shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年10月15日

○思い出の銀杏の木

 今朝人間牧場へ草刈りに行く途中母校である下灘小学校へ立ち寄りました。とっさの思い付きだったため、首には田舎のおじさんよろしくタオルを巻きつけ、作業着のままでの訪問です。学校の校門は不審者対策のため閉められていましたが、通用門を開けて中へ入りました。校庭で授業をしていた先生と児童は、私を不審者と思わずやり過ごしていただきました。運よく顔見知りの校務員さんがいて、校長室へ案内してくれました。この学校は5代続けて女性の校長さんで、今年の春に県教委から異動で赴任して来られた辻井芽美子先生です。 研修会や少年少女おもしろ教室で何度かお会いしたことがあるのですが、先生が来られてから学校へ来るのは初めてのような気がして、少し気が引けました。

(辻井校長先生)

 今日なぜ急に思いついて学校へ立ち寄ったのかは理由があるのです。まもなくの10月21日、この学校で第50回青少年赤十字研究会があって、私はこの日講演を頼まれているのです。前任の池田校長先生から一年前に頼まれていたので少し役不足の感がしますが、まな板の上に乗った鯉のように今はあきらめて何を話そうか迷っているところです。

 この下灘小学校は私の母校です。学び舎だった木造校舎も既になく、鉄筋コンクリートに生まれ変わっていますが、現在の校舎が落成した時が私の役場に入った年なので、落成式の手伝いにをしたりしたためよく覚えているのです。

(銀杏の木プロジェクトで見事息を吹き返したシンボルの樹)

 学校の脇門付近にシンボルともいえる大きな銀杏の木があります。私が子どもの頃は目線が低かったせいか、見上げるほど大木のような気がしましたが、今はそれほど大きくは感じられないのです。というのも数年前寄る年波とでもいうのか受精が衰え枯死寸前だったのです。学校や子ども、それにPTAなどが中心になって樹木医の指導を得て「銀杏の木プロジェクト」という事業を立ち上げ、「銀杏の木を救え」を合言葉に一生懸命取り組みました。根元を掘りそこにみんなで焼いた炭で土壌改良をしたりしました。その結果銀杏は主幹こそ弱ったものの脇芽がどんどん出て見事に樹勢を回復したのです。

 私は当時教育長をしていて色々と陰で応援しましたが、学校のシンボルであるこの銀杏はまさに木霊宿る樹なのです。

 私たちの子どもの頃はこの木が何となく邪魔でした。校庭の隅ならいざ知らず、見方によっては運動場の少し真中気味な所にあるので、ソフトボールの度にこの木にボールが当たるのです。下灘小学校ルールというのがあって、銀杏の木に当たると二塁打なのです。公民館のソフトボールにもこのルールが適用され、試合巧者なチームはこの特典を上手く使って勝ち進んだのです。

 久しぶりに見た銀杏の木は殊のほか元気で私を迎えてくれました。校長室でお茶を飲みながらお話を終えて帰るとき、校長先生に校門まで送っていただきました。この学校もまだ40年くらいしか経っていないのに老朽化が進んでいるようです。また子どもの数も50人程度で、私たちの時代の一クラスくらいなのです。少子化の波がここにも押し寄せているようで、寂しさを感じました。

 そういえば10月21はもう一週間後なのです。学校を訪問して初めて気が付きました。一週間後にはどんな気持ちでどんな話をすればいいのでしょう。地元は中々やりにくいものです。まあ何とかなるでしょう。

  「真っすぐを 思いつくまま 左折して 学校訪問 昔の母校」

  「コーヒーは 飲まない覚え 紅茶出る 懐かし人の 今も変わらず」

  「生き返る 銀杏の姿 嬉しくて 思わず写真 パチリ一枚」

  「少子化の 波が打ち寄せ 子ども減る 日本全国 寂しい限り」 


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