人間牧場

○春は別れの季節

 昨日の夜は激励会と送別会を一緒にするという、相手には少々失礼な会を行ないました。最初計画していたのは年輪塾のメンバーで、メダカの飼育で名を上げた井上浩二さんが、この春2年間の残任期間を残して早期退職するというので、再起動の会をしてあげようと相談が持ち上がったのです。ほら貝で出来た笛をプロ並みに吹くので、私たち仲間の愛称は「ホラ吹き浩二」(私が敬意を持ってつけた愛称)と呼んでいますが、彼は旧小松町の職員で、合併後西条市役所の職員となって環境行政に力を注いできたのです。
 双海町東越でメダカの学校を造って活動していて、亡くなった川口寿雄さんと、私を介して知り合ったのはもう20年も前のことでした。以来川口さんと深い親交を持ち、川口さんが亡くなってからは川口さんの遺志を継いで「メダカの井上浩二」といわれるまでに成長し、メダカサミットを成功させる等、大きな成果を収めているのです。その井上さんが心境の変化で40年勤めた役所を早期退職するというのです。退職後も再雇用等でぶら下がる人が多い中で、後進に道を譲るというのは中々出来ないことです。聞けば彼には大きな夢があって、その夢の第一歩として、退職後間もなく四国八十八ヵ所を坊主頭で歩き遍路に出かけると、目を輝かせて話していました。

再起動と送別会

 昨日の会のもう一つの目的は、国立大洲青少年交流の家の所長としてこの3年半余り活躍し、年輪塾の塾生として行動を共にしてきた新山雄次さんが人事異動で、福島県にある国立那須青少年交流の家へ転勤が決まった送別会でした。交流の家の所長といえば重い役職ながら気軽に私たちと活動して、私たち仲間を感心させ続けた立派な方で、栄転ゆえに大きな拍手を送らなければならないはずですが、仲間が去るのは少々残念な気もします。
 私と国立大洲青少年交流の家の出会いは古く、青年の家と呼ばれていた時代に誘致運動にかかわり、その後も活動や運営に深く関わってきました。丸木舟や青年の樹の移動ゴタゴタで、一時冷めた関係にありましたが、前所長や新山さんと出会って見事に心のわだかまりが解け、特に新山さんの所長時代は運営委員長に就任する等、公私共に深い関係になっていました。先立って先月異動した國分前次長さんとともに、惜しい別れなのです。

 昨日は網膜はく離の手術をして、県立中央病院に入院している清水さんの見舞いに行きました。偶然新山所長さんと病院で見舞いが一緒になり、三人でしばらく談笑してから新山さんを私の車に乗せて、少々早く市駅近くの小料理屋「ふじ」というお店へ着き、早めに到着していた大洲市田処の西田和子さんを交えてお話に花を咲かせました。
 再起動と送別の会には永井さん、青木さん、浅野さん、浜田さん、西田さん、米湊さん、松本さん、真鍋さんたちも駆けつけ、賑やかな集会となりましたが、2時間飲み放題食べ放題で身も心も満腹となり、21時近くでお開きとなりました。松本さんたちは余韻を楽しむべく夜の町へ消えて行きましたが、私は帰宅便同乗を頼まれていた赤石さんと、今月末で店を閉めるとハガキが届いていた市駅前の「いよじ」へあいさつに伺い、赤石さんが生ビールを一杯だけ飲み干して店を出ました。この店も私の過ぎ越し人生には忘れられない、数多くの夢や出会いをいただいた懐かしい店なのです。
 人は去り、人と巡り合う、まさに春は別れと出会いの季節です。井上さんと新山さんのこれからの活躍に多くな拍手を送りたいと思います。

   「送別と 退職祝う ごちゃ混ぜの 宴会開き 旧交温め」

  「飲み放題 頑張りお茶を 三倍も 春はダボダボ トイレ駆け込む」

  「三月で お店閉めると いう便り 寂しくもあり 最後立ち寄る」

  「春出会い 春に去り行く 人ありて 三年間の 思い出過ぎる」

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