人間牧場

○旧野村町を訪ねる

 7年前まで愛媛県内には70市町村がありました。子どものころから70市町村の名前をおぼろげながら覚えていたし、役場に勤めてまちづくりを担当したこともあって、70市町村時代に全ての市町村を訪れているため、合併して20市町になった今でも、消えることのない記憶として旧市町村名を覚えているのです。3年前まで乗っていたトヨタプラッツに搭載していたカーナビソフトは、合併後も旧市町村名のままでしたが、さすがに3年前に買ったトヨタカローラアクシオのカーナビソフトは現代対応されていて、県外に行くとチンプンカンプンといったところです。
 昨日は西予市の旧野村町へ講演に出かけました。朝9時30分からの集会だったので最短ルートの双海~中山~内子~肱川~野村といった旧町を走りましたが、晩夏とはいいながら残暑厳しい中を1時間余りで到着しました。

展望台からの眺望
展望台からの眺望

 会場となっていた乙亥会館横の野村町健康保健センターを確認した後、少し時間的な余裕があったので、野村町に行く度に視野に入っていて、一度は登りたいと思っていた愛宕山の展望台に登ろうと、道順も分からぬまま、狭い登山道を車で走りました。愛宕山の頂上付近は一方通行になっていて、桜の名所らしく見事な古木がうっそうと緑陰を作っていました。
  駐車場に車を止めて朝露で濡れた雑草の中を歩き、鉄でできている三階建ての展望台へ登りました。昨日の朝はまだ誰もこの鉄塔展望台に登っていないのか、通路には幾重にもクモの巣が張ってやたらと顔にくっつき、行く手を阻みましたが、展望のできる三階に上がると心地よい風が吹きぬけて、少し汗ばんだ顔を静かに撫でてくれました。眼下には野村町の市街が一望でき、早くも黄金に色づき始めた田圃が程よく配色され遠望も開けて、目の冷めるような美しさでした。宇和町から野村に入って、野村ダム方面の峠から見る光景は、どこか大分由布院に似ている風情があって、大好きなロケーションですが、この展望台からの眺めもいいものでした。

 再び乙亥会館まで引き返し、20分前にセンター駐車場に車を止めて中に入りました。そのうち会場の和室に予定していた30人余りが集まり、私の講演が始まりました。持ち時間は1時間余りなので「食育と地域づくり」について思いつくままお話をしました。顔見知りの人も多く和気藹々でした。
 野村町といえば思い出すのは乙亥相撲や大野ヶ原モゥーモゥー塾などですが、もう7~8年も前中央公民館で開いた高齢者大学に招かれた折、講演の最中に水戸黄門のテーマソングが、あるおばあちゃんの巾着の中で鳴り始め、思わぬハプニングに会場が騒然となったことを思い出しました。あの時は携帯を持っては来たものの、マナモードにするすべも覚えていないおばあちゃんだったため、結局講演中に私が壇上から降りてその着信音を止めたのでした。幸いなことでしょうかおばあちゃんの携帯電話の機種が、私の機種と同じという笑うに笑えない騒動でした。

 山里田舎の人は人懐っこく、私の持っている木になるカバンのことを覚えてくれていたり、ミツバチの師匠井上登さんと連れだって、人間牧場へ訪ねてきた人がいたり、またこの春市役所を定年退職した黒田達子さんも顔を見せてくれ、嬉しい出会いとなりました。行く先々で出会いを重ねる人たちの、顔を思い浮かべながらこのブログ記事を書いていますが、合併騒動はひとまず終ったものの、中央から外れた地域は何処も右肩下がりの光景が目に付いて仕方がないのです。
 野村町は海のない町ながら、明浜や三瓶と合併したお陰で、海のある街となりました。宇和海という海抜ゼロmから高知県梼原町と境をなす大野ヶ原まで、広い広い土地となりましたが、これからも多いに頑張ってほしいと願い、大相撲巡業来訪の予定を知らせる看板や幟をバックミラーで見ながら、野村町を後にしました。

  「久方に 野村の町を 訪ねけり 高台登り 秋を先取り」

  「そういえば 何年か前 講演で 携帯電話 騒動あった」

  「高台に 登り家並みを 見下ろすと 行く場所辺り 頭に入りて」

  「野村にも 遠く離れた 街だけど 知り人友が たくさんおりて」  

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