人間牧場

○4つの春

 私の住んでいる四国愛媛県は、瀬戸内海に面しているため、温暖少雨な地域といわれています。その気候を利用して昔はあちらこちらに塩田があったようですが、塩を科学的製法で作り出せるようになって、その姿は完全に姿を消してしまいました。温暖少雨はそこに暮らす人たちにとってはとても便利なのですが、厄介なことはやはり夏場の水不足です。雨が降ると川は水が勢いよく海に向かって流れますが、それも何日かで、冬のこの時期は雨が余り降らないため、川は水無川と呼ぶような瀬音もない音無川になっています。そのため何年かに一回は渇水対策本部などが置かれて、難儀を共有しなければならないのです。
 それでもこのところ春が近づいているのか、晴れと雨の周期が短くなって、雨だれや流れる水音にどことなく春の足音を感じ、どことなく身も心も浮き浮きしてくるのです。春を感じるものには光、音、温度、人の動きなどがあります。

 ・光の春
 日脚が随分長くなってきました。7時にならないと夜が明けなかった新春から比べると、すっかり早くなって、6時過ぎには辺りが明るくなるし、年末に5時過ぎだった日没も今では6時近くになり、昼の時間が毎日朝1分、夕方1分ずつ長くなっているようです。私たちのように谷あいに住んでいると、冬は殆んど日が当たりませんが、このところ日増しに日当たりがよくなり、日当たりのよい場所を選んで蒲団を干したり、先日作った切干大根のサナを並べたりして日差しを活用しているのです。樹幹からこぼれる日の光は明るくて、冬の寒さが厳しく待ち遠しいかっただけに光の春を強く感じています。

 ・音の春
 春は「♭どこかで春が生まれてる♯」と歌われているとおり、余り目には見えないものですが、音の風景で春を感じることができます。その最たるものは鳥の鳴き声です。裏山が家の近くまで迫っているわが家の近くでは、ウグイスは大寒の頃から鳴き始め、下手糞だった鳴き声もすっかり上手くなって、「ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ」と谷渡りまで披露するようになりました。メジロなどの野鳥も庭先に飛んできて、椿の花の蜜などを吸い、時には大胆にも庭に置いているキャリーの中のミカンまでつつくのです。気がつけば吹きすさぶ北風の音に替わって、上灘川に架かった長い鉄橋を走る列車の音、港を出る漁船の音なども遠く近くに聞こえるようになってきました。

 ・気温の春
 春を感じるのはやはり気温です。名残の寒さなのか昨日の朝は放射冷却現象で珍しい霜が降り、散歩途中の道端の水槽には薄い氷が張っていましたが、さすがに日中は風もなく10度近くまで気温が上昇しました。部屋のあちこちに置いて使っている石油ストーブの灯油を入れる回数の頻度が少なくなり、今朝の室内温度は9度を表示していました。ストーブをつけた書斎の温もりも、湿度を保つためストーブの上に置いたやかんの湯気の立ち昇り方にも、どことなく春を感じるのです。

 ・人の春
 人の往来が多くなってきました。本当は明日から3月なのに今年は暦の悪戯で、4年に一回の閏年のため2月29日があるのです。したがって県立高校の卒業式は明後日です。これからは卒業式、就職や進学の準備にそれぞれ慌しい日々が続くようで、引越しの荷物を積んだトラックが俄然多くなってくるのです。息を潜めるように暮らしていた、近所のおじいちゃんやおばあちゃんも、マイカーたる手押し車を押して歩き、野良仕事もスタートして畑には人の姿が目立つようになってきました。

  「光・音 気温や人に 春見つけ 心浮き浮き 花春を待つ」

  「あと何回 春を向かえる ことできる 指折ってみる 二十回足らず」

  「春が好き 冬の寒さに 首すぼめ 一日千秋 あれやこれやと」

  「冬峠 登りて親父 今年また 春を向かえる ことぞ嬉しき」

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