乏ながらも家族の温かい人情にはぐくまれ、戦中戦後を必死に行きながら、その折々に短歌や俳句それに短文を何冊も書き綴ってきました。4人の息子の2人までも海難事故で亡くすという悲運や、自分の病気と戦いながら書いたものは胸を打つものが数多くあり、思わず涙するものまであります。

 数回の旅行を除いてまちを出たことのない、また小学校しか出たことのない叔母が、何処でどう読み書きを習い、俳句や短歌を習ったのか定かではありませんが、まさに叔母の生き方そのものが生涯学習だとしみじみ思うのです。

 鉛筆と消しゴムでしか書けない時代のつたない文字であっても、どんな美しい文字より素晴らしい説得力があると思うのです。

 私は文章に行き詰ったらこの本を開けます。そしてこの本から不思議なパワーをいただきまた次の作業へと進めるのです。

 私たちはいつの間にか偉い人の文章に憧れ、偉い人の言葉に生き方を求めてきました。しかし、どこにでもいるような普通のおばさんの言葉には得てして見向かないものです。叔母の生き様といえるこの本はまさに生き方を教えてくれる本なのです。

 自分がいなくても地球は回ります。しかし自分がいないとある部分が回らないことも事実です。人間は自分中心でこの世の中が回っているような錯覚を持つものですが、今一度自分の身の回りにそうした人たちがいることの確認をしてみることも必要なのかも知れません。

 私の書いた「昇る夕日でまちづくり」や「今やれる青春」という本など、「ナミ子姉さんの心のうたに比べたら相当レベルが低いと実感する今日この頃です。

 今晩から福岡県須恵町へ仕事で出かけます。明日はshin-1さんの日記はお休みです。

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shin-1さんの日記

○酒の席

 自宅の敷地内にある私設公民館「煙会所」は4畳半の畳敷きの真ん中に囲炉裏が切ってあります。私が一番酒を多く飲んでいた30代後半のころ、その部屋の周りにビールの空瓶を並べていってグルリと結んだことがありました。今考えると酒を楽しむというよりは無茶飲みといった感じでした。多分そのツケが回ったのでしょがか胆嚢を患い、今ではまったく酒が飲めません。のめないというよりは飲まないのかもしれませんが、禁酒の誓いを自分と約束してもう5年が過ぎました。今は酒が側にあっても何とも感じないのだから不思議なものです。

 一番困るのは酒席の多いことです。現役の時代から比べたら相当数減りましたが、それでも1週間に一度はあるものですから、ウーロン茶一辺倒で対応しているのですが、酒席2時間はさすに長くしんどいなあと思いつつ過ごしています。しかし2時間の酒席で人はどのように変化するのか観察してみるとこれが病みつきになって結構面白い人間模様が発見できるのです。酔うほどに楽しい人、怒る人、喧嘩を吹っかける人、泣く人など様々です。酒が怖いと思う人も酒が心の扉を開いてくれる人もいるから、やはり酒の飲み方はしっかりと考え、飲んだら運転しないなどのマナーも必要かもしれません。

 私は酒好きだったものですから、飲んだら必ず妻の運転する車で移動したものです。仲間からは「進ちゃんの10円タクシー」などと呼ばれていました。つまり公衆電話10円で妻が迎えに来る手はずのことです。当時は携帯電話もない頃ですから、連絡の不一致で随分待ったり待たされたりのイライラで妻と喧嘩もしました。時には10円タクシーを呼んでおきながら自分はタクシーで自宅へ帰ってしまい、そのことが原因で2日間も口を利いてくれない妻の反抗にもあって、随分反省をしたものです。今は酒を飲まないため10円タクシーは弊店休業に追い込まれていますが、午前2時ごろでも平気で妻に電話して、10円タクシーを要請したことを懐かしく思うと同時に、済まない気持ちでいっぱいです。

 昨夜は久しぶりに仲間と松山で酒席を張りました。酒の席でしか出ない話に花が咲き、人間牧場の色々を聞かれ、近いうちに人間牧場水平線の家で飲む約束をさせられました。今朝その仲間から電話がかかってきました「夕べはどうも。夕べ話した人間牧場行き、楽しみにしています」ですって。酒を飲まない私がすっかり忘れてい手、酒を浴びるほど飲んだ仲間が覚えている。世の中はやはり酒飲み社会の理論で動いているのでしょうかねえ。

 熱燗恋しい秋の頃、ちょっぴり酒が恋しくなりました。「野菊見つ夢を肴に酌み交わす」、夢でした。

 

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