人間牧場

○新しいドラマは始まったが・・・

 

今朝の愛媛新聞朝刊

 夕日に惚れ込んでいた若い頃、夕日の情報発信基地を作りたくて、シーサイド公園を整備する時、町長にお願いしてその一角に、ほんの小さな夕日のミュージアムを造ることにしました。夕日という得体の知れない物体が果たして展示になりうるのか心配しながら、夕日に関する雑学を徹底的に勉強しました。そうしているうち夕日の科学や文化などがあれやこれや、これでもかと思うほど出てきたのです。それらを展示構成して世にも珍しい夕日のミュージアムが誕生しました。その時掲げたのが双海町の自然を丸ごとフィールドミュージアムにしようという構想で、その手始めに町のキャッチフレーズを公募して「しずむ夕日が立ち止まるまち」としたり、国道の名前を「夕やけこやけライン」としました。また国道や高速道路のランドマークにも夕日をあしらい、フィールドミュージアム構想は順調に滑り出しました。しかし予想もしなかった平成の大合併で私の掲げた構想は潰えてしまい、情報の発信拠点であるはずの夕日のミュージアムも、情報を追加するどころか一つ減り二つ減りして、今はお荷物的な存在になっているのです。双海町を曲がりなりにも世に送り出したのは紛れもなく夕日であり、人々の心に夕日は予想以上に染み付いているのですが、いかんせんそれをリードしなければならない人の存在が不毛で、このままでは夕日のミュージアムは消え行く運命にあるようです。役場を辞めた人間の口出すことではないと、かたくなに口を閉ざし、自分で出来ることをやろうと、それなりに情報発信を続けていますが、規模は小さくなっても夕日のメッカである下灘駅を、フィールドミュージアムにしようと頑張ってくれている人たちの存在は、私にある種の幸福感を与えてくれているのです。

 

亀の森から見たスイム会場

 昨日もう一つの夕日のメッカであるシーサイド公園で、第1回トライアスロン大会がありました。昨年下灘で開いたジュニアトライアスロンの発展プログラムで、200人を超える鉄人が参加し、500人を超えるスタッフが下支えし、寄付を含めると1千万円ほどの費用をかけた大会は、珍しさもあって沿道に内外から多くの応援者を得、私と家族全員も一市民として沿道で、自転車に乗った人たちに大きな声援を送りました。スポーツはアスリートの限界に挑戦する姿を見る人に、さわやかな感動を与えます。4人の孫たちは帰ると早速スイムとランとバイクをやりたいと息子親父に頼み込み、ヘルメットを被って自転車に乗ったり、海に連れて行って泳いだりと、その気になっていましたが、これもよき感化の表れだと苦笑いしました。夕日が音楽になったりスポーツになったりすることは、進化の意味からすると当然の変化です。ただ始めることも難しいのですが、続けることや高めることはもっと難しいことを実感しなければなりません。夕日がそうであったように、続けるためには「何のために」というしっかりとしたコンセプトを持ち、イベントを経済に結び付けてゆかねばなりません。その「何のために」を「誰が」やるのか、金がかかるイベントだけに荒波はきついようです。頑張って下さい。

わがやんお入口付近でバイクを応援する人々

  「動くから 風は起こると 信じ込む 道は開ける 次はどの道」

  「何のため これが一番 肝心で それがなければ ただのイベント」

  「お疲れさん これしか言えず 携帯で 労をねぎらう これしかできず」

  「孫たちも 沿道観戦 帰るなり 自転車取り出し バイク練習」

 

 

明くる日のテレビ放映の様子

 

[ この記事をシェアする ]