人間牧場

○読売新聞「駅夏模様JR予讃線・下灘駅」

 読売新聞大阪本社編集局文化・生活部の記者をしている前田さんという方からお便りが届きました。ハサミで封を切って開けてみると、中からかなり分厚い8月8日付けの読売新聞朝刊が出てきました。一面にはロンドンオリンピックで銀メダルを取った卓球女子の話題や、その後採決された社会保障と税の一体改革に対する民主と自民の確執がリアルに書かれていました。新聞はこうして時代の流れを一瞬一瞬切り取って、私たちに知らせていることを改めて実感しました。
 わが家では地元紙愛媛新聞を取っているため、読売や朝日、産経、毎日といった中央紙を読むのは、旅に出た時駅の売店で買って読んだり、宿泊先のホテルロビーで備え付けのものを読む程度になってしまいました。かつて地元の役場に勤めていたころは、役場が取っていたそれらの新聞を読んで、同じテーマでも新聞によって随分見出しのつけ方や記事の書き方が違うものだと、いつも実感していましたが、今は地方紙しか読むすべがないのです。

読売新聞・平成24年8月8日付け朝刊

 読売新聞には編集手帳、朝日新聞には天声人語、愛媛新聞には地軸という一面コラムがあり、それを読むのも新聞の楽しみで、かつて天声人語や地軸に私のことが書かれたこともあって、特に天声人語という言葉の響がが好きで、よく読むのです。手前味噌ながら私も月に2回発行していた、町の広報「ふたみ」」を10年間担当し、タブロイド版巻末に「大根心」というペンネームで「こちら編集局」というコラムを240回も書き、担当を外れたその年にそれらを集めて、「町に吹く風」という一冊の本を自費出版しているのです。何はともあれまちづくりの世界に長くいた私にとって新聞は、なくてはならない武器だったのです。
 よきにつけ悪しきにつけ私や私の町はこれまで、よく新聞に取り上げられました。町を宣伝する手立てとして新聞は欠かせない存在だったのです。インターネットの普及していなかったあの頃は、新聞とテレビが大きな情報源で、夕日によるまちづくりは公共の媒体を巧みに使って、世に知られたのです。特に記録として残る新聞はスクラップして、整理こそ忙しくてやってはいないものの、今もしっかりと保存しているのです。

 「新聞記者は見てきたような事を書く」と言いますが、新聞記者には二つのタイプがあるようです。例えば双海町の夕日を捉える場合、アマゾンなどで私の書いた本を買い求め、それを元に補助取材を電話などで済ませて書く人と、直接やって来て面談や現地取材をする人の2種類があります。取材に金のかかる中央紙などは前者で、地元紙は後者の部類だと思うのです。
 さて今回の17面くらしにカラーで掲載された記事は直接やって来て、写真等を撮ったり関係者に話を聞いたようですが、私に関することに限っては長々の数回にわたる電話取材でした。今回の掲載記事を目にしたのは、旅先の高知県四万十市西土佐でした。市民大学の講師を頼まれて出かけた折、地域事務所の友人松本さんが、掲載記事をいち早くPDFファイルにに加工して、年輪塾ネットで流していたものを、教育委員会西土佐事務所の親友和田所長さんがコピーをして渡してくれたのです。

 第一線を退いた私が新聞に載るのは、夕日をテーマにまちづくりを始めたころの思い出を語ることしかできないため、記憶を頼りに月日や時間を遡るのですが、夕日夕焼け物語を語るには欠かせない存在なのか、相変わらずよく話を聞いてくるのです。人から見れば私たちがやった夕日によるまちづくりも、今となっては成功したように語られていますが、振り返れば失敗の連続で、思い出したくないようなこともいっぱいあります。ゆえに物語は面白いのでしょう。
 昨日、今度は朝日新聞の記者とカメラマンが、地域おこし協力隊の冨田さんに連れられて昼過ぎわが家へ取材にやって来ました。今回も駅がテーマのシリーズ物らしいのですが、どんな記事になるのでしょうか。

  「読売の 十七面に 書かれたる 記事を読みつつ あれこれ思う」

  「失敗や 反対多く あったけど 過ぎてしまえば それもまたよし」

  「新聞は 記録に残る 故を持ち 色々活用 PDF配信」

  「文明は 活かし使えば 文化なる 道具となりて 大い役立つ」

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